輝きの底に身を沈める


 * * *



 結局、というか、案の定。

 その日、フィオリエはドレスを決められなかった。ドレスを実際に見る前までは真っ白がいい、それこそ花嫁のような、なんて言っていたものの、いざ現物を前にすれば、ぴったりくるものがなかなか見つからず、それじゃあカラードレスはと見ていったところで、やはり決められなかった。


「また明日おいで」


 寮での夕食の時間が近づき、私達は写真館を出なくてはいけなくなった。数日に渡って悩むのは珍しいことではないと、写真館の店主は言ってくれた。


 外はすっかり暗くなり、街灯が行き交う人々を照らしていた。

 光は全てに対し平等であるかのように、フィオリエの紫の蕾を照らし出す。


「なぁんか、これじゃないなって、なるのよね……」


 フィオリエは溜息を吐いている。並んで歩く私は、


「どんな風がいいって、イメージないの?」

「といわれても……お姫様みたいな?」


 きらりと笑って首を傾げる彼女は、まさに無邪気で何も知らないようなお姫様だった。


「でも、決まらないけど楽しいわね!」

「私は……少し疲れたかも」


 あの部屋が少し眩しすぎたのかもしれなかった。ドレスを選ぶフィオリエが眩しすぎたからかもしれなかった。


「じゃあ、明日は行かない……?」

「一緒に行くわよ、店を調べたの私だし……最後までつきあわないと、というか……」

「あはは! いつも振り回してごめんね!」


 やはり無邪気な彼女に、私は顔を向けることもできず、ただ正面を見て歩き続ける。


 ――やっぱり行かなきゃよかったと、後悔していた。

 ドレスを着て写真を撮れる店がある、どうしても行ってみたいけど、詳しいことはよくわからない……そうフィオリエから聞いて、彼女のために店を突き止めたのは私だったものの、全く、フィオリエは一体どこでこんな噂を聞いたのだろうか。


 振り回されるのが嫌なわけではなかった。

 むしろ、彼女と一緒にいるのは好きで、それが当たり前になっていた。

 だからこそ、ウェディングドレスを選ぶ彼女が、堪えてしまった。


 『花憑き』の彼女は誰とも結婚できない。

 でもウェディングドレスは、誰かの元へ行く花嫁が着るもの。

 死こそ、彼女は約束されているから覚悟はできているものの、ウェディングドレスだなんて――手が届きそうで届かない場所に行くようではないか。


 それが、嫌だった。


「こんなに遅くなっちゃったけど、晩ご飯のデザート、残ってるかなぁ」


 フィオリエは相変わらずのんきだ。貧乏揺すりをするように揺れると、頭の蕾も揺れる。


「きっと残ってるよ、あなたの分、一つくらいは」


 私はそれだけを答えて、後の思いを呑み込んだ。

 かつかつかつ、学院から支給された揃いの靴が、大通りの煉瓦の上で鳴る。

 いまはまだ、二人分の足音が寄り添っている。



 * * *



 翌日も、私達は学院からの帰りに、写真館『梟の目』に向かった。

 そして前日と同じく、ドレスが決まる様子は、やはり、ない。


 フィオリエはまず、昨日と同じく白系のドレスを再び見て回った。いくつかを合わせてみるものの、どれもしっくりこないらしく、首を傾げるばかりだった。続いてカラードレスも気になったものをいくつか合わせてみるが、やはりあわない。


 そもそもカラードレスの場合、フィオリエの紫色の蕾が、結構な厄介者になるのだ。

 おまけに彼女の蕾は、様々な色と形があると言われる『花憑き』の蕾の中でも、きっと珍しく、そして奇妙な形をしたものだ。糸錘を思わせる形で、頭からぴんと生えているその様は、まさしく「アンテナ」だ。


 珍妙な髪飾りに似たものがそこにある。ドレスにも様々な種類があり、どこかの民族風のものから、奇抜なものまであったが、どれも選ばれることはなかった。


 私が見守る中、彼女に似合うドレスもあった。これだけのドレスがあるのだから、さすがに数着は似合うものがあった。

 しかしフィオリエの趣味と一致しなければ意味がない。


「シリアンっ! 運命のドレスが見つからないわ……!」


 フィオリエが半分泣きそうな顔で振り返る。手にしているのは、薄紫色のドレスだ……大人っぽすぎて、彼女には似合わない。


 これも違う、これもだめ、と、まるで玩具箱を漁るかのようにドレスを見ていく彼女を、私は椅子に座って眺めていた。アシスタントさんが、紅茶を出してくれたのだ。だから休憩しているのだが、フィオリエはまだ探し続けている。彼女のために注がれた紅茶はもうぬるくなっているだろう。


「うう……でも、運命って、そう、試練を乗り越えた向こう側にあったりするものよね……これはどうかしら……」


 ……彼女は「運命」という言葉が好きだ。きっと、王子様やお姫様が出てくる物語によるものだろう。ルームメイトだからわかる、フィオリエはそういった本を好んで読んでいた。


 それにしても、運命だなんて。

 ――いつか運命の人が現れて、というのは、大半の少女が抱く夢だろう。


 けれども私は否定する。

 そんなものはない、と。


 はっきり口にしたのなら、フィオリエをがっかりさせてしまうだろうから、一度も言ったことはない。それでも運命なんてないと思う。

 ――私がフィオリエを想うようになったのは、決して運命なんかではないから。


 なかったのだ。それらしき瞬間が。運命だ、と思える瞬間が。そしていまですらも、運命だとは思っていない。


 ただルームメイトとなり、同じ部屋で過ごすようになって、いつの間にか、私はフィオリエのことばかりを考えるようになっていた。彼女と一緒にいたいと思うようになっていた。


 彼女が笑うと、何故か自分も満たされる。

 こういったことを、なんと言えばいいのだろうか。

 好きだとか、愛しているだとか、そういった感情はどこからやってくるものなのだろうか。

 ただ確かに、ここにある。


 ドレスが並ぶ海の向こう、フィオリエの紫色の蕾が揺れている。

 私に花はない。

 でもこの心は、まるで私に咲いた花だ。

 ――実ることのない、破滅の花。

 もしも誰かと添い遂げることこそ、少女にとって至上の幸福だというのなら、間違いなく破滅の花だ。


 ――フィオリエに対するこの想いを、依存とか、勘違いだとか、そう考えたこともある。

 だが違うと、私自身で結論を出した。

 私はもう、誰とも結婚する気はないから。


「シリアンっ!」


 不意に呼ばれて現実に戻される。フィオリエが目を輝かせながら手招きしている。


「ねえっ! これ! これどうかしら?」


 彼女が手にしていたのは、薄いピンク色のドレスだった。まるで絵本に出てくるお姫様が着ているかのような色。

 ……これは彼女の紫色の蕾と、合わないのでは?


「気に入ったの?」


 とりあえず尋ねてみれば、フィオリエはそのドレスを、私の前に持ってきた。

 カラードレスであり、一見その色も幼く思えたものの、その淡さや繊細な装飾はウェディングドレスとしても十分に輝けるドレスだった。


「これっ! 絶対シリアンに似合うわ!」

「何を言い出すのよ急に……」


 彼女のためのドレスを探しているというのに。


「ねえ! 着てみてよ!」

「フィオリエ、お店の迷惑になるからやめて……それよりドレスは決まったの?」

「うーん……シリアンのドレスを探しちゃってたわっ!」

「……」


 私は、絶対に、絶対にドレスなんて着ない。

 私はどこにも行かない。

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