第3話 セイレーン

その日、目を真っ赤に腫らした先生は何度も謝りながら帰って行った。


私の専属侍女アンナは清潔なリネンを用意してくれた。鎖を引きずったまま、部屋に付いている浴室に連れて行かれる。


シャワーなんて洒落たものではなく、大きな桶に溜めた水で体を洗う。何でだか分からないけど、アンナが手をかざすとお湯になった。フワフワと湯気が出ている。体を洗う時には乱暴に布で擦られたので皮膚がヒリヒリした。トイレについては聞かないで欲しい。


アンナはおばあちゃんと言ってもいい年齢だが無表情でニコリともしない。「ありがとう」と声を掛けても返事がないので無口な人なのかと思ったが、部屋の前に立っている騎士とは和やかに話をしていたのでショックを受けた。私とは話したくないということかと少し悲しくなる。


驚いたり落ち込んだり感情の起伏の激しい一日だったせいか、ベッドに入ったらあっという間に眠ってしまった。気がついたら朝だった。私、案外図太いのかもしれない。



*****



翌朝、部屋で朝食を取った後に先生がやってきた。私の顔を見て照れくさそうに苦笑する。ああ、照れ顔も素敵だ。


「昨日は取り乱してすまなかった。いい年なのに恥ずかしいよ。辛いのは君なのに」


「先生はおいくつなんですか?」


「私は四十三歳だ。君のおじいちゃんのようなものだよ」


いえいえ、前世四十一歳の私からしたらストライクゾーンです、とは言えない。


曖昧に微笑むと私は先生の目を真っ直ぐに見つめてお願いした。


「お聞きしたいことがあるんです。教えて頂けますか?」


「当然だ。私が答えられることなら何でも答えよう」


そして、先生は色々なことを教えてくれた。この世界のこと。私たちが住んでいるフォンテーヌ王国のこと。衝撃的なセイレーンの話も。


フォンテーヌ王国は小国であるが、海に面しているため港が多く貿易で栄えている。周囲を強国に囲まれているため常に侵略の懸念がある国だが、現フォンテーヌ王家は外交に力を入れ近隣国と同盟を結び、束の間の平和が訪れている状況だ。


戦争は多い。北は軍事国家のコズイレフ帝国に面し、東と西にはそれぞれスミス共和国とシュヴァルツ大公国に面している。コズイレフ帝国とは二年前まで戦争をしていたらしい。結果は引き分けで、その後不可侵条約を締結したが、いつそれが破られてもおかしくない状況なのだとか。


異世界といっても生活様式は中世ヨーロッパという印象だ。異世界ファンタジー系ラノベによくある設定・・・と言い切れるほど読んでないけど、姪が貸してくれた本の何冊かはそんな感じだった。


ここは魔法、魔力という不思議な力が存在する世界。人間だけでなく、魔族、獣人族、精霊族など、他の種族も存在する世界だという。


昨日私が耳にした『セイレーン』とは特に希少な種族のことだそうだ。『特殊な能力を有する人間』という分類だが、精霊族に属するという説もある。セイレーンと結婚した人間もいるが依然として謎が多い。想像を絶する特殊能力が伝承されているという噂もある。


私は希少なセイレーンの中でも更に希少な純血種で特殊な能力があるために、あのゲス侯爵に誘拐されてきた、らしい。


純血種のセイレーンの特徴は、完璧な造形の美貌だという。輝くような銀髪に赤い瞳。真っ白な陶器のような肌。基本的に不老不死の種族である。『基本的に』というのは、刺されたり病気になったりしたら、やっぱり死ぬ。混血のセイレーンは必ずしも銀髪になる訳ではない。目の色も赤でない場合がある。でも、やっぱり不老不死だ。


セイレーンの血を引くものは成長が完了した段階で老化が止まる。その状態で永遠に生き続けることができるのだ。


なんと幸せなことだと人は言うかもしれない。


しかし、考えてみて欲しい。誰かを愛し婚姻で結ばれたとしても、伴侶がセイレーンでなかったら、愛する人が老衰し、死んでいく姿を見送らなければならないのだ。自分は永遠に若い姿のまま。


