間話 東雲とスイーツバイキング


「ただいま」


 ソファに寝転がって大学の図書館で借りてきた文庫本を読んでいると、外から東雲が戻ってきた。部屋に入ってきた東雲は速乾性のウェアとショートパンツという装いで、肩まで伸びた髪を束ねている。

 上気して赤みを帯びた肌とウェアがぴっちりと張り付いた肢体がなんとも艶めかしく、どこからどう見てもランニング帰りという様子である。

 まあ、そんな観察をしなくともランニングウェアに着替えたのはこの部屋だし、僕に走ってくると声をかけて出て行ったので知った話ではあるのだけれど。


「ふう……。ちょっとシャワー借りるね」


 東雲は呼吸を落ち着かせながらも流れるような動作でウェアとショートパンツを脱ぎ捨て、次いでウェアの下に身につけていたスポーツブラに手をかけると──。


「あたっ」


 僕が投じたクジラっぽいぬいぐるみが顔面に直撃したことで東雲は動きを止めた。なお、ぬいぐるみは北条が持ってきたパチンコの景品である。


「急にひどいなあ」


 東雲は床に落ちたぬいぐるみを拾い上げながらも抗議の声を上げるが、その表情はいつも通りでまったく気にした様子はない。

 僕はそんな東雲に呆れつつぬいぐるみを受け取ると、それでドアの方を指し示した。

 我が家にはそこらのワンルームとは違い洗面所兼脱衣所という素敵な空間が存在するのだから、脱衣はそこで行うように。


「部屋の中ならどこで脱いでもたいして変わらないよ」


 人目があるのと無いのじゃ大違いなんだよなあ。


「そう?青少年にを提供しようと思ったんだけどね」


 碌でもないことを言いつつも、脱いだ服を持って素直に脱衣所に向かう東雲。

 僕は東雲が止めなかったら本当に脱ぐつもりだったのかそれとも僕が止めることを見越して振りだけしてみせたのかしばらく考えてみたが、まったく判断がつかなかったので考察を止めた。

 西園寺のやつは意図的にセクハラしてくるタイプだし、北条のやつは本人にその気は無くとも男を勘違いさせてくるタイプだが、東雲のやつに関してはその辺の感覚が未だによく分からない。

 ぱっと見は交友関係は広いし人望があって、高校時代は生徒会の副会長という優等生タイプだし実際人当たりが良くて大人な人物なのだが、平気で下ネタを飛ばすし露出魔的性癖を隠そうともしない。

 そしてそういった行動を日常であるかのように行うので、僕はどういうスタンスで東雲に相対すればいいか分からなくなる時があった。

 交友関係の狭い西園寺や北条を自分の友人と繋げたり、僕もバイトを紹介してもらったりしていて頼れるやつではあるのだが……。

 ……まあ、いいか。

 東雲が真っ当な優等生だろうが天然露出魔だろうが対応がそう変わるわけではないし僕にも関係ない。とにかくもう、人前で裸になるのだけはやめてくれれば十分である。


「ただいま」


 そんなことを考えていると東雲がリビングに戻ってくる。相変わらず服も身につけず、バスタオル一枚しか身に纏っていない。バスタオルはまあ……セーフか?流石に下着はちゃんと身に着けているだろう、うん。

 東雲は部屋をまっすぐに縦断すると、掃き出し窓を開けてベランダに出た。そしてもはや我が家における東雲の定位置となったベランダに置かれたビーチチェアに寝転ぶと、傍らのサイドテーブルに置かれていたたばこのボックスからたばこを一本取り出しジッポライターで火を付けた。


「……ふう」


 宙に煙を吐き出して、至福の表情でくつろぐ東雲。ともすればだらしないとも取れる姿だが、身内の仕事ながらモデルもこなす東雲のプロポーションによってなんだか見栄えするから不思議だ。

 バスタオルによってあんまり隠れていない身体は均整が取れているし、バスタオルに守られてもいない白くて長い脚はスラリと伸びていて目にまぶしい。我が家のベランダには場違いな存在である。

