第39話 飛月

             飛月


俺の名前は飛月未来。将来に希望を持ってほしいという願いを込めて父親がつけてくれた名前だ。

・・・・・・俺は未来に何か残せただろうか?

俺は誰かに覚えていてもらえるだろうか?

俺という人間が、もう人間と言い切っていいのかもわからないけど、みんなのために頑張った存在がいたんだって誰かが覚えていてくれれば、俺の今までの行為はきっと報われてくれるはずだから。


・・・・・・

深い、深い・・・・・・どこまでも続く闇。

身体が沼に沈んでいくような感覚。これはきっと嫉妬の沼。

相手と比較するたびに囚われ、足掻くたびに身体を持っていかれてしまうそんな底なし沼。

頑張ったのに、なんで私ばっかり・・・・・・

誰かがいなければ、あいつさえいなければ・・・・・・

あの人に比べて俺は、あの子にさえ会わなければ・・・・・・

アイツの容姿がカッコよくなければ、私の身体が動きさえすれば・・・・・・

いろんな人たちの声が聞こえる。様々な感情が俺の沈んだ沼の中に混在しているようだ。

ああ、これはきっと人類すべての嫉妬。俺はそれを食らい続けた獣の身体を手に入れたのだ。

儚く、悲しく、寂しい感情。それは嫉妬。

最終的に現実を拒んでも、拒んでも自分が何かに、何者かに劣ることを許容してしまったがために陥る永遠の沼。


いや、拒んでいるという行為そのものが、この沼に引きずり落されている証明なのかもしれない。

俺もその一人だった。俺はただみんなに喜んでほしいはずだったのに、気づけば俺を見てほしくて、褒めてほしくて、なのに・・・・・・なのに・・・・・・

寒い。

身体の芯が一気に冷やされていく。どうやら終わりが来たようだ。

長きにわたり抗い、藻掻いてきたこの沼に、俺はとうとう力なく沈みゆく。


ああ、何もかもが無駄であった。希望なんて、期待なんてしなければよかった。

そんなものがあるから、自分にはできるなんて思わなければ、自分なら守れるなんて思わなければこんなにつらい思いをしなくて済んだのに。

寒い。全身が凍え、凍り付いていく。

もう・・・・・いいか・・・・・・

俺も頑張ったよな。いろんな人に傷つけられて、母親を傷つけて、自分さえも傷つけて・・・・・・

でも、最後の最後だけは・・・・・・あの地獄のような日々は俺の人生の中で一番楽しくて、幸せな時期だった。

皆がいてくれて、龍治さんがいて、アルトがいて、園田さんがいて、いい人たちに恵まれて本当に良かった。

もう眠ろう。もういいだろう。十分頑張ったよ。

そこは光の入らない底なしの世界だけど、俺は十分なほど光を与えてもらった。

自ら命を絶ち、嫉妬に生き、嫉妬の世界で死ぬのならそれが俺の運命なのだろう。

俺はそれを・・・・・・受け入れよう。


「・・・」


「・・・!」


「・・・・・」


「・・・・・!」

声が聞こえる・・・・・・もう誰かもわからないけど声が聞こえる。

誰かが俺を呼んでいる。俺の名前を叫んでいる!

行かなきゃ・・・・・・

助けに行かなきゃ!


2月3日

飛月が強化人間として覚醒してから一日が経過した。

俺は飛月が強化人間で在るという事実を知ってから一番恐れていたこと、それは自らの手で人を・・・・・・仲間を殺めてしまうこと。

それは罪深い・・・・・・いや、それ以上に意志の宿らない死後に改造され作られた強化人間にとって一番辛いことだから。

自ら守ってきたものを、自らの手で破壊してしまう。俺はそうなる前に飛月を止めてやりたかった。最悪、あいつを俺の手で殺してしまうことだって考えていたのだ。

だが、アルトはそれを否とした。あいつは必ず止めると俺に飛月の残したノートを見せに来た時に俺に言い放った。

正直不可能だと思った。俺が見た強化人間は殺してしまう以外に止める手段がなかったからだ。


しかし、アルトは止めてくれた。自分の命の危険を顧みずあいつは飛月を一時的かもしれないが人間態に戻すことに成功した。俺の知っている前例をひっくり返したのだ。

自分がみすぼらしくて、情けない。前例に囚われ、希望や可能性といったものを期待し動くことができなかった。

大人として情けない限りだ。


「ミスター・アルト、大丈夫でしょうか?」


「わからない・・・・・・抑止の力と一体化が始まり、傷の回復が早まっているというのはあるが昨日のダメージは普通であれば死んでいてもおかしくない。だが、あいつはまだ生きている。本当にギリギリのところであるし、今も尚、目を覚まさない」

