第九話「突然の別れと白亜の館」

エーアの街から半日ほど歩いた先にある漁村。そのすぐ近くの海岸線を俺とノラは鼓動が一つになるかのように息を合わせて疾走していた。


視界に入ってくるのは、蛸男オクトバル─頭部がタコの二足歩行の人型モンスターだ。

デップリと太った奴らの毒々しく紫色に光る肌は、闘争の準備を告げるかのように、荒々しくうごめいていた。


「プシュゥプシュッ!(あの女を先に片付けろ!)」

「ブジュルルル!プシュッ!(わかった!地面の下から奇襲させてやる!)」


パッシブスキル、"言語理解"のおかげで奴らのやり取りを理解した俺はノラに警戒の声をあげる。


「ノラ、そこからすぐ離れろ!!」


俺の叫びが響き渡ると同時に、ノラは一瞬の躊躇ちゅうちょもなく風魔法をまとった身体で素早く宙を舞う。


次の瞬間、彼女の足元の砂浜が崩れ、全長10メートルはあろうかという海竜シードラゴンが猛然と現れた。巨大な顎が豪快に飛び出し、先程までノラがいた空間に噛みつく。


奇襲に失敗して怒り狂うオクトバルたちは蠢動しゅんどうするように海竜の周囲に集結する。

それを見て俺は奴らをまとめて片付ける一手を思いつく。手にしたのは、ケットシーの店で買い求めた"爆弾の実"だ。


「これでも喰らいやがれっ!!」


魔力を込めた"爆弾の実"を思い切り投げつけるとつんざくような炸裂音が響き、一瞬遅れて顔の表皮が裂けるかと思うほどの衝撃があたりを走る。


爆風に巻き上げられた砂煙が徐々に晴れていくと、見えてきたのはあたり一面に散乱する蛸の肉片と.....無傷のシードラゴン?!


テカテカと不気味に光る鱗には爆破耐性でもあるのか、わずかな擦り傷以外にはほとんどダメージを受けた形跡が見当たらない。

憎しみのこもった白濁色の瞳でこちらを捉えると、その巨体に似合わぬ速度で滑るように向かってくる。


空間震動エアリアルドライヴ


風の魔法をまとった彼女のハルバードの刃は、目にも留まらぬ速度で震動し始める。斧刃の周りの空間自体が歪んでいるかのように見え、ブレード全体が白熱の蒸気をまき散らしていた。


その間にも、奴の巨体が俺達に迫ってくる。海竜は、不気味な速度で砂の上を這いながらこちらに向かってきた。しかしノラはそれに全く動じることなく、足元から生じる強力な風に乗り、奴に向かって弾丸のように駆け出す。


一瞬で海竜の横腹まで距離を詰めたノラはハルバードを振り下ろす。金属が硬い肉を貫く音とともに火花が飛び散った。彼女は巨体を斬りつけたまま走り抜け、一瞬の間に奴の反対側まで駆け抜けていった。


〜〜〜

借りている小屋の台所で、小さな火の魔石から炎がパチパチと鳴り響く。

いつもならノラが夕食の支度をしてくれるが今日は珍しく調べものをしているらしい。


俺は彼女に代わって簡単な料理を作ることにした。


最近得たスキル、空間収納アイテムボックスから、魚や貝を取り出す。時間が止まっているアイテムボックスの中では、魚介類も新鮮な状態のまま保たれている。


この海産物は、蛸男オクトバルのせいで漁ができずに困っていた村の人々が感謝の意を込めてくれたものだ。

俺は不器用ながらも魚の下処理をした。この作業のために家事スキルを取得するのは、さすがにスキルポイントがもったいないと思って我慢する。


「出来たぜぇー」


俺が焼きあがった魚や貝の皿をテーブルに運ぶと、ノラは見ていた紙の束をサッと隠した。しかし、一瞬見えたその内容を俺は見逃さなかった。


(エーア市主催の船上パーティー?)


羊皮紙には魔術的な仕掛けがほどこされているようで、豪華絢爛な大型船がエーアの近海を悠々と進んでいる様子が写っていた。


ノラがこんな浮ついたイベントに興味があるタイプだったとは、と意外に思いつつ魚の身に口を付ける。

塩を振って焼いただけのシンプルな調理だが素材が良いのかとても美味い。俺は海の幸に舌鼓をうちながら、眼の前で神妙な顔をして座っている銀髪美少女との冒険の日々を思い出す。


ノラと共にパーティーを組み始めてから、気づけばもう1ヶ月強の時間が過ぎていた。

お互い「旅銀を稼ぐまでの間」という条件で始めたこのパーティー。初めは1週間程度のつもりだったが、あれよあれよという間に2週間、3週間とズルズルと解散を先延ばしにしてきた。


宿の女主人はいつまで居座る俺達、特にノラを薄気味悪がったが彼女の金払いは良く、普段使っていない物置小屋でこれほど稼げるなら......と渋々俺達の滞在を認めていた。