その埋め合わせなのか、純血種のセイレーンにのみ許された能力がある。純血種のセイレーンは、自分でつがいを選ぶことが出来るのだ。初めてを捧げた人がセイレーンでなかったとしても、捧げられた番は不老不死を手に入れることができる。しかも、若かりし日の姿に戻ることも可能だという。


したがって、純血種のセイレーンは不老不死を望む人間から常に狙われている。しかも近年、純血種のセイレーンはほとんど存在しないため、その希少価値は計り知れない。


両親ともに純血種のセイレーンでないかぎり、純血種のセイレーンは生まれない。


純血種と混血のセイレーンの子供でも純血種にはならない。しかも、セイレーンは人口抑制の機能が働いているのか、子供が非常に出来にくい。長い長い人生で一人子供が出来たら運が良いと言われるほどだ。


なので、純血種で処女(あるいは童貞)のセイレーンはまさに一国に匹敵するほどの価値があり、高位貴族や王族ですら手に入れるために躍起になるという。


私はため息をついた。


「私はその純血種で、侯爵は不老不死になりたいから私と結婚したい、ということなんですね。それで誘拐されてきたと?」


「その通りだ」


先生は申し訳なさそうに俯いた。


「先生、マーガレットさんっていうのが、妹さんなんですよね?」


先生が頷く。


「マキシムさんは?」


「侯爵とマーガレットの一人息子だ。私には甥にあたる」


「侯爵は自分の妻と息子を殺すと?」


先生は頷きながら拳を握りしめる。


「マキシムは一人息子で侯爵には他に子供がいない。唯一の後継ぎだから殺すはずがないと思っていたんだが・・。君の能力で不老不死になれば後継ぎなど必要ないと思っているのかもしれない。甘かったな」


自嘲するように言う。


「でも君のような子供を犠牲にしてはいけない。何とか王宮に情報を伝えて君を助けてもらえるようにしたい」


「王宮に訴えた場合、すぐに助け出してもらえるのですか?」


先生はぐっと詰まった。


「正直言うと保証は出来ない。フォンテーヌ王国は南が海で、北はコズイレフ帝国に接している。コズイレフ帝国は強大な軍事国家で、我が国を常に狙っているんだ。フォンテーヌは小さいが豊かな国だ。主要な港町がいくつもあって貿易で利益をあげているからね」


私が頷くと先生は続けた。


「ブーニン侯爵領はフォンテーヌ王国の北方にあって、コズイレフ帝国との国境に接している。さらに悪いことにブーニン侯爵は帝国皇帝と血縁関係がある。侯爵とコズイレフ帝国が私的に同盟を結んでいるという噂もある」


なるほど。ゲス侯爵は国にとって要注意人物なのね。先生は悔しそうに話し続ける。


「そういった諸事情があり、実際に侯爵に手を出すのは難しい。下手に手を出すと帝国にフォンテーヌ王国を侵略する口実を与えてしまう。コズイレフ帝国との戦争は二年前に終わったばかりだ。王家は戦争を避けようとするだろう」


二年前に戦争が終わってようやく平和になったのに、また開戦はしたくないわよね・・。


先生の顔が苦しそうに歪む。


「侯爵は国の暗部を知っているので情報戦にも強い。君を救出するとなると秘密裏の軍事行動が必要になる可能性がある。すぐに救出できるかというと・・・正直難しいかもしれない」


先生は悔しそうに握った拳で自分の膝を叩く。


「ふがいなくてすまないっ」


先生が頭を下げる。


私は覚悟を決めた。


「先生。私は妹さんと甥御さんを犠牲にしたくありません。侯爵が情報戦に強いのならば、王家に私の情報が流れればすぐにバレてしまうでしょう。私は自分の問題は自分で解決したいです。だからそのために助けて下さい」


「助けるって・・?」


「私に必要なのは知識と知恵です。そのために色々教えて欲しいのです。文字の読み書きとかこの国の知識とか魔法とか。先生は魔法が使えますか?」


「それはもちろん。最善を尽くすと約束しよう。ただ、君の右手首に腕輪がはまっているね?」


銀色の輪が私の手首にぴったりとはまっている。これは何だろうって昨日から気になっていたんだ。


「その腕輪は魔力を封じるものなんだ。君がそれをつけている限り魔法は使えない。セイレーンはずば抜けて魔力量が多い。侯爵はそれを恐れたんだな」


私はがっかりして肩を落とす。


「じゃあ、魔法は習えないんですね」


「そうとは限らない。君は賢い。理論から学ぶことも可能だと思う。私も実際に魔法を使ってみせるし、何とかなると思うよ。ただ、その腕輪の外し方は分からないんだ。侯爵が得意げに『絶対に外せない腕輪』だと言っていたから・・」