腹部を貫かれ、背骨を砕かれ、普通の人間であれば即死であるがアルトの身体はもう人間のそれではない。だが、今回に限ってはそのおかげで一枚をとりとめている。


「これがキャプテンの言っていた、恐れていた事ですか?」

長倉が不安そうに嘆く。


「いや、アルトのおかげで事態は最悪寸でのところで止めることができた。人間態に戻ることができた飛月を拘束、科学技術班にあらかじめ作ってもらっていた冷凍カプセルの中で・・・・・・」


「永久に眠っていてもらう・・・・・・ですか」


「もしかしたら紫の力、たまりに溜まった負の感情が少しでもなくなるかもしれない。そうすればあいつはまた少しでも人間として生きられるかもしれない。俺はそれに賭けただけだ。それに、間接的にとはいえ、あいつをあんな姿にしてしまったのは俺の責任でもある」

強化人間は様々な動物や植物を模した姿に変化し、その力を行使する。

飛月が変化したそれは恐らく、オニヤンマであった。

鬼のような屈強な顔つき、黒の身体と黄色の模様を持ち、他の昆虫を食らうトンボの中でも特別大型な種である。


そしてその姿は、俺が初めて倒した獣と見た目が酷似していたのだ。

俺が討伐し、現場に一部だけ残った獣の残骸をリード達が回収し、それを飛月の死体に移植したというのならば辻褄が合う。


「俺があの時に回収さえできていればこんなことにはならなかった・・・・・・」


「キャプテンのせいではありませんよ。これは・・・・・・誰の責任にもならないんですよ・・・・・・」

やるせない。すべての人を守ろうとしている俺が、たった一人の仲間も・・・・・・ましてや子ども一人守ることができないのか?

俺が自分の力不足を嘆いている刹那、本部全域に警報音が鳴り響いた。


「何事だ!?」

俺の通信に答えたのは科学技術班の原田だった。


「りゅ・・・・・・龍治さん。飛月君が、カプセルを壊して出ていきました・・・・・・」


「なんだと!?すでに全身が凍り切っていたはずなのに何故だ!?」


「わ、わかりません。これが人間としての常識を超えた強化人間の力なのかもしれません!」

飛月・・・・・・アルトが動けない今、俺が行くしかない!

俺がアルトの代わりにあいつを止める!


「どこへ行こうというんですかキャプテン!」


「飛月を止めに行く!アルトが動けない今、俺氏か飛月と戦えるやつはいない!」


「何を言っているんですか!?強化人間について知っているのはアナタだけなんです!指揮系統がいなくなれば本部は硬直してしまいます!それにキャプテンはもう獣、いえ、紫の力を持った存在と戦えば命はありません!そうなればすべてをミスター・アルトに背負わせることになってしまいます!」


「グッ・・・・・・!」

やるせない、やるせなさすぎる!俺はどこまで無力なのだ・・・・・・

「行かせてやってくれ!旦那!」

本部会議室の出入り口の方からアルトの声が聞こえてきた!

ヤブに肩を預け、肩で息をしながら救護室からやってきたのか!?


「あいつは・・・・・・自分の運命を変えるために・・・・・・大事なもんを守るために行ったんだ!」


「何故それが・・・・・・ハッ!」

今日は2月3日!飛月のノートには『2月3日を許すな』と書いてあった!

それはきっと2月3日にも飛月の大切な人に何かが起こるということだ。

「そういうことなんだ旦那・・・・・・それにもう運命は、変わっている・・・・・・あいつは俺を殺すことができなかった・・・・・・それが何よりの証拠だ」

確かにそうである!110回に飛月はアルト殺害と書いていた。今まではアルト死亡であったのにそこだけ殺害だったのだ!

つまり、すでに110回目の時点で限界は来ていたのにも関わらずあいつはずっと耐え続け、その上にアルトを殺すことができなかったのだ!

運命は変わった!アイツはもう、ただの強化人間ではない!


