第9話 道行きの商人〈上〉
上がりっぱなしの跳ね橋を見て、レントはため息をついた。
「イシュカ、この橋も通行止めだ」
「ほんとだ~。最近多いね」
極河と対を成す天江の広さに、三年前に飛び出した龍江の村を思い出したのも最初だけ。天江を越える橋を探して上流から下ってきたのに、ここの橋も上がっていて通行止めになっている。最後の希望もうち砕かれれば、少しばかり気が滅入るのもしかたない。
「どうしよう。ここもだめだと、常天から行かないと虎途には行けないけど」
「常天は嫌~。あそこ、幻獣除けの結界ががちがちだもん。通るの、すっごく難しいんだよ」
「だよなあ」
嫌がるイシュカと増水で濁っている川を見て、レントもうなる。
二人の目的地はこの天江を挟んだ向こう側、虎途。武陵の村々を転々としている時、虎途の話を耳にする機会が多かった。武陵もだいぶ巡ったので、ちょうどいい頃合いだろうと虎途を目指していたのに。
運が悪いことに川が増水。場所によっては橋が下りていたり、船が渡っていると聞いていたのに、まさかの全滅。
イシュカがレントを見下ろす。
「やっぱり僕が泳ぐ?」
「だめ。もし見られたら面倒だろ」
「じゃあどうするのさ」
イシュカの本性は水棲馬ケルピーだ。どんな激流の川でも、自由自在に泳ぐことができる幻獣。橋を探したり、船を見つけるなんてまどろこしいことなんてしなくても、こんな川くらいひと蹴りで向こう岸まで行ってしまうのは知ってる。
でもそんなことをして、もしイシュカが幻獣だって知られたら。二人は現在進行形で幻獣を討伐する軍士からお尋ね者扱いをされている身なので、大変困ったことになるのは間違いない。
レントはそう思うからこそ、イシュカが泳ぐのだけは絶対だめだって反対しているわけで。
「虎途行きたい~。砂漠があるんでしょう? 交易も盛んだって言うし、珍しいものもいっぱいあるはずなのに~」
「ごねるなよイシュカ。大人げない」
「虎途行きたい~」
地べたに座りこんでごね始めたイシュカの横で、レントは地図とにらめっこ。渡れる橋か船着き場を探して来た道を戻って野営をするか。それとも今日はもう近くの村に行って宿を借りるか。
どっちがいいか考えていると、不意に馬のいななきが聞こえた。
レントは顔を上げて振り返る。イシュカもごろんと寝っ転がって後ろを逆さに見た。レントは行儀の悪いイシュカの腹をちょいとつま先でこづく。
馬のいななきとともにやってきたのは一台の馬車だ。
馬車はレントたちのすぐそばで止まると、御者台に乗っていた男が身軽そうな動きで降りてきた。
「あちゃー、ここもか」
金色の髪は上半分をきつく編み込み、下半分を刈り込んでいる。肌の色が浅黒いのに、空色の瞳はどこまでも澄んでいて魅惑的。服装も毛皮を着る武陵の人々とは違い、龍江の人のような薄い服を着ている。でも服に描かれた文様は龍江のものとは全然違う。レントの視線はその珍しい出で立ちにくぎづけになった。
「ここは通れないよ~」
「そうらしいな」
イシュカが体を起こして男を見上げる。
男はうなじに手を当てると、首や肩をまわして凝った体をほぐしはじめた。
「上の橋が全滅になっていたからここまで来たんだが……思ったよりも天江の増水は深刻なみたいだな」
「あんたも虎途に行きたいのか?」
「ああ。うちは交易商でね。武陵の鉱石を買いつけてきたから虎途に戻るところなんだよ」
「虎途!」
男がレントの言葉に同意すると、イシュカが目を輝かせて立ち上がった。商人だと言った男はイシュカの様子を見てしたり顔になる。
「お前らも虎途に行こうとしているのか」
「そうだよ~。だけどこのありさまでさ~」
三人の視線が川へと向いた。視線には泥まじりで轟々と流れる大河。遠目から見ればゆったりと流れているように見えるのに、足もとの草を川に流してみればあっという間に数間流れていく。