(Hカップ、いやこれIカップはあるんじゃねぇの。)


荒い布地の縫い目が千切れんばかりにピッチリとフィットとした彼女のふくらみを盗み見て俺は童貞特有の妄想をする。

彼女が少し動く度にその形状は淫らに揺れ動き、その肉感的な動きに思わず前かがみになる。


このまま彼女との生活がずっと続けば良いのになぁ。


最近になってノラは俺と二人だけのときはフードを外してくれるようになった。それは彼女が俺を信用してくれている証だと、俺は勝手に解釈した。感謝の気持ちと共に、ある種の緊張感が心の中に広がった。


どれだけ一緒に居ても、ノラの美しさには慣れない。俺はいつもドキドキとした感情に揺さぶられている。


彼女の魅力に理性を失いそうになるが、嫌われたくない一心からなんとか踏みとどまっている。

心の中で勝手に悶絶してるとノラが口を開いた。


「ここらでパーティーを解散しないか」


.......どうして?急に?俺、何か彼女の気に障るようなことでもしてしまったのか??


こっそり胸元を眺めていたのがついにバレたか?ノラが出ていった後、匂いを嗅ごうとベッドのシーツに深呼吸していたの見られてた??


クソ.......思い当たることがありすぎる.......!


突然の言葉に俺が過去の変態的行為を思い出してしどろもどろになっていると、彼女から夜風にあたりながら話をしようと外へと誘われた。


〜〜〜

歩き慣れたはずのエーアの街がいつもと全く違って見える。


「パーティーを解散するってのは......」

「別に深い意味はない。お前もこの一月半で金が溜まっただろう。連合王国アバディーンへの旅賃を払っても十二分に釣りが出るくらいには」

「それはそうだけど......」

「ちょうど明日、王国行きの客船が出るらしい。私の方は先に宿を引き払って帝都の方に戻ろうと思っている」


彼女の底冷えするような声を聞くと俺は目眩を覚える。

そりゃ元々船賃を稼ぐ間の限定パーティーとして組んだに過ぎないがいくらなんでもこれは急すぎる。せめて1週間後とか.......。


何か気に食わないことがあるなら教えて欲しい。


あ、ベッドのシーツの匂いを嗅いでたのは君の匂いを確認するためじゃなくて新しく購入した洗剤の香りがちゃんと残っているかを確かめていただけだヨ!

ホントだヨ!誤解されそうな行動をしてしまって、申し訳ナイ.......


俺が必死に脳内言い訳シュミレーターの演算を高速に回していると、先を歩く彼女がハタと止まった。


見つめる先には俺の似顔絵の載った手配書.......。あぁついにこの街にも貼られるようになったか。


手配書には相変わらず俺が"破邪の剣"を盗んだ大罪人であることや懸賞金を弾むことが明記されている。

唯一当初と違うのは記載の賞金額が当初の2倍以上になっていることだろう。帝国の連中もどこまでしつこいんだろうか。


「破邪の剣......あの剣がないことでどれだけの人々が苦しんでいるんだろう」

「え?」

「顔が良いだけの悪魔崇拝者め.......」

彼女が珍しく感情的に声を荒げる。


......気まずい沈黙。手配書を見つめていた彼女は、深い吐息をつくと俺に向き合う。


「クロダ」

「あ、はい」

「お前は良いヤツだ。短い付き合いだったが世話になった。旅路の無事を祈る」


ノラは目深まぶかに被ったフードから顔も見せずにそう言うと、すでに手元にまとめていた荷物と共に夕闇の街へ消えていった。


1人で宿に戻ると、手狭に感じていたはずの部屋がやけにガランと広く感じられた。


〜〜〜

エーア中心部にそびえ立つ市庁舎。黄色い魔石灯の光が照らし出す白亜の館は、昼間に見る清々しさはなく、不気味な静けさを湛えていた。


私は夕闇に紛れてその内部に忍び込んでいた。明日の夜に控えている市主催の船上パーティーの準備で、警備を含めたほとんどの人員が駆り出されている今、建物全体が静寂に包まれていた。