 いや、この露出魔を解き放つとどこでどうなるかも分からないので、現状が一番いいのかもしれない。


「ああ、そういえばなんだけど」


 気持ちよくたばこを吸っていた東雲が思い出したように話しかけてきて、ぼんやりとその姿を眺めていた僕はおもわず内心どきりとする。


「次の日曜日は空いてる?」


 僕の様子に気がついているのかいないのか、いつもと変わらない調子で続ける東雲に気を取り直した僕は頭の中の予定表を引っ張り出すが、交友関係の狭い僕に遊ぶ予定なんてほぼ存在しないし牛嶋家の手伝いも予定していない。

 また臨時バイトの斡旋かと思って問うが、東雲は首を振って否定する。


「違う違う。ちょっと都心に遊びに行かないかなって」


 都心?

 僕は思わず顔をしかめた。

 田舎から上京してきてからというもの、僕が都心まで出かけたことは一度も無かった。わざわざ都心にまで出なくとも大学最寄り駅か近隣の街で買い物等は事足りたし、無ければネット通販で済む話である。

 それに、こっちの大学を受験した時にちょっと東京観光をと思って都心部に出向いたのだが、とんでもない人混みで快適に遊べる場所とは思えなかった。名古屋駅もそれなりに混みはするが、それだって駅と駅ビルの中ぐらいのことだというのに。

 僕が嫌そうにしているのを見て東雲が苦笑する。


「乗り気じゃなさそうだね……。有名な洋菓子店がやってるスイーツバイキングの招待券をもらったからどうかと思ったんだけど、まあ無理強いするものじゃないし──」


 行きます。


「ええ……」



    *



 日曜日のお昼を過ぎた頃、僕は待ち合わせに指定された都心某駅の駅前広場にあるオブジェの前に突っ立っていた。ピラミッドの側面からライオンの頭から前腕部までが飛び出している、正直意味不明なオブジェである。何かしらのいわれがあるのかもしれないが、興味は特にないのでわざわざ調べたりはしない。

 しかしまあ、日曜日ということもあるのだろうがとんでもない混雑である。駅から吐き出されたり吸い込まれていったりしている人々は途切れることがない。おそらく僕のように待ち合わせでもしているのだと思うがその辺に立ってスマホをいじっている人も数多く、信号待ちで往来の足が止まると駅前広場は何かのイベントかと思うぐらいぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 僕はもうここまで出向いたことを後悔しはじめる。

 そもそも、わざわざこんな場所で待ち合わせなくてもいつものように僕の部屋に泊まってみんなで移動すれば良いだろうに。


「やあ、おまたせ」


 そんな風に内心愚痴っていた所に声をかけられた。声の主を確認すれば東雲である。

 東雲はいつも通りのパンツルックでいつも通り泰然とした様子であるのだが、なんとなくいつもと違うように僕には見えた。

 おそらく、僕の部屋でだらしなく過ごしているこの女が都会の街に当たり前のように馴染んでいるように見えるからだろう。

 考えてみれば長身でスタイルの良い東雲が洒落た服装で都会を歩いていればそりゃあ絵になる。実際、道行く人々が東雲とすれ違い様に視線を釘付けにしてしまったばかりに他の通行人とぶつかったりしていて、見ている方はおもしろかった。


「どうしたの?」


 黙っている僕へ不思議そうに視線を向けてくる東雲に、なんでもないと首を振る。東雲もたいして気にしていなかったのか、そっか、と一言だけつぶやくに留める。


「それじゃあ行こうか」


 そして、西園寺と北条が来ていないのにそのまますたすたと歩きだした東雲を、僕は慌てて呼び止めた。立ち止まった東雲は何故か驚いた様な表情で僕のことを見たが、やがて納得したように頷く。


「ああ、そういうこと。今日ふたりは来ないよ」


 なんと?


