〈一日目〉

まんざらでもない?

 数寄屋造りと呼ばれる建物を、地海シンはぼうっと眺めていた。

 ここの建物は、どれも赤い。そして瓦の屋根からは、ずらりと提灯が垂れ下がっている。

 提灯もまた赤く灯っている。

 なるほど、〈赤町〉という別名も納得だった。

 すぐ左に目をやると、堀の下には小川が流れている。

 ……小川? あいかわらず、この街は奇妙だな、とシンは思った。この人工川は、海へと流れているのだろうか。

 パートナーに聞けばなんでも教えてくれるだろうが、いささか気が進まなかった。博識な彼女に解説を任せれば、だいたいの疑問は解消するはずだが、同時にほかの豆知識がいくつも降り注いでくるに違いない。


 行き交うひとびとは、みな一様に変わった衣類を身につけていた。

 こちらはシンも知っていた。和服ワフクと呼ばれる、この区画でよくみられる衣装だ。寒いには寒いが、みな、あのひらひらとした薄そうな伝統着で満足しているように見受ける。

 理由のひとつは、この地面から出ている熱気だろう。地下の熱を利用した暖房器具が、この街全体を覆っているのだという。

 陸から離れた島であるにもかかわらず、殊勝なことだ。


「……へくちっ」


 ほかの者よりはずっと厚着をしているにもかかわらず、シンのほうがくしゃみをしてしまった。その黒犬のマスクから漏れた機械音声に、近くにいた、花柄のマスクをかぶる女性たちがふしぎそうに視線を送ってきて、なにかをこそこそと話した。

 なんとなく気まずくなって、シンはその場を離れることにした。


 いいつけを破って、シンは目の前の建物に入ることにした。

 がらがらと扉を横に開く。その向こうにある二重扉のほうは、こっそりと開いた。

 パートナーには入らないように言われていたから、あくまで覗き見するだけだ。

 正面のカウンターのような場所に、坊主頭の男がいた。そのうしろの長椅子には、同じような風体の男が数人、あぐらを掻いて座っている。

 番頭の男と話していた女が、軽くだけこちらに振り向いた。ほんの一瞬のことだったが、その眉がひそんだのを、シンは見逃さなかった。

 彼女は、濡れたシルクのような質感の銀髪を耳にかけると、すぐに目の前に視線を戻した。


「というわけで、以上がこちらの事情になります。幽霊左近にかんしては、われわれのほうでかならず対処してみせます。奉行の方々にご迷惑はおかけしないことをお約束しますわ」

「って、そう言われてもよぉ、ねえちゃん」


 対面の男は、ぽりぽりと腹を掻いて言った。


「左近のこたぁ、もはやおれたちだけの領分じゃないのよ。この風林詰所だけじゃねぇ、火山の連中もやつのことはずっと追っている。それにだ、お上のこともある。たしかに本部のもんがきたら邪魔をするなと言われているが、それ以上のことをしろとも言われちゃいねえのよ」

