第23話 誰彼モカは営業スマイルを浮かべている

 そして、当日朝。


 学園祭開催中の三日間は、外部の人間が自由に出入りできるので、特に人気のあるそれぞれの出し物は開始直後からの混雑が予想できる。


 私――山仲美世が参加する、2年B組お化け屋敷も例外ではなく、最初のシフトに入っている面々は緊張した面持ちで、開会の時を待っていた。


「うう、緊張してきた……」


 仕込みをほどこした眼鏡をいじりながら唸るようにこぼすと、同じく最初のシフトに入っている奈月はやれやれと笑った。


「そんなに緊張しなくても、私たちは顔出ししないホロお化け組なんだから」


「それはそうだけどぉ……」


 我らが2年B組のお化け屋敷には、代々伝わる秘密兵器がある。


 その名はホロお化け。認証した眼鏡の位置をアンカーにして、まるで着ぐるみを着るかのようにお化けのホログラムを投影するという、優秀な先輩が残してくれたロストテクノロジーだ。


 まあ、ロストテクノロジーというのは比喩であって、実際は一般的な高等部2年生が持つ技術では、整備もできないという意味であるのだが。


 この学園祭では、同様のIT技術が各所で活用されており、来場客は原則、貸し出された眼鏡をかけっぱなしにするのが決まりだ。


「ほら、そろそろ開会の挨拶が始まるわよ」


 奈月はそう言うと、眼鏡越しにしか見えないモニターを宙に投影した。『待機中』の文字が書かれたアニメーションが数秒流れ、直後に『まもなく開始いたします』のテロップが流れる。


 さらに数秒後、画面はゆっくりとフェードアウトすると、二人の人物を写しだした。


『聖母子学園のみんな、こんサカナー。学園祭アンバサダーの芳呉サカナだよ』


 一人は芳呉サカナ。くだんのAIバーチャル配信者だ。そして、隣でにこにこと手を振っている見知らぬ人物の自己紹介に、私は目を見開いた。


『誰彼モカです。今日はよろしくね』


「……えっ?」


 モカを名乗った男性は、和菓子先生ではない見た目をしていた。いや、全体の雰囲気は似ていなくもないが、その顔は別人そのものだ。だが、彼が誰彼モカ本人であることを証明するように、芳呉サカナと誰彼モカの声は一致していた。


 誰彼モカは和菓子先生のはずなのに、なんで……?


 混乱を極める私を置き去りに、同じ声をした二人は和気藹々と会話を始めていた。


『それにしても、良い天気になってよかったですね』


『そうだね。これなら毎年恒例の謎解きゲームも問題なく行えそうだよ』


『本当によろこばしいですね。さて、前口上もこれぐらいにして、早速学園祭のスタートを宣言しましょうか』


『そうだね。……こほん。それでは、待ちに待った聖母子学園学園祭――始まりです! みんな、楽しんでね!』


 彼が宣言をした直後、楽しげな音楽が校舎中に流れ始める。私はまだぽかんと口を開けたまま、それを聞いていた。


 そんな私を、奈月は肘で小突く。


「ほら、何してんの。配置につく!」


「はっ、はーい!」


 慌てて受け持ちである井戸の陰に私は隠れる。私の仕事は、段ボール製のこの井戸から、おどろおどろしいBGMとともに這い出ることだ。


 まだ釈然としないことはあるけれど――今は、お化け役を頑張らないと!


 配置について数分後、最初のお客様がやってきたという知らせが来て、私のお化けとしての一日が始まったのだった。




「うおお! うらめしやー……!」


 ボイスチェンジャーで奇妙な音程に変換された声とともに、来場者を追い回す。お客さんはひっきりなしに訪れ、あっという間に午前中は過ぎていった。


 やがて昼時になり、午前のシフトが終わった私は、とある出店を目指して意気揚々と歩いていた。


 学園祭にしか出現しないその出店の名物は、天使のベビーカステラ。察しの通り、天使のバゲットと同じベーカリーが臨時で出している店だ。


 小さな透明ビニールにラッピングされた素朴な見た目のそれは、その見た目にそぐわぬ美味しさを秘めた一品であり、同じ出店で売られている本格的なコーヒーと紅茶によく合うことで知られていた。