「招待券はふたり用だからね。元々君だけを誘うつもりだったんだ。そもそも皆で来るつもりなら、全員揃ってる時に誘ってるよ」


 いやまあそうなんだろうけども……。

 別に東雲とふたりで行動することだって普通にあるしだからどうということもないのだが、狙ってふたりで遊びに出かけるなんてことは今までなかったんじゃないだろうか。他のふたりとだって同じではあるけれども。

 なんでわざわざ僕を引っ張り出して来たのかは疑問ではある。

 そんな思いが顔に出ていたのか、東雲が説明をする。


「ほら、なんだかんだ君にはお世話になってるし、せっかくだからお礼も兼ねてデートでもと思ってね」


 ふうん。

 僕が曖昧に頷くと、東雲は改めて僕を促しつつ歩きだした。

 とりとめのない雑談をしながら、東雲の言うデートの意味をちょっと考える。

 デートとは男女がふたりで出かけることを言うのだから、これが正しくデートなのは間違いない。しかし、ただ遊びに行くと言えばいいところをデートなんて言い方をするのはただ遊ぶ以上の思いがあるのではないか。

 そうすると東雲は──。

 そこまで思考して、僕は馬鹿馬鹿しくなったので考えるのを止めた。

 しょうもない勘ぐりをしたところで何かがどうにかなることもないし、それによって僕が態度を変えることは絶対にないのだから、わからないことを考えるだけ無駄なのである。

 それに、東雲にしたって別に深い意味があってデートなんて言葉を口にしたわけではないだろう。勝手に深読みして勝手に勘違いしても、僕が恥を掻くだけのことだ。


「都心まで出てきてくれるかが心配だったけど、まさかスイーツにあそこまで食いついてくるとは思わなかったよ」


 僕の内心などたぶん気がつかない様子で隣を歩く東雲が苦笑しながら言った。僕は考えていたことを全部放り投げて東雲との会話に集中することにする。

 僕自身、変質的になるほど甘い物が好きということはない。嫌いではないのであればありがたくいただくが、誰かに譲るのもやぶさかではない程度のスタンスである。それに、どちらかというと小食な僕がスイーツをたらふく食べたら多分胃もたれするだろうし。


「へえ、じゃあなんで?」


 東雲の問いに、僕は視線を宙空に向けた。

 ……男の子には、なんかケーキを阿呆みたいに食べてみたくなる時があるのだ。焼き肉とか寿司とかでもいいけど。


「ははあ……。それがちょうど今だったってこと?」


 東雲はあんまりよく分かっていないような様子問い返してくる。

 いんや。前々から何となくやってみたいな~とか思ってただけで、別に今だからではない。


「ええ……」


 食べ放題系って地味に値段が高くて、小食が行ってもコスパが悪いんだよなあ。男ひとりで入るには敷居も高いし。

 今回は無料な上に女連れだから大手を振って爆食できるというものだ。本日はスイーツのために朝昼も抜いて来ている。頑張って全種類制覇はしたいなあ、ふふふ。


「……まあ、そこまで喜んでもらえるなら誘った甲斐があったかな」


 ちょっと浮かれ気味の僕に東雲は苦笑している。ちょっと呆れられるぐらいの事は甘味の前では無意味である。

 それよりも僕は、東雲がスイーツバイキングなんてカロリーをひたすらむさぼる催しに来ることの方が意外だ。

 東雲は何気に健啖家ではあるがモデル業に支障がでないように食べるものや飲み物はけっこう選んでいて、炭水化物や脂質の多いものはあまり食べているイメージがない。体型維持のための運動も欠かさないし、スイーツなんてのは敵以外の何者でもないと思うのだが。

 僕の疑問に対し、東雲の答えはあっさりとしていた。


「チートデイってやつだよ。いつも節制してるんだから、今日ぐらい好き放題しておかないとね」


 ええ……。

 今度は僕が困惑する番だった。チートデイというのは食事制限ダイエットをしている人間が飢餓状態の身体を騙すために行うのであって、食事は選べども制限はあまりしていない人間が行うものではないと思うのだが……。