「そうだ!アイツは、飛月未来は・・・・・・人間。人間なんだ!」


向かう。俺の名前を呼ぶ方へ向かう。

俺は空を飛び、月明かりに照らされた地上を見渡す。向かう先は廃墟、紫色の霧に覆われているあの場所が俺の助けを呼んだ人のいる場所だろうか。

何か音が聞こえる。あの中で誰かが戦っているのかな?

霧のせいでよく見えない。俺は霧を払うために大きく翼を羽ばたかせた。

霧は晴れてそこには人間が4人ほどと仲間がいた。

大きなモグラのような姿をした、俺の仲間。

きっとアイツが助けを呼んだのだ!


「なんだ空に何かがいるぞ!」


「何・・・・・・あれ?」


「・・・・・・!こいつだけで十分に強いというのに」


「待ってください、皆さん・・・・・あれ、どこか人に見えませんか?ほら、手とか足があって・・・・・・」

人間たちが何か言っている。だけど何を言っているのか全然わからないや。

でも、一人だけすごく見覚えがあるような・・・・・・すごく大切な人がいるような・・・・・・

俺は地上に降りて、人間たちの方へ歩く。その人の方へ向けて足を動かす。


「園田さん、危ない!化物がそっちに!」

園田サン・・・・・・?園田さん・・・・・・?

俺はその人の方へ歩み続ける。


「待って、はるかちゃん。コイツは今までのやつと何かが違う!」

俺はその人の方へ歩き続ける。そしてようやくたどり着いた。

園田さん・・・・・・園田さん・・・・・・園田さん!


「ソ・・・・・・ダサ・・・・・・」


「ソ・・・・・ノダサ・・・・・・ン」

俺は先ほどの黄色い髪の人間が言っていた単語を繰り返す。

単語・・・・・・名前・・・・・・?


「未来・・・・・・君・・・・・・?」

ミライ・・・・・クン?未来君?

あ、そうだ。そうだった。

俺、この子の事好きだったんだ。想いを伝えないと!

だけど、後ろの方がうるさい。先ほどの仲間のモグラが暴れているようだ。

仲間・・・・・・?違う!あんなの仲間じゃない!俺はあんな化物なんかじゃない!

俺は・・・・・・俺は人間だ!

鋭く尖った爪を園田さんに向けてモグラが振りかざしてきた!


「園田さん!危ない!」

黄色い髪の人間が叫ぶ。そんな事、わかっている!

俺はその爪を手で抑え込んだ!

とんでもない力だ!前にアルトと戦った時よりの何倍も強くなっている!

今の俺では・・・・・・勝てるかどうかわからない。

アルト・・・・・・?そうだ!俺はあの人と園田さんを守るために戦ってきたんだ!

守らなきゃ!守らなきゃ!俺が園田さんを守るんだ!

腕にエネルギーを込めて一気に手に力を入れて抑え込んだ爪の一本をへし折った!

そして俺は追撃でモグラの顎元に拳を入れ、モグラはその衝撃で後ろへとひっくり返った。


「ど、どうなっているんだ!?仲間割れだと!?」


「化物が化物と戦ってる!?」


「もしかして、私たちを守っている!?」

人間たちが何か言っているようだが、園田さんは何も言わずにただ俺を見ていた。

「アアアアアア!!!!!!」

俺は倒れこんだモグラの目に向けて拳を打ち付ける。目を奪ってしまえば攻撃は当たらない。ギリギリの理性の中で考え抜いた一つの勝ち筋だ。

何度も打ち付ける。目から出てくる紫色の血も気にせずに。

瞬間、俺の身体が飛んでもいないのに持ち上がった。

モグラの剛腕に翅を掴まれてしまった。殴りつけることに夢中になったせいか俺は周りが見えていなかった。


「ギャアアアアアア!!!!!!」

翅を力の限りに引っ張られる。痛い!痛い!イタイ!イタイ!

ブジリという肉が切れる音と共に俺は地上へと落とされてしまった。

背中に感覚がない・・・・・・翅をもがれてしまった・・・・・・イタイイタイ

仕返しと言わんばかりにモグラが俺の身体を踏みつけてきた。何度も何度も・・・・・・。胴体に、全身に痛みと重みと衝撃が入り呼吸ができない・・・・・・体から、口から紫色の血が吹き上がる。イタイイタイイタイイタイ

もうやめてしまえばいい。もう無理だ。誰も救えない。期待なんてしなければ傷つかないのに。身の程をわきまえればよかったのに。


沼が・・・・・・人類の嫉妬が混在したあの底なしの世界が俺の身体と心をさらに深く、もっと深い場所へ誘おうとしてくる。

だけど・・・・・・だけど!俺はッッッッッッッッッ!!!!!!!!


