第7話 軍士のアーヴィン

 朝早くから、パズーの家の戸が大きく叩かれた。

 ようやく朝一番の仕事も終わり、みんなで朝食を囲おうとした時間。土間にいたパズーがその戸を開ければ、村長の息子がにやつきながら立っていた。パズーは怪訝そうに眉をしかめる。


「こんな時間になんの用だ。うちも今から朝飯なんだが」

「朝飯よりも大事な用があるんだよ。軍士様方がこの付近で怪しいやつを見なかったかって言うもんで、ちょっとね。お前んとこ、よそもんがいるだろ」


 いけしゃあしゃあと言う村長の息子に、パズーがいつもの態度を崩さないよう慎重に対応する。

 部屋の奥でその声を聞いていたレントは、パズーと話す声が自分を川へと突き落とした男のものだと気がついてぶるりと身を震わせた。レントのわずかな怯えの感情に気がついたイシュカが、顔をのぞきこんでくる。


「どうしたの?」

「な、なんでもない……」

「なんでもなくはないでしょ」


 ほっぺをむにっとつままれたレントが、抗議するようにイシュカの腕を叩いた。イシュカはしっかりと食事をとったことで肉に厚みが出てきたレントの頬に感動して、ついついむにむにしてしまう。もっと食わせて、もっと肥えらせれば、もちもちぷにぷにな肌になること間違いなし。


「イシュカ、やめろって!」

「あだっ」


 業を煮やしたレントが、イシュカの編み込まれた長い蒼銀の髪を引っ張った。つんのめったイシュカがようやくレントのほっぺから手を離すと、パズーの様子をうかがっていた嫁が困り顔で戻ってくる。


「どうしましょうねぇ。あの人ったら、意固地になっちゃってるわ」


 戸口から聞こえてくるのはパズーと村長の息子の争う声だ。レントはその様子を伺ってみようと、奥の間からこっそり顔を出す。

 パズーの向こうに、レントを川に放りこんだ男がいた。やっぱりと嫌悪を露わにしたのもつかの間、さらにその後ろに見慣れた姿を見つけて。


「アーヴィン!」

「レント? ここにいたのか!」


 アーヴィンのほうもレントに気がついたらしく声を上げた。レントがアーヴィンの言葉に奥の間から飛び出していけば、言い争っていたパズーと村長の息子がぴたりと口を閉じる。