「一日ぐらいへーきへーき。それにカロリーなんて食べた分を運動して消費すればチャラだから」


 東雲はそうのたまうが、ケーキひとつ分のカロリーを消化するだけでも相当な運動量が必要なのではないだろうか。……まあ、今日の爆食が原因で東雲のお腹とか二の腕がぷにっとしても僕には関係ないか。


「あ、このビルだね」


 東雲の声に、ぼんやりしていた僕は慌てて立ち止まった。

 そのビルはどうやら商業ビルであるらしい。入口では人がひっきりなしに出入りしていて、入口から見えるビルの内部には僕に縁のなさそうな服屋が通路の向こうに林立している。明確な目的がなければ絶対に入ることはなかったであろう。

 僕はすたすたと入っていく東雲の後ろに付いて入店する。

 この手の商業ビルの基本構成通り、目当てのスイーツバイキングは最上階にあった。

 休日であるからかはたまた店の人気からか、店の前には並びの客がけっこうな数存在した。そしてそれらの客は大方が若い女性のグループであるか、男女のカップルのようである。

 ……今さらながらとんでもなく場違いな場所に来てしまった気がする。今までの人生の中で場違いさや疎外感を感じることは多々あったが、ここは今までの環境と一線を画する。東雲という盾がいなかったら近づくことさえできなかったに違いない。

 しかし、こんなに並んでいるとなると待ち時間がすごいことになりそうだ。東雲と一緒だということを勘案しても僕の精神力が入店まで持つかどうか……。だが、僕とてスイーツのためにわざわざこんな都心まで出向いて来たのだ。どれだけ時間がかかろうが、どれだけリア充オーラにこの身を削られようが耐えねばなるまい。

 僕が内心で悲壮な決意を固めていると、東雲は列の最後尾に向かわず店の入口まで歩いて行く。

 思わず列に並ばないのかと問うと、東雲は当然の様に答えた。


「予約を取ってるから大丈夫だよ」


 ううん、卒がない。

 これが本当にデートだったとしたら、僕は東雲にエスコートされっぱなしということになる。僕と東雲の性別が逆だったら僕は東雲にときめいていたかもしれない。現実はそうではないので段取りをしてくれた友人に感謝するだけなのだけれど。

 店内に入ると、お店の中は予想通り外と同じような客層であったし予想以上にピンク色で僕の場違いさを際立たせていた。


「いらっしゃいませ」


 近くにいた店員さんがにこやかに話しかけてくる。身に纏う制服がコスプレと見紛うばかりにメイド風の装いでさらにいたたまれない。


「すみません、十四時から予約していた東雲です」


 東雲の言葉に店員さんがレジの脇から予約表らしきバインダーを取り出して確認すると、笑顔で頷いた。


「東雲様ですね。はい、確認しました。本日はカップル席のご予約ですね?」


 えっ。


「はい」


 店員さんの言葉に驚く僕を他所に、東雲は当たり前のように頷いて招待券を差し出した。


「……はい、ありがとうございます。それではご案内します」


 僕が東雲に疑問をぶつける前に、東雲はさっさと案内されていってしまった。慌てて後を追いかけると、案内された先には過剰に装飾が施された二人掛けソファとミニテーブルが待っていた。


「今からお時間開始になります。それでは、ごゆっくりどうぞ」


 持ってきたお冷やを置いて店員さんが去ると、僕と東雲が残される。僕たちの左右の席もカップル席で、いちゃつきながらスイーツを楽しんでいる。

 とりあえず水を一口飲んで落ち着いてから、改めて東雲を問いただす。ふたりで来るからと行ってわざわざカップル席を取る必要はないだろうに。


「そうは言っても、そもそももらった招待券がカップル席用の券だったからね。他に選択肢は無いよ」


 しかし東雲の返答はあっさりとしたものだったが、それによって僕の抱いていた疑問も氷解した。

 東雲のやつは僕個人へのお礼だからといって、西園寺や北条を誘わないなんてことをするやつじゃない。東雲だって本当ならふたりも連れて皆で来たかったはず。しかし、手元にある招待券はペアチケットでかつカップル向けのものだった。

