第2話 齧歯の彼岸からー1

 チンチラをのぞくとき、チンチラもまたこちらをのぞいているのだ

 『齧歯の彼岸』より


 蟹骨格警官がカニばさみをふるって船長を連行したのは月面での出来事だ。俺たちが過疎化した月に潜む非合法な組織から金塊を受け取ったあと、地球への旅に備えて、静の海のローカルコンビニで買い出しをしているときだった。

 灰色と青を混ぜたような暗い藍色の外骨格を厚いフェルト生地の制服で包んだ蟹骨格警官どもがコンビニに大挙して押し寄せた瞬間、俺はちょうど便所にいたから助かった。

 暗い青のカニばさみの背で船長は殴られ、真っ赤な血と一緒に手にしていた合成うにパンが宙を舞う。便所の扉の隙間からそれを目の当たりにして、俺が普段やっていること……金塊や海産物の密輸が死刑ものの重罪であることを初めて自覚したのだ。


「くそ!権力のイヌ……いやカニめ!おまえらも死ね!」


 やけになった船長がしょぼい旧式のピストルで蟹骨格警官を撃つ。蟹骨格どもに人間向けの武器など効くわけがない。案の定、暗い青の外骨格が安っぽい弾丸をはじいた。弾はレジで固まっていた店員の頬を弾がかすめ、店員はへたり込むようにカウンターに身を隠した。


「抵抗だ」

「抵抗をしたな」

「意図を確認せよ」

「自由を奪え」

「カニばさみだ」

「カニばさめ」


 蟹骨格警官どもがハサミを振り上げる。蟹骨格警官は何人いてもすべて同じ顔なのでさっぱり見分けがつかない。連携がとれた動き、不気味なほどに同じ声だ。あっという間に船長はカニのハサミで殴られ挟まれ、ピストルを床に落とした。


「なんでカニなんかに!」


 船長が叫んでいる。蟹骨格警官。二足歩行のカニ。人間を取り締まるために地球のワタリガニから造られた生き物だ。故に情などない。


「俺のせいじゃない!もう一人いるんだ!そいつに脅されてやっているだけだ!」


 クソ船長!一匹の蟹骨格警官が細長く鋭いとげが並んだハサミで船長を拘束し、ほかの連中があたりを見回している。おれは夢中で便所の小窓を壊し、外に這い出した。それから死に物狂いで輸送船のコクピットに転がりこみ、船長の見よう見まねで輸送船のエンジンキーを回し……チンチラのロボットが……。


 頬が痛がゆい。何かが俺の頬の上をひっかくような感触がする。


「うう・・・・・・」

「おきましたか。これはカイカイの礼です。チンチラはチンチラなのでカイカイにはカイカイをかえします」


 長いヒゲを揺らした灰色の毛玉ねずみが俺の肩に乗っている。イカれたAIチンチラはしばらく俺の頬を甘噛みし、それから前足で長いヒゲを引っ張るように整え始めた。胸を張るような妙なポーズでヒゲをしごいている。最後に片手で鼻をこすって、どうやら身支度は終わりらしい。


「おなかがすきました!」


 チンチラは短い前足をちょんと胸の前で揃え、灰色のホウキのような尾を横に大きく振っている。犬のようにうれしさを表しているのか、猫のように不快さを表しているのか。俺にはわからない。


「腹?充電切れか?おまえ、自分でケーブルくわえて充電してただろ」


 船長が蟹骨格に連行される前、こいつは充電量が少なくなると専用のケーブルをくわえてコクピットの隅で静かにしていた記憶がある。

 そう船長がいたころ、こいつはごく普通の航行補助用AI搭載の毛深いロボットだった。船からのアラートを合成音声で伝えたり、こちらが問いかければ、たとえば航路の状況をたずねれば星路規制情報を教えてくれたりするような、よくあるガジェット。たださわり心地がいいだけのチンチラの形をしたロボットだったはず。

 チンチラは後ろ足で立って、ぷるぷると体を震わせた。


「あなたが給餌なさい。よき人間はチンチラの食事にこころをくだくものです」

「・・・・・・やめろ!地味にいてえ」


 チンチラは両前足で俺の頬をしゃかしゃかと素早くひっかく。俺がのろのろと操縦席のハーネスを外すと、チンチラは俺の肩と膝とコントロールパネルを経由してほこりっぽい床に降り立った。まるで縁日のスーパーボールのような動きだ。

 ふらつく足で床を踏みしめる。体中が軋むように痛い。足の周りをうろつくチンチラを踏まないように気をつけ、床に無造作に伸びている充電ケーブル類の中からAI搭載ロボット充電用のコネクタをつまみ上げ、チンチラに差し出す。


「ほら。これでいいか」

「うまうまです」


 チンチラは両手で充電コネクタを受け取り、先端をくわえた。まん丸だった眼が細くなり、夢中になってコネクタを吸う姿は本当に電気を食べているようだ。耳を伏せ、背中を丸めてうっとりと眼を細める姿はあまりねずみらしくない。どちらかというとだるまに似ている。