「あっ、こらレント! 奥へいろとあれほど……!」

「アーヴィン様? この孤児とお知り合いで?」


 各々、後ろを振り返って口を開くけれど、声をかけられた当の本人たちはそんなものお構いなしだ。

 レントがアーヴィンに駆け寄れば、膝を折って目線を合わせてくれる。いつもの気前のいいアーヴィンがそこにいた。


「レント、ちょっと頬が膨らんだか? ちゃんと食わせてもらってるようで何よりだ」


 アーヴィンがぐしゃぐしゃとレントのくすんだ金髪をかき混ぜる。レントがちょっと恥ずかしそうにしながらもされるままでいると、村長の息子が苦々しい顔になって。


「アーヴィン様? この孤児に目をかける必要など……」

「おや、なにを言っているのか。この子は将来有望な原石だ。子は国の宝、大切にせんとな」

「ですが、その子はワケアリです。あんまり、その……」

「ふむ」


 アーヴィンは村長の息子の言葉になにやら考え込むように顎を撫でさすった。それからからりとした表情で笑うと、レントに問いかける。


「前に会ったときに聞きそこねたが……ちょうどよいな。孤児だと言うし、村人からもあまり好かれているようではないらしいしな」


 レントの耳がぴくりと動く。

 本人を前に何を言うのかとパズーも渋面になっていれば、アーヴィンは目線を合わせたまま、レントの肩へと手を置いて。


「少年。龍江軍うちにこないか。お前には適正がある」

「へっ?」

「なっ」

「おいっ」


 レントが素っ頓狂な声を上げれば、村長の息子とパズーも声が裏返った。

 三人から正気か、という目を向けられたアーヴィンは、もちろんだとも! と大きく頷く。


「彼には才がある。訓練すれば間違いなく我々の強い力となる才がな。だが、この村はどうもこの少年を持て余しているようなので、ぜひうちでひきとりたい!」

「勝手なこと言わないでくれる〜?」

「あっ、馬鹿イシュカっ」


 アーヴィンがレントの引き抜きをしようとした途端、一番隠れているべき人物が出てきてしまった。編み込んだ蒼銀の髪を揺らしながら、イシュカがレントを抱き上げてしまう。


「この子、僕の子なんで」

「ほう?」

「いや、違うし」


 キリッと言い切ったせいでアーヴィンが頷きかけたけれど、レントが冗談を言ったイシュカの頭を叩いて黙らせた。


「頭たたくなんて、レントひど〜い」

「お前が変な冗談言うからだっ」


 茶目っ気とともにへにゃりと笑うイシュカに、アーヴィンがはたと気づく。


「お前が最近この辺りで見かけるようになったという旅人か」

「え〜? たぶんそう?」

「そうか。私はお前に用があってきたんだ。なに、少し話を聞くだけだ。少年よ、少しこの青年を借りても良いだろうか」


 アーヴィンがイシュカに抱っこされたままのレントの顔をまっすぐ見る。

 レントはおもむろにイシュカの顔とアーヴィンの顔を交互に見やって、困ったように眉を下げた。


「べつに……イシュカはおれのじゃないし」

「違うよ〜、僕はレントのだよ?」

「危ない発言はやめてくれ」


 とうとうパズーにまで後頭部を叩かれたイシュカが、レントのようにむぅっと唇を尖らせた。アーヴィンが三人の仲の良さに呵々と笑う。


「たいしたことではない。ここ最近、この村に来たのであれば、村人では分からないことも知っているかと思ってな!」


 色々と話を聞くだけだとアーヴィンがレントと約束をした。レントはアーヴィンがそこまで言い切るならと彼を信用して、イシュカの同行に頷く。

 レントはイシュカの腕から降りるとき、その耳にそっと囁いた。


「幻獣ってバレるなよ。アーヴィンは幻獣ってのを倒すやつだから」

「分かった。レントも僕が戻ってくるまで良い子にしてるんだよ〜?」


 かがんでレントを下ろしたイシュカは、ほらこれあげると、レントの細い手首に蒼銀色の組紐を巻きつける。

 もとから着けていたのと合わせて、二つの紐が左の手首に絡んだ。


「僕のたてがみだ。これに呼びかけてくれたら、僕が飛んでくるから大切にしてよね」

「飛んで? イシュカって空を飛べるのか?」

「あはは〜。すぐに駆けつけるよ、ってこと」


 そう言いながらレントの頭をひと撫でして、イシュカは立ち上がる。


「それじゃ、ちょっと行ってくるね〜」

「あ、ああ……」


 戸惑ったようにパズーが返事をすると、イシュカはアーヴィンと村長の息子に連れられて家を出て行った。






 イシュカが帰ってこない。

 イシュカがアーヴィンに連れて行かれて三日が経った。話を聞くだけだといったのに、三日も帰ってきていない。

 そわそわとしたレントがイシュカはまだ帰ってこないのかと聞くたびに、パズーは困ったように彼の頭をなでて野良仕事に行ってしまう。そうして休憩で家に戻ってくるたびに、レントは同じ言葉を繰り返すのだけれど。

 三日目の夕方、レントが戸口でパズーを待ち構えていると、パズーの代わりにひょっこりとイシュカが帰ってきた。


「イシュカ! 遅い!」

「あははー、ごめんごめん。ちょっと失敗しちゃったよ〜」


 へらりと笑ったイシュカの服は土埃や葉っぱをくっつけて薄汚れている。編み込まれていた蒼銀の髪もぐしゃぐしゃにほつれていて、一体どこを転げ回ってきたのかと言いたいくらいにくたびれていた。


「イシュカ、その格好どうしたんだよ」


 レントはなんだか不安な気持ちになって、イシュカに駆け寄った。見た目はぼろぼろだけれど、相変わらずイシュカはのほほんとした面持ちでレントの頭を撫でてくる。


「僕、しくじっちゃったんだよね〜。よりにもよってあの怖い人に本性見られちゃったよ」

「本性って……」


 一瞬なんのことかと思ったら、イシュカの姿がぐにゃりと歪む。

 初めて出会った時の、馬の上半身に魚の下半身を持つ幻獣の姿になったイシュカはぺたりと地面にうつ伏せになった。


『話を聞くだけって言ったのにさ〜、着いて行ったらなーんか物々しい雰囲気じゃん? なんだろって思っていたら、なんだっけ? 術士? っていう人たちが気持ち悪いことをしてくるんだもの』