 それで仕方なく一応の目的である僕だけを誘ったのだ。本人はデートだと称してお茶を濁していたが、つまりそういうことだろう。

 それに気がつくと、今まで浮ついていた気持ちがすっと落ち着いた。

 慣れない都会とアウェイ感満載のリア充空間に怖じ気付いていたのだろうと自己分析していたのだけれど、どうやら東雲のデートという言葉に自分が思っていた以上に動揺していたらしい。

 西園寺や北条が今日と同じシチュエーションでデート等と口にしたところで適当に聞き流して済む話だっただろう。それはやつらがわかりやすい性格をしているからで、冗談であれば冗談と僕でもわかる態度を示してくれるからだ。

 翻って東雲は、その辺り僕には読めない部分がある。もちろん東雲がいいやつなことは今までの付き合いからでも十分理解してはいるが。

 東雲がそういうやつであるから、意味深な態度を取られると意図が読み取れずという思いにつながり動揺してしまったのである。

 いやまったく、穴があったら入りたいほどに恥ずかしい勘違いだった。このことは僕の黒歴史のひとつとして記憶の奥底に封印するとしよう。最近は酒の力を借りれるようになったので封印処理が簡単になったのだが、流石にスイーツバイキングで酒は提供されまい。それに今酔っ払ったら帰りが大変そうだし。

 とにかく今は甘味を楽しむとしよう。


「じゃあ早速行こうか」


 気を取り直した僕に、タイミング良く東雲が声をかけてくる。いつも通りな様子であるが、東雲のことだからもしかしたら僕の心情などお見通しなのかもしれない。まあ、そんなわからないことを考えても仕方がないだろう。

 僕たちは荷物を席に置くとスイーツを選びに向かった。店内中央には多種多様のスイーツが大量に並べられている。一応カレーだとかサンドウィッチみたいな軽食も提供されているようだが、そんなものには目もくれない。

 目標は全スイーツの完全制覇なので端からスイーツを取ってもいいのだが、途中で挫折することを見越して好きなものを選んで取り皿に移していく。西園寺辺りに見られたら日和ってると言われそうな行動であるが、僕は自分の胃に信頼を置いていないのである。

 取り皿一杯のスイーツとドリンクバーのコーヒーを手に席に帰還する。僕も相当な量を取り皿にのせているが、東雲も大概だ。東雲がこんなにもスイーツ好きだとは知らなかった。

 本人が体型維持のためにあまり甘いものを摂ってこなかったということもあるだろうが、こんなに大量の甘味を摂取しようとしている東雲を初めて見たような気がする。


「いただきます」


 隣に座った東雲がスイーツに手を付け始めたので僕もフォークを手に取って食べ始めた。さてどれから食べようかと取り皿の中の品定めをして、王道のショートケーキからいただくことにする。

 口の中に入れると、クリームの濃ゆい甘さと中に隠れていたいちごの酸味がかった甘さが僕の舌を支配した。ううん、甘い。

 一切れだけでサイズもそこまで大きくないのですぐに平らげたが、コーヒーで口の中をリセットしなければ舌にクリームの甘さが残りそうだ。

 コーヒーの助けを借りながら取り皿の上のスイーツを片付けていく。

 ティラミスにミルクレープ、モンブランにレアチーズケーキ。程度は違えどどれもただただ甘く、一皿目を完食した時点でちょっと辛くなってきた。

 僕は早々に全種制覇の夢を諦めた。こういうのは夢を見ているだけなら問題ないが、いざ実行に移そうとするとすぐに心折れるんだよな……。無理をすれば甘さとクリーム特有の油っぽさで気持ち悪くなりそうだった。

 とはいえせっかく招待されたスイーツバイキングだ。ちょっと食べて満足ですじゃ東雲に申し訳が立たない。

 せめて三皿目ぐらいまでは頑張ろうと思い、空の取り皿を持って席を立とうとした時にちらりと東雲の方を見る。先ほどから黙々とスイーツに向かっているので、やつもそろそろ皿が空く頃だろう。

 東雲は取り皿にのった最後のスイーツを口に運んだところだった。……のだが、心なしか咀嚼するのが遅いような?

