第17話 何かあった気がする

「っていうことがあったんです。どう思います?」

「いや、何でお前ここにくるんだ」


 放課後、わたしはSクラスですっかり腫れ物扱いされている空気を感じながら、ユリシーズ先輩のいる教室へ向かった。そして、その教室――研究室の片隅でしゃがみこみながら愚痴を吐き出していたら、呆れたような声が遠くから飛んできたのだった。


「ミルカ先生が動いてくださるので、待っていれば何らかの結果が出るかもしれないんですけど、それまで学園を休みたい……」

「俺の話を聞いているか?」

「大体、わたしがSクラスってのがおかしいんです。もう、男爵家とか身分の低い人間は入れないようにしてくれれば平和なのに」

「聞いてないな」

「わたしはただ、お父様の呪いを解くことだけが目的で学園に通ってるのに。なのにどうして、後から後から後から後から」

「……」


 ユリシーズ様は研究室の片隅に立っていて、いつもと同じように彼の周りに防御壁を張り巡らせた状態で何やら実験の最中だった。でも、わたしという闖入者のせいで作業をとめられて、幾分か不機嫌そうに眉根を寄せている。それを見たら、凄くいたたまれなくなってしまった。

 本当、何でわたし、ここに……ユリシーズ様のところに来たんだろう。

 確かにこの学園内で少しは緊張せずに話せる『男性』ではあるのだけれど。でも、逃げ込む先としては――アリシアたちの方へ行く方が……いや、ちょっとそれは駄目か。今、彼女たちのところに行ったら絶対にウォルター様について言われるだろう。剣術の練習の見学に行ったらどうか、と急き立てられそう。


 でもわたし、どうしたらいいのか解ってないのだ。

 ウォルター様にどうやって接したらいいんだろう。

 Sクラスでも他人に接する方法が解ってないのに、さらに悩みが増えていく。

 もおおおお。


「……人間は差別をする生き物だからな」

 やがて、ユリシーズ様は手にしていた魔石と思われる小さな欠片を机の上に放り投げ、近くにあった椅子に腰を下ろしてわたしをみつめた。わたしは壁を背中に押し当ててしゃがみこんでいて、それを気にしたのか先輩は別の椅子を指で指し示した。

 わたしがのろのろと立ち上がって教室の片隅に放置されていた椅子に座ると、それを見届けた後に彼がまた口を開いた。

「身分や外見だけで、自分より格下だと判断した瞬間に態度が変わる。そういう人間は少なくない」

「外見……」

 わたしは思わず、ユリシーズ様の猫耳を見つめた。「ユリシーズ様も、その呪いのせいで何かあったんですか?」

「当然だろう」

 当然なのか。

 わたしが目を見開いて固まっていると、彼は苦笑を漏らした。

「呪い持ちというだけで、人間扱いはされなくなる。病気でもないのに、近くにいると感染するとか言われたりもした。俺は女性が苦手だが、女性だけじゃなくて人間不信になるには充分だった」

「……なるほど」

「身内に呪い持ちがいても同じなんだろうな。お前も、居心地の悪いクラスにいても、何の利点もないだろう。それに、表立ってケンカを売った形になるから、今後のことは……まあ、諦めろ」

「ううう」

 わたしは椅子の背もたれに身を預け、ずるずると滑り落ちていきそうになった。


 もう、本当にどうしよう。

 切り札である『権力を使う』は使ってしまった。それで、今後はどうすればいい?

 自分の身を守るのは、最終的には自分自身の手しかないのだ。こうして不安を抱えているのは、自分に『力』がないからだ。自分の立場を守れるだけの武器がないからだ。

 よく、努力は裏切らない、なんて言葉をよく聞くけれど、わたしも努力すべきなんだと思う。他人に尊重されるだけの能力を手に入れたら、Sクラスの人たちに馬鹿にされることもなくなるのかも?


「よし解りました、腐っても鯛、じゃなかった、わたしはヒロイン! 魔力量はチート並み、努力すればレベルも上がるしアイテムもぼろぼろ手に入る、幸運の星の元に生まれた女! 頑張れば勝てる!」

「何に勝つ気だ」

 わたしが椅子から勢いよく立ち上がり、拳を握りしめながら天井を見上げていると、ユリシーズ様がため息をついた。

 わたしはそんな彼に視線を向けながら言う。

「運命に勝つんです」

「いいこと言ったみたいな顔をしているが、全く意味が解らない」

「いいんです。理解してもらおうなんて思ってませんし」

「そうか」

「そうです。それに、きっと話しても誰も信じませんよ」

 わたしはちょっとだけ曖昧に笑いながら、また椅子に腰を下ろした。お母様やお兄様だって、最初はわたしがおかしなことを言い出した、と思ったのだ。だったら、他人なんかなおさら、だ。


「何だか解らないが、頑張れ」

 奇妙なものを見るような目つきだったユリシーズ様だったけれど、とうとう何かを諦めたような口調でそう言ってから、椅子から立ち上がって実験だか研究の続きを再開させた。わたしは彼の手元をじっと見つめる。