「もういらないです」

「あっ!」


 勢いよくコネクタを床に捨て、チンチラは四つ足で駆け出す。まるではじけるポップコーンのように床の上で何度かジャンプしまくっている。チンチラは動きも感情もめまぐるしくて、とてもついていけない。


「なあ、さっき何したんだお前」


 狭いコックピットを跳ね回る毛玉に俺は話しかける。納得しがたいが、蟹骨格どもから逃げおおせたのは、どうやらこのチンチラを名乗るロボットのおかけだ。


「ワープしました!」

「ワープ装置!そんなもんがこの船についていたのか!」

「船長がつけました!」

「へえ……」


 違法である。こんな月と地球を往復することぐらいしかできない小型輸送船にそんな装置をつける必要はない。ワープ時の負荷に耐えきれず船が分解する可能性もあり危険なので禁止されているはずだ。そんなことは免許を持ってなくても知っている。

 あのクソ船長は俺を安くこき使い、蟹骨格どもに追われてまでカネを集めて何を目指していたのだろうか。思い返してもカネに汚かったこと、よく手が出ること、まれにアガリがいいときは焼き肉を食わせてくれるが肉の焼き加減を全部俺に丸投げしていたことしか思い出せない。


「船長は……その、お前がただのロボットじゃなくてチンチラ?だっていうことは知っていたのか?」


 おかしな質問になってしまった。跳ね回っていたチンチラはじゅ!っと一声鳴くと慌てたように壁に据え付けられた棚と棚の隙間に入り込んだ。ほんの五センチもないような隙間にもこもこの体がねじ込まれて、ふさふさの尻尾まで消える。


「おい大丈夫か!」


 思わず隙間に手を入れようとするとギィ!と鋭い鳴き声と一緒にギラギラと黄色く光る前歯が見えた。隙間の奥でチンチラは叫ぶ。


「きらいです!チンチラはきらいです!」

「おい……」

「船長はチンチラにやさしくない!きらいです!」

「わかった!もうあいつの話はしない」


 なだめようとしてもチンチラはギィ!ギィ!と何かのサイレンのように鳴くばかりだ。


「落ち着いてくれ……なあ頼む。俺が悪かった!」

 

 ギィギィ!ギ!ギ!ギ・・・チンチラの警戒鳴きが止まらない、いやこれは船室のスピーカーから鳴っている。

 慌ててモニターへ目をやる。前方は静かな星の海だが、船のバックカメラからの映像がおかしい。巨大な青白い触手が暗い宇宙を滑るように近づいてくる。この輸送艇を捕食しようとするかのように八本の触手がうねっている。二列にならんだ白い吸盤、こいつは蟹骨格警察所属のミズダコ警備艇だ。


「おわりだ…・・」


 警備艇のタンパク質とビニールと金属を混ぜて作られた柔らかい腕が輸送船後部のコンテナにとりつこうとしている。コックピット後ろのコンテナが絡んだ触手に引っ張られ、ジョイントが軋む。

 バックカメラからの映像は触手の中央にある禍々しいくちばしが大写しだ。これを船に突き刺し、やつらは侵入してくるだろう。バックカメラが柔らかいミズダコの皮膚に埋もれ、映像はブラックアウトした。


「母ちゃんごめんなさい……」


 いまも足立区のアパートで母さんは俺を待っているのだろうか。俺は地球から遠く離れた訳のわからない座標上で犯罪者として命を落とそうとしている。親不孝の極みだ。


「ジュ!」


 俺を叱るような鳴き声。棚の隙間に挟まっていたチンチラがもぞもぞと這い出し、床で腰を抜かしている俺の背中を音もなく駆け上がった。俺の頭を蹴り、コントロールパネルの上に着地し、素早く警報のスイッチを切る。警告音に紛れて気がつかなかったが、無線の呼び出しランプがチカチカ光り、か細い呼び出し音が鳴っている。まさか蟹骨格警官が通話を試みているのか?馬鹿な、あいつらは異星のテクノロジーでこっちの無線を乗っ取り、一方的に人間を断罪する存在だろう。

 チンチラがふすふすと無線機のスイッチのにおいを嗅いでいる。俺はやっと立ち上がり、無線機のスイッチを通話側に倒した。


「こ、こちら荒野のチンチラ号のミヤモトです」

「こんにちはミヤモト。自分は蟹骨格のワタリだ。お前に聞きたいことがある」


 蟹骨格が名乗った。おかしい。蟹骨格警官に名前なんかあるわけがない。あいつらは法がカニ人間の形をしているような連中だ、個などない。それに蟹骨格警官が人間に対して、聞きたいことがある、なんてマイルドな聞き方をすることもない。

 あいつらは人間を取り締まるために造られたミュータントだが、人間が造ったものではないので人間に対する遠慮や情を持ち合わせていない。そんなことは子供でも知っている。必ず絵本や親からの寝物語で習うからだ。それは大体こんな話だ。

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