 なんとなくそのまま見ていると、東雲は時間をかけてどうにかといった風にスイーツを飲み込むと、ポツリと呟いた。


「ちょっと辛くなってきた……」


 ええ……。

 予想外すぎる言葉に僕は困惑する。チートデイだなんだと言って食べる気満々だったはずなのにこの発言である。


「いや、正直甘いものはあんまり得意じゃなくて……。コーヒーで流し込めばいけるかなって思ってたんだけどやっぱり厳しいね」


 東雲は珍しく弱った表情をしている。

 やはり普段も甘味を制限していたわけではなく、単純に苦手だったらしい。それなのにどうしてスイーツバイキングの招待券なんてもらってきたんだこいつは……。

 とにかく、そういうことならわざわざスイーツを食べることはないだろう。ここには軽食だって揃っているのだからそちらを食べればいい。わざわざ苦手なものを食べる必要はないのだから。

 しかし、僕の提案に東雲は首を振った。


「いや、今日の目標はスイーツ全制覇なんだ。どうにか頑張って達成したくて……」


 はあ……。

 僕は東雲の意図がさっぱり理解できず、間の抜けた声を出してしまう。体型維持に気を配り、そしてスイーツが苦手だという東雲がそんな目標をなんのために建てたのかさっぱり理解できない。

 それこそ百害あって一利無しというものだろう。


「ええっと……」


 別に怒っているわけでもないのだが、東雲はしばし躊躇した後、何故か観念した様子で口を開いた。


「……弟がね。昔言ってたのを思いだしたんだ。いつかケーキの食べ放題で端から端まで食べ尽くすのをやってみたいって」


 ああ……、そういう……。

 普段であれば東雲の弟ネタを適当に流す僕である。しかし、いつもは平然とした様子でぶっ込んでくる東雲が神妙な面持ちをするものだから適当な対応が取れず、下手な相槌を打つことしかできなかった。


「うん。まあ、雑談の中で出た話だから本人もそこまで強く願っていたわけじゃないとは思うんだけど……。偶然招待券が手に入る機会があって、それなら姉としては代わりに叶えてあげようかなって」


 ううん、かつてないほどに重い……。

 ことある毎に弟の話を出してくるから仲は良かったのだろうとは思っていたが、これは予想以上に引きずっているらしい。


「……ごめん」


 僕が黙っていると、東雲が頭を下げてきた。

 いや、確かに反応には困ったが、謝られると謝られるで気まずいのだけれども……。


「君へのお礼のためだとか言って、結局私の都合で連れてきたみたいになっちゃったからさ。一応、お礼がしたかったのは本当なんだけどね」


 ああ、そっちか。別にそれについては問題ない。名目がお礼だろうが弟のためだろうが関係なく付いてきただろうし。


「でも……」


 どうにも最近はこんなことばかりだ。普段は家主たる僕に対して全然配慮しないくせに、みんな急にしおらしくしおってからに。

 僕としてはしめっぽい雰囲気があまり好きではないのでなんとかこの雰囲気から脱却したいのだが、はてさてどう言えば納得してもらえるのやら。

 ……しかし、男ってのはみんな考えることが同じなんだな。僕もスイーツ全種制覇は目標にしてたし。まあ、一皿目の時点で駄目そうなのが分かって諦めたけど。


「……そうなの?」


 場を持たせるために適当に出した話題であるが、思いのほか東雲は食いついてきた。雰囲気を変えるきっかけを掴んだ僕は、そうそうと頷きつつ続きを頭の中で組み立てる。

 男っていうのは時々馬鹿なことをやりたくなるもんなんだよ。寿司とか焼き肉とかスイーツとか、別に大食らいってわけでもないのにたくさん食べたいとか思ってるし、たばこだとか酒とかも健康に悪いのはよく聞かされてても手を出してみたくなるんだ。