 どうやら、魔道具制作か何か? なのだろうか。

 魔石や金属っぽいもの、魔法書やペン、魔法言語を書き散らした紙の束、色々なものが机の上に置いてある。彼は真剣な表情でそれらを手に取り、ペンを手にしながら何か呟く。小さな魔法陣が彼の手元で生まれては消える。

 いいなあ、と思った。

 わたしはこの教室をぐるりと見回して、ユリシーズ様と同じような教室をわたしも借りたいな、と思ってしまった。ミルカ先生に交渉してみようか。

 それで、借りられたら放課後はそこに引きこもるのだ。いや、むしろ一日中引きこもりたい。


「あの」

 わたしはユリシーズ様の背中に向かって声をかける。「こうやって教室を借りることができたら、好きに機材を運び込んでも許されるんでしょうか」

「機材?」

「わたし、お菓子作りが趣味なので、鈴小麦とか金色バターとか炎色バニラとか持ってきたいんです」

「全部魔力持ちの食材だな」

「あと、愛用しているオーブンが屋敷にあるんですが、それと同じやつを運び込みたいな、なんて」

「交渉次第だろう」

 ユリシーズ様は作業の手をとめてわたしを振り返り、片眉を跳ね上げて笑う。「研究の一環としての理由があれば、何とかなる」

「解りました、やってみます」

 わたしは学園を卒業してからのことを考え、今のうちにお菓子作りの腕を磨いておこうと決めている。

 そして将来的に、わたしが売るお菓子は他のお菓子屋さんでは手に入らない、魔法効果のあるものにしたいと思っている。

 魔力を一時的に上げるお菓子は簡単に作れるけれど、それ以外のものも作りたい。

 確か、この学園の図書室には魔力食材図鑑や魔法料理レシピ本もあったはずだ。一部、貸出禁止のものがあったから、学園内で読まなくてはいけない。

 つまり、教室を借りてそこでその本を活用すればいい。


 よし、やろう。

 わたしはそう闘志を燃やしながら小さく笑うと、ユリシーズ様もどうやら笑ったみたいだった。可愛い耳がぴこぴこ動き、尻尾も揺れる。

 うん、いつか撫でたい。


 男の子だけど、ユリシーズ様は猫だから怖くない。

 多分。


 なんて、わたしが内心で考えていることをユリシーズ様が読むことができたら怒るかもしれないな、と頭を掻いた。

 そしてふと、彼がどうして女の子が苦手なのか知りたい、と考えている自分に気づいてしまった。さすがにそんなセンシティブな問題に踏み込むのは駄目だろう、と思いながらわたしは彼の手元を見つめ続けていた。


 そして次の日から、わたしは行動を開始したのだ。


 Sクラスの雰囲気は相変わらず最悪だった。机や椅子にいたずらをされることはないものの、代わりに完全無視が始まってしまった。わたしに攻撃的だった女生徒、嫌がらせに関わったらしい女生徒もわたしに視線を投げることもない。

 エリス様やウィルフレッド殿下はたまにわたしに声をかけたそうにしているけれど、それをベアトリス様が引き留めている。それはそれでありがたい。ゲームのストーリー展開から外れた方が、わたしとしては気楽だ。


 ミルカ先生はこの状況に顔を顰めつつ、「もうしばらく待ってくれ」と声をかけてくれた。うん、先生が敵ではないなら問題ないです。

 そして、わたしを気にかけてくれているミルカ先生の優しさに便乗し、研究のために教室を借りることに成功した。

「彼らを見返してやりたいんです。そのために、自分のできることをやりたいんです」

 と、魔法植物と料理に関するレポートをまとめて提出したら受け入れてくれた。

「ありがとうございます、ミルカ先生!」

 わたしが男性である彼と一定の距離を取りつつ感謝の言葉を告げると、先生は苦笑しながら頷いて見せる。そして、僅かに痛ましいものを見つめるような視線を向けたまま言った。

「精神的な問題があるなら、保健室にいきなさい。いじめによる心的外傷は、自分で考えているよりも深刻な場合が多い。相談に乗ってくれる人間が必要だあろう」

 ミルカ先生は根はいい人――いいハーフエルフだ。一件冷たそうに見える顔の裏で、優しさの片鱗が見えている。

 これでゲームの登場人物でなければ、わたしだってこれほどまでに警戒せずに済むのに、と残念に思う。


 でも。

 そうか、保健室。保健室の先生に相談すれば、男性に対する恐怖を和らげることができるだろうか。前世でもそういうの、あったよね? いわゆるスクールカウンセラーという存在だ。

 わたしの心の中に巣食う恐怖感を消す方法を知っているのなら、教えて欲しい。

 そして、前世の記憶を完全に取り戻す方法があるのなら、それも教えて欲しい。


 わたしは前世、誰かに――男性に殺された。

 でも、どうして?

 何かあった気がする。

 そして誰かが――。


 ――可哀そうにね。


 急に、誰かの声が頭の中に響いた。


 ――大丈夫。君から寿命は取らないから。


 わたしの――亜季の意識が消える前に、その人の真っ黒な瞳がこちらを覗き込んだ。それを唐突に思い出したのだ。

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