「お上というのは、中央連盟支部のことでしょうか? でしたら、ご迷惑はおかけしないことを確約しますわ。もし失礼でなければ、一筆ここに残させていただきます」

「うぅん、一筆いっぴつってもなぁ」


 男は、こんどはぼりぼりと後頭部を掻いた。


「念書なんか、あの高慢ちきな支部の連中に通るかよ!」


 と、うしろの詰め所から、野次のような声があがった。


「そうだ、そうだ。あんた、粛清官でもあるめぇし」

「しかし、あのねえちゃん、ほんとうに本部の職員なのか? 拳銃なんか持つより、振袖で酌でもしたほうがよっぽど稼げそうだぜ」

「なあ、ねえちゃん! そんなことより、その色気ねえ上着脱いで、こっちに来たらどうだ。この連勤ですっかり指が凝っちまっていてよ、もみほぐさせてくれや」


 両手を前にして、わきわきと揉む仕草をする仲間に、男たちが笑った。

 嘲笑を受けても、シルヴィはとくに気分を害したようにはみえなかった。嘆息のひとつさえもせず、口元をほんのりと緩ませるだけの品のある笑みを保っていた。


「てめえら、このばかたれがっ。この嬢ちゃんも、わざわざ橋ぃ越えて中央街から来てくだすってんだ、茶化すんじゃねえっ」


 カウンターの男が一喝した。


「申し訳ねえ。こいつら、みてのとおり阿呆なもんでよ」

「いえ、お気になさらず。お酌でしたら、わたしでよければぜひさせていただきたいくらいですわ。夜半遊郭の服装も、いちどは着てみたいものですし」

「そうなのかい?」


 男はきょとんとした顔になった。


「ええ。だってほら、あんなにきれいですもの。ですが、その前にやることがありますから。もういちど伺いますが、そちらの捜査資料の写しをいただくことはできませんか?」

「うーん。だがなぁ……」


 男は、いかにも困ったような表情になった。

 なんとかしてやりたいが、なんともしてやれない。そういうふうに見受けられた。


「ねえちゃん、せめてその、幽霊左近の退治を任された粛清官ってのを連れてきちゃあくれねぇか。物を頼むにせよ、当人が来るのが筋ってもんだろう」


 その発言を聞いて、シンは驚いた。

 なるほど。シルヴィはどうやら、身分を明かしていないようだ。

 だが、その意図がシンにはわからなかった。

 今回の仕事の件も、この特殊な区画のことも、シンはあまり詳しくなかった。

 シンにわかるのは、この建物が、この地区における自警団たちの屯所だということ。そして、ここに自分たちの粛清案件にかんする資料が保存してあるということくらいだった。


「ご所望でしたら、もちろんこちらに来させますわ。ですが……」

「ですが、なんだってんだい?」


 言い淀んだシルヴィの先を、男がうながした。


「じつは、ここにはわたしの独断で来ているのです」

「そりゃあ、どうしてだい」

「……わたしは、みなさんにご迷惑をおかけしたくなかったのです」


 シルヴィの言い方は、いかにも気弱そうだった。


「わたしも、あまり遊郭の事情には明るくありません。それでも、街のために日夜奔走する赤町奉行の方々にとって、わたしたちのようなよそ者が我が物顔で闊歩するというのは、けして気持ちのよいことではないでしょう? 今、わたしがこうしてお邪魔しているのだって、きっとご気分を悪くされていると思います」

「いやっ……いや、そんなことはねぇさ。嬢ちゃんだって、仕事で来ているだけだろう」

「仕事という意味なら、粛清官だって同じですわ。でも、彼らは、なんといいますか、地域の市民たちの事情を考慮するような性質は、あまりないものですから」

「おいおい。そりゃあ、ずいぶんと婉曲な言い回しだなぁ!」


 シルヴィが小声だったせいか、うしろの男たちもよく話を聞くために、いつのまにやらカウンターまで寄ってきていた。


「なんでぇ、やっぱり本部もそうなのか。粛清官連中の暴虐ぶりときたら、目も当てられねえよ。連中、エムブレムさえみせりゃあ、どんな言い分だって通ると思っていやがる」

「自分たちを天の使いとでも思ってんのかなぁ、ありゃあ」


 口々に文句を言う男たちを待ってから、シルヴィは続けた。


「ですので、わたしだけがここに来たのです。わたしにはなんの権限もありませんが、もしなんの成果が得られなくとも、せめてみなさまのお気を悪くすることはないかと思いまして」

「……ふぅん、そうか。あいや、なんてぇか、気ぃ遣わせちまったみたいだなぁ」


 男たちは顔を見合わせた。


「だが、悪いな。無理なもんは無理でよ。さっきも説明したが、幽霊左近の調査資料は、たしかにうちで持っているぶんが最新だ。中央連盟の支部にゃあ、週末に更新分を渡すことになっているが、逆に言やぁ、それまでは奉行でよく保管しておく決まりになっていてなぁ」