こんなところに落ちたらひとたまりもない。
三年前、川に落とされた時の記憶がよみがえって、レントはぶるりと体を震わせた。イシュカが目ざとく気がついて、レントの背中からなだれのように覆いかぶさってくる。レントはその重さにちょっとイラっとしながらたたらを踏んだ。
商人の男は向こう岸を眺めている。その視線がレントのほうを向くと、じゃれあう二人を見てくつくつと喉の奥を震わせた。お前ら仲がいいなと空色の瞳が物語っていて、レントはちょっと気まずくなる。
「こうなると常天経由でしか行けないなあ。これも何かの縁だ。虎途に行くなら乗せて行ってやるぜ」
「え、いや、おれたちは……」
男は幌がついていた馬車の荷台に乗りこむと、ごとごとと荷物を移動させて荷台を整理しはじめた。二人分の空間を作ると、ひらりと荷台から飛び降りる。
「遠慮はしなくていい。ほら乗った乗った。運賃は君たちの旅の話でも聞かせてくれ」
「わあっ!?」
「ありゃ」
レントの足が宙に浮く。服に隠れていた男の腕は意外と逞しく、腕一本でレントの身体を抱き上げてしまった。びっくりしたレントが反射的に男の首にしがみつく。イシュカはそれをのんびりと見送って。
「少年、軽すぎるぞ。しっかり食べてんのか? 長旅は身体が資本だ。ほら、あんたも来なよ」
男は抱き上げたレントを御者側から荷台に乗せた。
しばらく目を白黒させていたレントだけれど、同じようにイシュカが乗りこんでくると居心地が悪そうに腰を下ろした。
男はその様子を見て快活に笑う。尻が痛くなるからと、荷台に丸まって落ちていた毛布を手繰り寄せてイシュカに渡した。イシュカはそれを自分の尻の下に引くと、レントの腕をひっぱる。レントの身体がすっぽりとイシュカの膝の上におさまった。
男が馬を走らせる。ゆっくりと馬車の車輪も回りだして荷台が大きく揺れ始めた。
「俺は鉱石商人のヤーモンだ。お前たちの名前は? 出身はどこだ?」
「僕はイシュカ。こっちはレント。出身は龍江の北のほう。極河沿いのどこかだよ」
「なんだ、自分の村の名前も知らないのか?」
ヤーモンが一瞬だけレントたちのほうに視線を向けた。すぐにその視線は前を向く。そういえば村の名前なんて知らなかったな、と思うレントのうしろでイシュカはのんきに笑った。
「そうだよ~。間抜けでしょう?」
「ははは! 自分で間抜けと言うか!」
ヤーモンが大口を開けて笑った。イシュカののんきな性格をヤーモンは気に入ったらしい。楽しそうに体を揺らしている。
ひとしきり笑ったところで、ヤーモンの質問が再開した。
「で、二人はなんで虎途に行きたいんだ? 龍江からこんなところまではちょっと買い物っていう距離でもないだろう。その荷物の少なさでは商人でもないようだし」
「え~、それ聞いちゃう?」
レントはイシュカを見上げる。それに気づいたのか、御者台のヤーモンを見ながらイシュカはぽんぽんとレントの金色頭を撫でてきた。
ヤーモンがにやりと口の端をあげ、好奇心に満ちた空色の視線を背中越しに流してくる。
「もちろんだとも。知っているか? 商人は知りたがりなんだぜ?」
「それは知らなかったや。うーんでもなあ……」
ちらりとレントをうかがうイシュカ。仕方なくレントは口を開いた。隠すことでもないし。
「おっちゃんは神様とか信じる人?」
「おっちゃ……いや、まあ、お祈りして金回りがよくなるならいくらでも祈るけどなあ。ほどほどにだ」
ヤーモンがちょっと顔をひきつらせた。でもすぐに咳ばらいをして答えたのは、商人らしい即物的な考え方だった。
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