「は? 何かひどいことされたのか?」


 レントはイシュカのそばにしゃがみこむと、彼のたてがみを撫でてやった。イシュカのたてがみもぼさぼさだ。蒼銀色のたてがみには飾り紐のように水草が絡んでいるけれど、それとは別に小枝やら小石やらが絡まって指が引っかかる。もぞもぞと絡まった異物を解いて、その毛並みを撫でつけてやれば、イシュカはひと心地ついたようにため息をこぼした。


『自我を薄める術って言えばいいかな。夢見心地みたいな、うとうとした状態にさせるんだってアーヴィンって奴は言ってたんだけどさ。これがまー、ひどいのなんの』

「ひどいって」

『人間ならたぶんうま〜くかかると思うんだけどね。僕にはうまくかからなくてさ。自棄になった術士が強い術使ったみたいでー』


 それは大丈夫なのかとレントが心配そうに顔をしかめれば、イシュカは何が面白いのか身体を起こしてちょっと笑って。


『僕とレントの契約に抵触したみたいで、拒否反応でちゃってさ』

「ん……?」

『うっかり変化の術が解けちゃって』

「ん!?」

『本性バレちゃったんだよね〜』

「なにやってんだよ!?」


 のんきにそんなことを言うイシュカ。レントは顔を青ざめさせた。


「イシュカのばかっ! アーヴィン強いんだからな!? 幻獣なんて、野生の動物みたいにバッサリなんだぞ!? そんなアーヴィンに見つかったって……!」

『おやレント。心配してくれるのかい?』

「し、心配っつうか……!」


 嬉しそうに瞳をきらきらさせるイシュカ。レントはそんな場合じゃないって立ち上がって地団駄を踏むけれど、イシュカはにこやかにその目元をゆるめていて。


『まぁ、つまり? そういうことだから? レント、どうする?』

「どうするって……」

『僕、とりあえずあのアーヴィンって奴に見つかると怖いことになりそうだから逃げたいんだけどさ。レントとあんまり離れちゃうと駄目なんだよね〜』

「だめって?」

『契約したでしょ? 僕、レントの呪力のおかげでここにいられるんだ。だからレントの呪力がないと、幻種の国ティル・ナヌグに帰らないといけないんだよね〜』


 レントは頭を抱えてしまった。

 イシュカは大切なことを話さない。契約うんぬんの時にふわっと聞いた気もするけれど、離れすぎるとそうなってしまうのは初耳だ。


「この馬鹿! そういうことは早く言えよっ!」

『言ってなかったっけ〜?』

「聞いてない! イシュカの馬鹿!」


 うーうー、と唸ってうつむくレントに、少し身体を起こしていたイシュカがもう一度ぺたりと地面に伏せた。足の代わりに魚の尾を持つイシュカは本性だと地上でうまく動けないようで、伏せたところからレントを見上げている。


『レント、怒ってる……?』

「おこって、ない」

『怒ってるでしょう。レントとは呪力で繋がってるから、わかるよ』


 殊勝にそんなことを言うイシュカ。

 レントは顔を上げると、イシュカを睨みつけた。


「イシュカの馬鹿! 言っとくけどな、おれはお前を見捨てないんだからな!」


 イシュカの目が丸くなる。怒りの感情に乗せられたのはイシュカの予想外の言葉で、面食らう。


『レント?』

「お前は命の恩人だ。恩を仇で返すのは良くないって、パズーはいつも言う。アーヴィンがイシュカのこと追いかけてきたって、おれが守ってやるよ!」


 力強く啖呵を切ったレント。

 イシュカは慎重に言葉を選ぶ。

 自分との契約者であるレントの真意をはかる。


『……あの怖い人、強いんでしょ〜? レントなんかちょちょいのちょいでやられちゃうよ〜』

「おれ、強くなるし!」


 契約は綻ばない。

 むしろ、二人の繋がりがさらに強くなる。

 そう、強くなる。

 強くなりたい。

 レントの強い意志がイシュカに流れ込んでくる。

 流れてきた意志の向かう先にある答えは――


「とりあえず今は逃げる! イシュカ、村を出よう!」


 レントの決別だ。

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