「……わかりました。それでは、これ以上お時間をいただくわけにはいきませんから、わたしはいったん、失礼いたします」

「おおぅ、達者でなぁ」


 ぺこりと恭しく頭を下げて、シルヴィが踵を返そうとした。

 そのとき、彼女のコートの内側で電子音が鳴った。


「あら? めずらしい。室内で受信できるなんて」


 シルヴィはベルズを開いた。

 しばらく画面に目を落としてから、彼女は笑顔を浮かべた。


「ああ、よかったわ。みなさん、ご迷惑をおかけしました。解決しましたわ」

「どうしたってんだい、ねえちゃん」

「わたし以外の職員に、わたしと同じことを考えている者がいたようです。その同僚が、こちらの風林所ではなく、火山所のほうに向かっていたみたいで。そちらで、幽霊左近の捜査資料を受け取れたそうですわ」

「な、なんだって!」


 男たちがざわついた。


「なんでぇ、火山のやつら、どうしたって連盟なんかに明け渡したんだ」

「なんのつもりだ、あいつら!」

「わたしにもわかりませんわ。ただ、これを読むかぎりだと……」シルヴィは画面を男たちにみせた。「と書かれていますわ。でも、どういう意味なのでしょう?」


 ぴたりと、男たちの動きが止まった。

 ぎゃあぎゃあと喚くのをやめて、互いに鋭い眼光をぶつからせる。


「――漢気」と、だれかが口にした。

 それは、彼らにとって特別な響きを持つ言葉のようだった。


「……なぁ。聞くところによると、このねえちゃん、わざわざ俺たちが粛清官に嫌ぁな思いさせられねぇようにって、ひとりで来てくれたんじゃあねぇか」

「おう。こんなむさくるしい男だらけの場所に、こええだろうになぁ」

「おらぁ、実家の料亭でよく中央街の客の相手をしてきたが、このねえちゃんと違って、身分を鼻にかけるような態度の女ばかりだったぜ」

「となるとよぉ。……こいつは、報いてやらにゃあ」

「男がすたるってもんだよなぁ、てめぇら!」


 カウンターの男が、大きな錠前を取り出した。


「よぉし、幽霊左近の最新資料、持ってこい!」

「おうよ! 最新の分でいいよなぁ?」

「あたぼうだ!」


 シルヴィが、あたふたした様子で言った。


「あの……でも、もう資料は手に入ったようのですが」

「まあ待て、ねえちゃん。火山組よりも、うちのほうが詳しいデータを持っているんだ。ちょっと待ってくんな。そうだ、おい、てめえら。ついでに、あのお医者先生の検視結果も持ってこい。風林の男が、火山の連中よりも漢気があるってことを見せてやるんだよ!」


 それから、ほんの一分後のこと。


「これでどうだい?」


 と、男たちが肩を組んでたずねてきた。

 カウンターには、どっさりと資料が積み重なっていた。


「は、はい。もちろん、とても助かりますが……でも、よろしいのでしょうか?」

「いいんだよ。どうせ、火山の連中が先に渡したんだろう。だがな、こっちのほうが使える資料のはずだ。ここにゃあ住民たちの目撃談まで網羅してあるんだぜ」


 シルヴィは笑みを隠せないようだった。

 たくさんのファイルを持ち上げると、もういちど礼を残す。こちらのほうに向かって来たので、シンはあわてて外に出た。


「気ぃつけるんだぞ、連盟のねえちゃん!」


 そう、最後に男が大声を出した。


「幽霊左近のやつぁ、本物の極悪人だ! ねえちゃんみてぇな美人は、遊女じゃなくとも、やつの好物かもしれねぇからな。どこでもマスクするようにして、夜道はひとりで出歩かねぇようにな!」

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