「分かりました。それでも構いません。魔法の使い方が習えるなら嬉しいです」


腕輪ね。逃げるためには絶対に何とかしないといけない。ぴったりと手首にくっついている腕輪を注意深く観察する。継ぎ目も何もない。どうやってはめたんだろう?やっぱり魔法?


「腕輪と鎖って刃物で切れないですよね・・・?」


独り言のようにつぶやくと先生がこちらを見た。


「その鎖も腕輪も特別なものらしい。普通の刃物では切れないし、壊すのも不可能だと言っていた」


うーん、難問だ。


「忌み言葉の魔法ってなんですか?」


「監視に使われる魔法だ。例えば、この部屋で私たちが忌み言葉として設定されている言葉を使うと警報が鳴ったりするんだ」


「忌み言葉・・・?」


「うーん、例えば君がここに住むことが嫌で、何とかしようとしていることを示唆する言葉とか」


先生は慎重に言葉を選びながら喋っている。多分「逃げる」とか「逃げたい」とか「逃避」とか「脱出」とかそんな感じの言葉が忌み言葉なのだろう。先生と私が逃げる相談をしただけで警報が鳴るという仕組みか。なるほど、忌み言葉ね。前世だと結婚式に「切る」とか、受験生に「滑る」とか、それくらいの話だったけどね。先生と話をする時には気をつけよう。


先行きが見えなくてズーンと落ち込むが、何とか気持ちを奮い起こす。時間はある。考えるんだ。


考え込む私の頭を先生の大きな手が撫でる。やっぱり気持ちいい。安心するなぁ。


「私も君に聞きたいことがあるんだ」


「はい」


「君は自分のご両親とか家族のことを覚えているかい?どこで生まれ育ったとか?」


「それが・・・何も覚えていないんです」


そりゃもう綺麗に何の記憶もない。


100%平石理央の記憶だけですよ。本来のフィオナちゃんはどこへ行ったんだろう?私が体を乗っ取ってしまったせいだろうか?望んだことじゃないけど、非常に申し訳ない気持ちになる。


やるせない気持ちを抱えながら、そっと上目遣いに先生を見ると彼は何かを考え込んでいた。


「記憶喪失ということかな・・・?」


「・・誘拐されたことも何も覚えていないんです。気がついたらここにいて」


嘘はついていない。


「そうか・・・君は、三歳の幼子にしてはしっかりしているね?」


「そうですか?」


ドキッとする。そりゃ中身四十一歳ですから。


「冷静で聡いし状況判断も的確だ。普通はこんな状況だったら泣き叫ぶだろう。こんな子供で、しかも記憶喪失となると混乱があるはずなんだが・・」


ぶつぶつとつぶやく先生を見て、私は内心焦った。まさか前世の記憶を話す訳にはいかない。気が狂ったと思われる。沈黙は金なり。下手にごまかさず黙っていよう。


先生は首を振りながら、自分を納得させるように言った。


「セイレーンは知性が高い。きっと幼い子でもそうなのだろう。記憶は誘拐されたショックで一時的に消えてしまったのかもしれないね・・・君の親御さんのことも調べたい。何か思い出したことがあったら教えて欲しい」


私は微笑みながら頷く。いい人だ。


「何も覚えていないということは自分の誕生日も忘れてしまったのかい?」


「誕生日?」


先生はこの世界の暦について教えてくれた。驚くべきことに前世日本と全く同じだった。ここは本当に異世界か?


当然だがフィオナの誕生日は知らない。黙っていると先生は笑顔で言った。


「君にとって年齢は重要だろう。君が目を覚まして私と初めて会ったのが昨日だ。昨日は十二月十日だったから、それを君の誕生日にしようか?」


私は嬉しくなって頷いた。私の誕生日を気にしてくれる人なんて前世でもいなかった!


それ以来、私の世界は先生を中心に動いている。

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