「マ・・・・・・モルンダァァァァァァァァ!!!!!!!!」

モグラの踏みつけから、体を回転させて避ける。だけど、踏みつけのせいで機能しなくなっていた左腕だけが踏みつけを回避できなかった!


「ア・・・・・・アアアアアアアア!!!!!!!!」

イタイ・・・・・・痛い・・・・・・動けない!腕が邪魔だ!!!!!!!!

俺は勢いよく身体を再び回転させる!グジャリという音を立てて腕がもげてしまった。だけどモグラの踏みつけからは脱出することができた!

血しぶきが舞う。命を運ぶ心の臓が鼓動する。その鼓動が巡らせるのは赤き命の流(ながれ)。

そうだ、俺は人間!嫉妬の化物なんかじゃない!俺は・・・・・・人間だ!


「ガアアアアアアアア!!!!!!!!」

翅を奪われ、飛ぶことを許されない人間は抗う。最後まで俺は人間としての拳を握る。

黒く染まった、赤血に染まった身体を奮い立たせて俺は沼から這い上がる。

化物を倒すには心臓のような器官を体から取り出すしかない。飛べない俺はモグラの態勢を倒すために足を殴りつける。

何回も何回も、やつが倒れるまで打ち続ける!


・・・・・・眩暈がする。死に神は寸でのところまで来ているようだ。

まだだ・・・・・・もってくれ・・・・・・

遂にモグラはその巨体を維持できなくなり、倒れこんでしまった。

だが寄りにもよってうつ伏せに倒れてしまった。打ち付けた拳はもう原形をとどめていない・・・・・・


「アアアアアアアア!!!!!!!!」

だけど、やらないと守れない!

俺はモグラの背中に飛び移り、心臓の位置の部分を噛み切り始めた。

分厚い筋張った肉を噛み千切る。そのたびに紫色の化物の血が吹き荒れる。口が切れ、顎が砕け赤い血が宙に舞う。痛い・・・・・・痛い・・・・・・

俺はそれらしきものまでたどり着き、それを噛み取った!

モグラの身体が紫色のヘドロのようになりながら溶けていく。

守った・・・・・・守り切ったのだ・・・・・・

俺は園田さんを守ることができたんだ・・・・・・

血を流しすぎたのかな・・・・・・もう立ってられないや・・・・・・

誰かが駆け寄ってくる。でももうよく見えない・・・・・・


「未来君!未来君!」

あ・・・・・・園田さんだったんだ。

無事でよかった。


「なんで・・・・・・どうして・・・・・・?」

伝えないと。君に想いを伝えないと俺はきっと死にきれない・・・・・・


「園田・・・・・・さん・・・・・・ずっと、好き・・・・・・でした」

やった・・・・・・伝えられたよ。

もう十分だ・・・・・・頑張ったからさ、もう、いいよね・・・・・・?


「・・・・・・待ってよ。ズルいよ。アタシの返事も聞いてよ・・・・・・未来君・・・・・・アタシも、君が好きだったの。いろんなことを背負って不器用でも生き続けた君が好きだったの!未来君・・・・・・ねぇ未来君。ありがとう。アタシたちを守ってくれてありがとう・・・・・・」

あ・・・・・・嬉しい。嬉しい。

最期に俺が感じたものは嫉妬の辛さや守り切った達成感でもなく、冬の寒さで冷たくなった愛した人の涙であった・・・・・・




・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紫色の底なしの沼に蓮が咲き誇る。きっとそれは飛月未来の命。

彼は最期の最期で自分の罪を昇華し、その命を以て愛した人たちを守り通したのだ。

人ならざる身で昇華を行うなんて・・・・・・いや、彼はきっと誰よりも人間だったのだ。15年という短い命を懸命に生き、嫉妬に狂い、人として天寿を全うした。

ありがとう、飛月君。アルトを守ってくれて。僕はもう君たちを見守ることしかできない・・・・・・

だから君も見守っていてくれ。君の処遇は必ず僕が何とかする。必ずまたこの世界に生まれてこられるようにするから・・・・・・

どうか、その魂よ・・・・・・安らかにお眠りなさい。


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