「去年はサーチ不足で食べられなかったからね! 今年こそは食べるぞー!」


「天使のバゲットよりずっと在庫は多いらしいし、そんなに急がなくても手に入るわよ」


 意気込む私に対し、奈月は苦笑いをしながらついてくる。


 天使のベビーカステラの出店があるのは、大学部の出店エリアだ。ずんずんと一切歩くペースを落とさずにそこまでたどり着いた私は、出店の張り紙を見て愕然とした。


「ベビーカステラとコーヒー紅茶の列が別……!?」


「あー、混雑対策ってやつかしら」


 私たちの目の前に続いていたのは、二列に分けられた出店の待機列だった。あわあわとどうすればいいか混乱する私に、奈月はひょいっと肩をすくめると片方の列に並んだ。


「飲み物の列には並んだげるから、アンタはベビーカステラを買ってきて。私、プレーン味ね」


 即断即決の奈月の指示に、私はハッと正気に戻って大きくうなずいた。


「任せといて! しっかり買ってくるから!」


「はいはい、そんな気合い入れなくても大丈夫だから」


 あきれた声を出す奈月をよそに、私は意気揚々と列に並ぶ。


 そのまま待つこと十数分。出店エリアの中央辺りがにわかに騒がしくなったのは、その時だった。


「モカ様ー!」


「きゃーっ!」


「サインくださいー!」


 黄色い歓声というやつだ。一体何が起きているのかと不審に思いながら背伸びをしてみると、カメラマンとともにゆっくりと歩いている男性が視界に入った。


 和菓子先生の別名であるはずの声優、誰彼モカだ。


 帽子をかぶったモカは、周囲のファンににこやかに手を振りながら、出店を回っているようだ。きっと、学園祭を盛り上げるためのイベントの一環なのだろう。


 完璧な笑顔のままファンに対応する彼を眺めていると、ふいに私の背後から大声が飛んできた。


「おい、列進んでるぞ!」


 慌てて視線を戻すと、私の並んでいる列はうんと進んでおり、いつの間にか私が注文する番になっていた。


「ご、ごめんなさい! えっ、味って3種類あるんですか? 全部1つずつください!」


 そんなやりとりを経て、ベビーカステラを手に入れた私は、奈月と合流すべく人混みの中を歩いていた。


 お目当ての品を手に入れられて気分は最高だ。無事に合流したら、お昼ごはん用にもう一品ぐらい出店に寄って何か買おう。


 鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌で、私は辺りを見回す。その時――私の視界にありえないはずのものが映り込んだ。


 出店で買い物をしている人物。服装こそ違うが、私はその人物の顔に見覚えがあった。


 寄坂櫛奈。吸血鬼の教室から出られないはずのAI。


 まさにその張本人が、直接お金をやりとりして、買い食いをしているのだ。


 おかしい。彼はホログラムのはずなのに。


 たませんを買った寄坂はさっさと歩き出す。私は慌ててその背中を追いかけた。


「待って、寄坂さん!」


 私の声に数名が振り向いたが、寄坂はまるで聞こえていないかのようにそのまま歩いて行ってしまう。私は人混みをすり抜けて急いでそれを追いかけていき――とある曲がり角を曲がった瞬間に、誰かにぶつかって転倒した。


「いでっ……!」


 派手に倒れた私に、ぶつかってしまった人物はしゃがみ込んで手を差し伸べてくる。


「大丈夫? 怪我はない?」


 跳ねるような甘いテノールボイス。聞き覚えのあるその声に、私は体を起こしながら謝罪した。


「いたた……和菓子先生すみません……」


 手の主はぴたりと動きを止める。改めて顔を上げると、そこにいたのは誰彼モカだった。


 彼はちらりと周囲をうかがうと、しーっと人差し指を唇に当てた。


 どうやら彼の正体は和菓子先生で間違いないらしい。そして、その正体を周囲にバラしたくないというところまで察し、私は無言で頷いて、彼の手を借りて立ち上がった。


「気をつけてね、お嬢さん」


 格好つけた声色でモカがそう言うと、周囲をついて回っているファンたちから黄色い悲鳴が上がる。


「く、悔しいっ! 私も手を差し伸べられたいっ!」


「モカ様ー! こっち見てー!」


「きゃーっ!」


 モカはそんな彼女たちに軽く手を振ると、そのまま散策の仕事に戻っていく。私はその背中を見送りながら、ベビーカステラを一つ食べた。

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