 僕の言葉に東雲は大真面目な表情で頷く。


「確かに、弟も小食なのに家族で回転寿司行った時とかすごいテンション高かったな。延々とサーモン頼んでた」


 ああ、わかるわかる。僕も昔回転寿司で唐揚げばっかり頼んで母親にめっちゃ怒られたりしたわ。


「流石にそれは怒られて当然だと思うけど……。ふむ……」


 東雲は僕の方をまじまじと見つめながら何かを考えている。よく分からないがしめっぽい雰囲気はなくなったのでよしとしよう。


「……ひょろくて食が細い所といい、普段は妙に落ち着いてるくせに変なところで食いつきがいい私の一個下の男子……。実質弟と言っても過言ではないのでは?」


 ううん、それは過言だなあ……。

 場の雰囲気は上手く変えられたが、代わりに東雲が妙なことを言い始める。東雲は僕の突っ込みもスルーして納得したと言わんばかりに頷いている。


「最初に会った時からとっつきやすいなとは思ってたんだよ。春香と夏希が連んでるような人だからだろうで流してたけど、なんとなく弟に似てるからだったんだね」


 いや、僕は東雲の弟のことをほとんど知らないけど、そんなうっすらとした理由で弟認定されるなら僕の同い年は大体弟に似るんじゃないだろうか。


「確かにうちの弟はこんなにひねくれてなかったし、友達の輪にも普通に入っていける子だったかな」


 それ僕に対するただの悪口になってない?


「そんなことないよ」


 僕のジト目を笑って躱しつつ、けど、と東雲は続ける。


「やっぱり弟に似てると思うんだよね、姉としては。どこって言われるとはっきりとは言えないけど」


 ……まあ、本人がそう思いたいなら別にいいのだけれど。


「ん」


 否定するのも面倒になった僕に東雲はいつもよりちょっぴり穏やかそうな顔で頷いた。

 僕は本当に東雲の弟に似ているのかは比較する材料もないし正直わからない。実際に似ている部分があるのかもしれないし、東雲がそう思い込んでいるだけという可能性もある。

 それでもまあ、東雲がそれで納得するのであればそれも良しだ。僕は別に困らないし。たぶん。

 さて、とりあえず込み入った話も終わったし、スイーツバイキングを続けよう。全種類は食べられないかもしれないが、スイーツで腹を満たすことで満足しておくことにする。


「ちょっと待って」


 改めて席を立った僕を東雲が呼び止める。

 まだ何かあるのかと目で問うと、どことなく自信有り気な表情で席を立つ東雲。


「私に良い考えがあるんだ。ちょっとそのまま待ってて」


 東雲は僕を置いて中央のテーブルに向かった。よく分からないが、何か腹案があるようなので大人しく待つ。

 しばらくすると東雲は皿一杯にスイーツをのせて戻ってきた。そのままソファに座ると、皿に載っていたイチゴタルトを半分に割って片方を自分の口の中に放り込む。僕は東雲がコーヒーでイチゴタルトを流し込むのをただ見ているだけだ。

 新手のいじめかなにかだろうかと僕が考えていると、東雲が残ったイチゴタルトをフォークで突き刺し僕に向かって差し出してくる。


「はい、あ~ん」


 僕はとりあえず差し出されたイチゴタルトを頬張った。甘くて美味しいのだけど、パサパサしてて飲み込み辛かったのでコーヒーで流し込む。そんな僕を見て東雲は満足そうに頷いた。


