放課後寝たフリをしていると、それをいいことに先輩が◯◯してくる!

さーしゅー

前編

 誰もいない教室で、私は一人寝たフリをする。


 一時間前には、黒板を走るチョークの音や椅子を引く音、クラスメイトの笑い声とかで溢れていた。だけど今は、そのどれもがない。

 

 週の真ん中にたった一日だけなのだから、その日くらいは別々に帰ればいいだけの話。それなのに、私は一時間をこの静かな教室で過ごす。

 もし、待っている相手が、幼馴染の男の子や、サッカー部の先輩だったら、その一時間は必要不可欠な時間。だけれど、私の場合は、何にもならないことを知っている。

 

 これは言葉にできない感情だから。

 

 上の階から、微かに振動が響いた。


 委員会が終わったら、立ち上がって、礼をして、解散して。各々が廊下を歩いて行って…………。私はその様子をイメージしながら、耳を澄ます。すると、廊下を駆ける足音がだんだん近づいてきた。

 

 私は机に伏せたまま、深呼吸をする。

 

 そおっとドアが掠る音がしてから、微かな足音はが少しずつ近づく。足音が消えると、シトラスの爽やかな香りと、柔らかな体温を感じる。

 

未奈みなちゃん、起きてる?」

 

 寝ている私の耳に、ささやき声が響く。その声は何も反応がないまま教室に溶けていく。上の階からの音も、いつの間にか消えていた。

 


 ——頭の上にさらりとした感触。



 じんわりと温かい手のひらは、髪に沿うようにゆっくりと流れていく。

 

 ゆっくりと繰り返すその感触は、私をゆっくりと包み込んでくれるようで、この時間だけは、自分のおかしな感情を認めることができた。

 

 以前、先輩を待っている間にぐっすり寝てしまったことがあった。気づいた時には今みたく頭を撫でられていて、私は咄嗟に寝たフリで誤魔化した。早まる心臓を抑え、単に後輩をいたわる先輩の行為だと思い込んだ。その意味を聞こうならば、この関係は壊れてしまう気がしたから。


 それ以来、これが『いつもの』になっていた。私が寝ているのを確認すると、先輩は欠かさずに私の頭を撫でてくれた。


 だけど、今日の『いつもの』は終わるの随分と早かった。私の頭は物足りなさからか、スースーとした寂しさを覚える。

 今日は何か急ぎの用があるのかも知れない。私が起き上ろうか迷っていると。



 ——今度は指先にぬくもりが触れた。


 

 私の指の先一本一本を軽く摘んでみたり、手の甲にそっと温かい手を覆わせてみたり。人間の中でも、指の先は時に繊細な神経を持つと言う。その、細い指を触れられていて、何も感じないわけがなく、心臓の鼓動は先輩まで聞こえてしまいそうなほど激しい。

 

 その細い指はいつの間にか、私の指一本一本に絡みあう。そして、ぎゅっとやさしく握りしめられる。私の手は無意識に震え、火傷しそうなくらい熱くなっている。もしかしたら、寝たフリがバレるかもしれない。それでも、先輩の手が離れることはなかった。

 

 いつもと違うこの行為に、手の形。これらが何の意味を持つのか、私にはわからない。

 

「未奈ちゃん起きて! もう遅くなっちゃうよ」

 

 細い指が名残惜しげに私の手から離れていって、数分後。先輩の声が私の耳にしっかり届く。私はおおげさに体を起こし、目を擦ったり、背伸びをしてみたり。寝ていたことを必死にアピールする。

 

「……おはようございます、悠未ゆみ先輩。ぐっすり寝ちゃってました」

 

 長くて黒い髪に、整った顔立ち。私の瞳には、私の憧れを映す。

 

「週に一回なんだから、先帰っちゃってもいいのに……」

 

「先輩は知らないかもですが、ここで寝るの、結構気持ちいいんですよ?」

 

「本当に〜?」

 

「本当ですよ? 先輩も今から寝てみますか?」

 

「遠慮しとくよ。さっ、遅くなるし帰ろう!」

 

 もう何十回目かわからない、いつも通りのやりとり。だけど、私の指先には間違いなく、その感触が残る。私は、ギュッと自分の手を握りしめながら、教室を後にした。

 

 * * *


「だいぶ日も長くなってきたね〜」

 

 悠未先輩は、夕陽に染まる住宅街をぐるりと一周眺める。ちょっと前は、街灯に照らされていた通学路も、しっかり夕陽に染まっている。

 

「これだけ明るいと、まだ帰らなくてもいいような気がしてくるよね〜」

 

「どこか寄っていきます? と言っても引き返すことになっちゃいますが?」

 

「冗談だよ、冗談〜」

 

 先輩は軽く笑っておどけて見せた。だけど、その笑顔はどこか力なく見える。

 

「先輩……本当は行きたかったんじゃないですか?」

 

 先輩はふと足を止めた。つられて私も横に並ぶ。

 

「未奈ちゃんは本当優しいよね? なんでも私のことわかってくれる」

 

「そんなことないですよ。たまたまです……」

 

「そんなことないよ。とっても優しいよ」

 

 違う。優しいんじゃない。これだけ近くにいるから、分かってしまうだけ。その近くにいる理由さえ、先輩にとっては大変迷惑な理由だと思う。

 私は俯いた。夕陽に染まる私のローファーと、スカートと、手のひらと……。

 

 私は軽く駆けて、歩き始めていた先輩に追いつく。

 

「悠未先輩って、好きな人、いるんですか!」

 

「好きな人? ……うーん〜どうだろう」

 

 先輩は少し俯き、「ん〜」と唸る。

 

「上沢くんとかはかっこいいと思うけれど……好きかどうかはわかんないかな?」

 

 上沢くん。一年生の私でさえ知っている、サッカー部の上級生。別に先輩の口から上沢くんの名前が出てくることは何ら不思議ではないし、お似合いだと思う。

 ただ、私の言葉にできない感情が置いていかれただけ。

 

 

「上沢先輩……確かにかっこいいですよね」

 

 私の心情が伝わらないように、感情をこめずに言葉にする。

 

「未奈ちゃんもやっぱそう思うの?」

 

 先輩は突然振り向くと、私の瞳をじっと見つめてくる。

 

「わ、私はあんな女子倍率高い人とか論外ですけどね! そもそも私には好きな人いますし!」

 

「えっ? 誰々?」

 

「そ、それは、秘密です……」


「え〜……ヒント! ヒントは?」

 

「それ言ったら、答え言うことになるじゃないですか!」

 

「ここに恋愛には滅法強い先輩がいるんだよ? ここは是非私に相談してみるの、アリだと思わない?」

 

「ナシです! 先輩恋愛経験ないって言ってたじゃないですか? それともあれですか? 上沢先輩好きなんですか」

 

「んなわけないじゃん! だって私の好きなのは……」

 

「好きなのは……?」

 

 先輩はハッとしたように口を止める。こぼれてしまった言葉に、苦笑いをする。

 

「……ちょっと変な話になっちゃったね〜。私も秘密ってことでいい?」

 

「そうですね。お互い知らない方がいいこともあると思います」


 私は大きく頷きながら、大嘘をついた。

 本当は先輩に対して隠し事をしたくないし、先輩の好きな人は是が非でも知りたい。だけど、もし本心に口にしたなら……。

 

 そうなるくらいだったら、私は躊躇なく大嘘だってつく。


「帰ろっか」

 

 先輩は小さく呟く、少し歩みのペースを早めた。私はそれについていくのに必死で、気曲言葉を交わすことは無かった。

 

 気まずさだけ残して、二人別々の帰路に着いた。


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