狙っていた通りの状況だ。


私の復讐の旅にクロダを巻き込むわけにはいかない。そう、覚悟を決めていた。しかし、肝心のパーティー解散について伝えることは中々できなかった。


クロダと一緒に居る時間を少しでも伸ばしたくて.......襲撃当日のギリギリまで粘ってしまった。彼からすれば突然の解散宣言だった。


嫌われてしまったな……と心の中で自嘲的に笑う。私の心は、顔だけでなく、心まで身勝手で醜い。


市庁舎内の構造については、買収した小役人から手に入れた設計図を使って事前にしっかりと頭に叩き込んでいた。迷いなく、市長室へと向かう。


部屋の中ではエーア市の市長、ロヴナが書類に目を通していた。


半年ほど前からこの自治都市で急激に頭角を表した彼女は、あれよあれよという間に権力の階段をかけあがり今では市のトップの座にまで上り詰めていた。


「あら、こんな夜更けにお客さまかしら」


ロヴナは顔を上げて、上品なべっ甲づくりのメガネをクイと持ち上げながら、こちらに穏やかな声をかけてきた。


一見すると物腰穏やかな教養あるマダムのような風体ふうていの彼女。

しかし自分の呪われた右目から感じる強い痛みが、眼の前の彼女がこれまで出会った中でも一二を争う強力な悪魔であることを告げていた。


「随分と都市貴族の皮を被るのが上手いんだな」


私がじっと睨みつけていると彼女は諦めたようにため息をつき、机の上にある宝石のあしらわれた豪華な菓子箱を開いてポリポリと何かをかじり始める。


(指!!!)


彼女は切断された人間の指を手に持ち、忌まわしい食事を楽しんでいた。


「コソコソ嗅ぎ回っているネズミがいるとは思ってたけど、何もうたげの前夜に来なくてもねぇ」


イライラとしたときはこれに限るわ、と人間の指を頬張るロヴナの顔がドンドンと青紫色になって膨らんでいく。皮膚には鱗が浮かび上がり、背中からはかぎ爪のついた異様な触手が伸びていた。


序列36位、セイレーンの女王、シルマリア!

その歌声で船乗りを魅了し、難破した船の船員たちを喰う海の悪魔!!


シルマリアは菓子箱に残る最後の指を愛おしそうに噛み締めながら、冷酷な笑みを浮かべた。

部屋全体を覆う息苦しさに圧倒されそうになるが、心の内に宿る燃えるような怒りが私に力をくれる。


空間震動エアリアルドライヴ


先端に風の震動をまとった槍斧が金切り声を上げ始め、腕にまでブルブルと震動が伝わってくる。

クロダとパーティーを組む中で、彼の腕に追いつこうと身につけたこの技でこれまでいくつもの魔獣をほふってきた。


私は足に風をまとわせ、一直線に奴の喉元に穂先を突き立てようと飛んでいく。


「馬鹿な娘ね」


シルマリアが口を開いた。音楽とも歌ともつかない美しくい旋律が彼女の唇から流れ出る。それは魔術的なメロディーで、心を引き寄せる魔力を持っていた。


旋律は波のように揺らぎながら、空間全体に広がり、私を包み込んできた。セイレーンの女王の歌声は、美しく、虚ろで、いつしか私の心を揺さぶり始めた。


まぶたがゆっくりと閉じられていく。瞳が移す世界が徐々にぼやけてきた。美しいメロディーに引き寄せられて、私の心はゆっくりと仄暗い深海のような精神世界へと引き込まれていった。


〜〜〜

あたりは静まり返り、唯一響くのはセイレーンの女王シルマリアの魔術的な歌声だけ。その邪悪な歌声は空気を震わせ、心に深く響く魔法の音楽がノラを狂わせる。


彼女の意識は、旋律によってゆっくりと眠りに落ちていった。先程まで荒れ狂う大火のような怒りが宿っていたルビー色の瞳も今はうつろだ。


ノラが完全に催眠状態に落ちたのを確認したシルマリアはテーブルの上にある呼び鈴をならした。

鈴の音が響くやいなや、部屋の中には彼女の眷属の悪魔たちが居並ぶ。


彼らは震え上がっていた。賊が忍び込んだことに気づかなかったのだ。

キツい折檻を受けさせられるだろうことは目に見えていた。


しかしシルマリアは配下たちに一向に罰を与える様子はない。それどころか脂肪のついた二重顎を震わせながら笑い始めた。


「至高の方から聞いてはいたが、まぁなんて醜い娘なんだい」


シルマリアはうつろな瞳をのぞかせるノラの顔を見て、腹を抱えて笑っていた。

自分の主人であるアモンからも話は聞いていたが、フェンリルの名家、レイブンの生き残りの娘はシルマリアの想像を遥かに超える醜さを備えていた。


シルマリアは他の上級悪魔の例に漏れず"醜い人間"が大好きだった。愛しているといっても良い。

不細工な人間が足かき、悪しざまに扱われることを見るのは、海でたぶらかせた男の肉をすすることよりも彼女のよこしまな精神を満たしてくれる。


シルマリアは眷属たちに、目の前のフェンリル族の娘の身体のサイズにピッタリ合ったドレスを仕立て上げるように命じた。


「明日の夜の余興で使うから、キリキリ働きな」


部下の低級悪魔たちは主人の機嫌が変わらないうちにと、必死にドレスの仕立てに奔走し始めた。


シルマリアは明日の船上パーティーに招く他の上級悪魔たちも、こんな醜女が存在することを知ったらと大笑いするだろうと今から楽しみにしていた。


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