「こうやってふたりで一個のスイーツを半分こにしたら、なんとか全種類いけそうじゃない?」


 なるほど。確かに量が半分ということならちょっと頑張ればいけるような気がする。


「でしょ?そういうことで、はいあ~ん」


 んぐ……。

 再びフォークを差し出された僕は、上にのったマンゴームースを食べる。

 僕が食べている間に東雲も残りのムースを口に運ぶと、それを食べながらも次のザッハトルテを切り分け始める。そしてまた切り分けた片方を僕の口元に……っていうか、僕が食べさせてもらう必要はないんじゃなかろうか。


「あるよ。君は弟の代わりなんだから」


 ああ、そういう立ち位置になったのか、僕……。別にいいけど、弟相手ならなおさら食べさせる必要はないのでは?普通姉弟でこんなことやってなかっただろうに。


「え?」


 えっ?



     *



 結局最後まで東雲に食べさせてもらいながら、すべてのスイーツをなんとかコンプリートした。

 店を出た僕たちは食休みを取るべく、喫煙所に向かう。

 同じフロアに喫煙所を見つけて入ると、僕たちはたばこに火を付けた。スイーツの甘ったるさとコーヒーの苦みを交互に味わって無茶苦茶になっていた味覚がもっと酷いことになったが、今さらかまうまい。


「いやあ、何とか食べきったね」


 スイーツとコーヒーでお腹がいっぱいになりヘロヘロな僕と比べて、東雲はいたっていつも通りな──、いや、どことなく機嫌良さげな様子だ。

 同じ分量を食べたはずなのにえらい違いである。

 まあ、これで東雲の弟への思いも少しは晴れただろう。

 しかし、思い返せば周囲のどのカップルよりもらしいことをしていた気がする。別に僕たちはカップルではないし、東雲はいたって真面目に弟のお世話をしていたつもりらしいが……。

 僕は先ほどまでの行いを思い返してちょっとげんなりする。知り合いに目撃されたわけではないし赤の他人からどう見られようが気にしない僕であるが、流石に辛いものがあった。東雲の弟君もあんな風にお世話されていたのだろうか。

 普通は嫌がりそうな気がするが仲は良かったみたいだし、東雲の弟だからなあ……。


「さて、今日のことは弟に良い報告ができそうだし、次は何をしようかな」


 たばこを吹かしながらぼんやりしていた僕は、東雲の言葉にぎくりとする。

 次というのはもしかして……。

 僕の問いに東雲は当然のように頷く。


「せっかくだから、弟がやりたがってたことは代わりに叶えてあげたいからね。覚えている限りやっていこうかなって。お金持ちになりたいとかそういうのは難しいかもしれないけど、バンジージャンプをやってみたいとか、どこそこに旅行に行きたいとか。そういうことならできそうでしょ?」


 な、なるほど。それはもちろん、東雲が自分でやるんだよな?

 僕の問いに、東雲はにこりと微笑む。


「もちろんそのつもりだけど、姉弟ふたりでやろうって話してたこともあるからね。その時は代理として手伝って欲しいかな」


 やっぱりかあ……。まあ、友達と遊ぶ延長だと考えれば多少は協力することもやぶさかではないが……。

 例えばどんなことをするつもりなのか。


「ううんと、例えば……。バイクでタンデムしようとか、ふたりでスカイダイビングしようとか話してたね」


 バイクはともかく、スカイダイビングかあ……。

 あまり高いところが得意ではない僕が大空を落下する自分を想望して身震いしていると、東雲は何を勘違いしたのか心配そうな表情で僕の顔を覗き込んでくる。


「ちょっと気分悪そうだけど大丈夫?せっかくだからどこかで一休みしようか。……そういえば弟がお城に行ってみたいとか言ってたな。ええっと、この辺でご休憩ができるお城は……」


 どう考えても普通のお城じゃない所を調べ始めた東雲を、僕は慌てて止めに入る。

 どうやら、僕がどこまで東雲に振り回されるのかは過去の弟君の言動にかかっているらしい。弟君が真っ当だったことを願うばかりだ。

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