透明人間に紫陽花

入野 沙咲

第1話

誰もいない庭に雨が降る。自室の窓に優しく着地するまろやかな雨粒。


困った。雨が降ると何もやる気が起きない。まるで体の運動を働き掛ける神経が死んでしまったかのように全く動く気が失せてしまう。


雨が降ると溶けてしまうのか、と母はよく私に怒鳴った。そうだよ、なんて脳内で過去の母に返せなかった返事をしつつ例に漏れず動く気が失せた私は今山の一隅にある木のコテージで寝転がっている。


礼儀の礼「レイ」という名前を私につけ、背筋正しく怠けずに生きていきなさいと私に指南した母は私の体たらくに呆れて何も言わなくなった。巷で怠け病と言われる精神病を患ってしまった私は母にとってはとんだ皮肉話だったろう。


祖母の遺した山であるここは初夏の爽やかな暑さを凌ぐのに最適で、しかも母と顔を合わせることがない。ここに来てからはずっとこの部屋に篭っている。


母のことは嫌いではない。ただただ自分の恵まれなかった環境と私を重ねて見て彼女なりに愛してくれていたのは間違いない。それは私も理解しているつもりだ。


気だるさを感じながら少し上体を起こす。

ベッドのある自室の窓からは庭が一望でき、鮮やかな色合いの紫陽花に雫が滴るのを見ていた。そんな花々を見ながら無意識に誰かを想う。


私には特定の“誰か”が寄り添ってはくれない。いつも薄氷の上を歩くように行き当たりばったりに“誰か”に甘えては自分の存在を確かめる。


私は他人を通さなければ自分を確かめることが出来ない弱い人間だ。他人に認められることで初めて自分の存在意義を感じるタチ。私はどれだけ息をしていて、心臓が動いていたとしても人に認知されていなければ死んでいるものと同じだと思っている。


人に認識されず、クラス全員から無視されたことのある私だからこそ行き着く考えだとは思うが。


とにかく私は人と関わっていなければ不安になる。認知されているか心配になる。それでも人と関わりすぎると緊張で薬を飲まなければやって行けない時がある。つまり人と関わりすぎるのもしんどい。


そんな自分勝手な気性がある私には当たり前だが今まで寄り添ってくれる人はいなかった。


気性を正直に話して裏切らないよ、なんて言ってくれた人はいたが、卒業と同時に早々連絡がつかなくなった。あの人は元気だろうか。


まあそこからこの気性を人に話すことはなくなった。


私は幸いにも悪くない容姿を持っていた。だからそれを利用して相手の望む人格で接し、褒めそやされて捨てられるのを何回も繰り返していた。


そういう方法でしか人と関わることが出来なかった。不器用だから。そして、褒められると自己肯定感が上がるから捨てられても何も思わなくなった。


でも、それももう10年もすれば通用しないだろう。このコテージに咲く花々のように旬が終われば枯れて見栄えが悪くなる。きっと今のように容姿を盾に人に容易に甘えられる時期は遠ざかってゆく。


そうなれば紫陽花に滴る雫が朝になれば蒸発するように誰にも知られることなく静かに私の存在は消えてゆくのだろう。リミットは近付いている。


『誰か私をみつけて、あいして。』


今日も無機質な小さな画面を指で叩く。届くことない小さな大きすぎる願望を乗せて。

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