第10話 もう一度、人生をやり直せるように


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〜凛花視点〜


「それじゃ、母さんは帰るわね」


「うん……気を付けて」


渚沙に別れの言葉を告げ、小さく手を振った。

それに対して、渚沙は照れ臭そうにしながらも同じ様に手を振り返してくれる。


これが私たち二人の別れ方……この後は亮介と二人で暮らしているマンションへと向かう。



……と言っても毎週土日は顔を出しているので、会えない期間はせいぜい5日間程度のモノ。なので寂しい別れではあるけど、決して悲しい別れではない。



「和彦さんと、楓は今日も居なかったわね」


「……うん、私一人だけでごめん」


「充分よ」


そう言って頭を撫でると渚沙は頬を染めた。

そして猫みたいに手に擦り付いて来る。



(でも参ったわね)


最近は帰っても渚沙しか居ない事が増えている。楓は亮介の病気になった原因を打ち明けてからは顔を見せなくなり、和彦さんは亮介に対する罪悪感を打ち消す様に仕事に没頭している。


仕事を一生懸命頑張るのは良い事なんだけど、娘達を放ったらかしにするのは止めて欲しい。

私は療養中の息子との暮らしを優先しないといけないから、家に居ない間は二人の事をお願いしてたのに……


もう本当にダメね。

亮介の一件からはダメな父親だったけど、今は本当に信じられない位にダメ。

これは円満に別れる可能性もゼロでしょう。



(亮介に会社を継がせるのは無理だと考えている?)


だから躍起になってるんだと思うわ。

一度は亮介を捨てた癖に、亮介の冤罪が分かった途端に掌を返して、挙句の果てに病気になったら亮介に対する罪悪感で家にまともに帰らなくなる。


少し位は協力しなさいよ……大事な娘でしょ?

本当にあの人には逃げ癖がついてしまっている。




「ねぇお母さん」


「ん?なぁに?」


渚沙が玄関の前で呼び止めて来た。

とても深刻そうな顔をしているけど……何かしら?



「お母さん……お父さんと離婚しても良いよ?」


「……え?な、渚沙!?」


なんで離婚するのを知ってるのかしら?

亮介以外には話してないのに……


いえ、普段の夫婦仲をみれば誰でも分かりそうなモノよね……渚沙が心配しなくて済むように言わなかったけど、仲の良い夫婦を演じる事が出来てなかったみたいだわ。


和彦さんと離婚したら亮介は喜ぶけど、楓と渚沙はそうじゃないから……しっかり大学を卒業するまでは夫婦を続けるつもりだった。


でも、どうして離婚を推すのかしら?



──私は渚沙に聞いてみる事にした。



「どうして離婚しても良いの?」


「……早く別れた方がお兄ちゃんの為になると思うから……それにお母さんが離婚しないのはお姉ちゃんと私が居るからでしょ?」


「そんな事は……」


図星を突かれてしまった。

私は上手く言い返す事ができない。



「もうお兄ちゃんの邪魔をしたくないの」


「ど、どうして邪魔になると思うの?」


「……家族で居続けると、それだけでお兄ちゃんを苦しめると思う……お姉ちゃんがまた暴走するかも知れないし」


「……会いたいと思わないの?」


渚沙はゆっくりと首を振った。



「会いたいよ……今でも大好きだもん……でも、お兄ちゃんがどれだけ私を恨んでいるのか知ってるから……もうお兄ちゃんを守る為に、私が会っちゃダメなんだよ」


「渚沙……」


楓とは……まるで正反対だわ。

離婚しても、娘達とは今まで通り頻繁に会うつもりで居た。だけど渚沙はそうじゃなかった……私や亮介を遠ざけようとしている。



「どれだけ後悔しても遅いよ……私がして来た事は許されないから、だったらせめて、大好きなお兄ちゃんと他人になる罰を受けたい──今もずっと夢に見るの……家出から帰って来たお兄ちゃんに言った酷い言葉も、お兄ちゃんを傷付ける為にアルコール消毒した時の事も全部──私がお兄ちゃんを沢山傷付けてしまったから……だからもう私の存在を消してあげたい……お願いお母さん……」


「……そう……少し考えさせて……」


亮介の為には頷くべきだった。

だけど母親として首を縦に振れない。


離婚して別々に暮らすのは本当に不安だ。別居という形なら家族で居られる……でも離婚となると違う──何かのキッカケで会えなくなる可能性もある。

だからこそ大学を卒業し、渚沙がひとり立ちするまでは和彦さんと無理に夫婦を続けようと思っていた。


この子は血の繋がった子ではないけれど、それでも大事な娘に変わりない。

活発だった亮介、芯の強かった楓と違い、渚沙には気弱で流され易い所があった。


だからって亮介にあんな態度を取っていい理由にはならない。その事実は未来永劫変わらないでしょう。


でも渚沙はこの半年で本当に成長した。

炊事洗濯も自分で熟すようになり、一人でも弱音を吐かなくなったし、人前で涙を見せなくなった。


何より驚いたのは、楓と亮介の通っていた高校に進学すると決めた事。


もちろん、私も和彦さんも強く反対した。

今、あの学校に通うのは宜しくない。

今年は定員割れし、かつて高偏差値だった面影はまるでなく、来年以降もしばらくあの学校に在籍しているだけで後ろ指を指されるでしょう。


どこの親がそんな高校に行かせるものですか。


だけど渚沙は絶対に折れなかった。

どれだけ説得しても、自分で決めたんだと頑なに曲げようとしない。だから最終的に私達が折れる事になってしまった。


渚沙は、ずっと誰かの後を着いて歩いてた。

そんな自分の側から亮介が居なくなり、楓も姿を見せなくなり、父親はあの体たらく、そして私は……亮介の側を離れられない。


その所為で渚沙は独りぼっちになった。


だけど、塞ぎ込むどころか渚沙は強くなった。

偶に亮介の写真を握り締めて『力を貸して下さい』と祈る事はあっても、逆境から逃げなくなった。


クラスメイトの友達が、冤罪だと分かった途端に亮介に会いたいと言い出し、それに反論して喧嘩になったらしい。

お陰で友達とは絶交になり孤立してるらしいけど、一度も学校を休んで居ない。


これから渚沙はドンドン成長して行くと思う。



だからこそやるせない。


「……渚沙ぁ……そんな優しいのに、どうして亮介にあんな酷い態度を取ったのぉ……」


「……うん……本当に馬鹿だったから……」


渚沙の後悔はしっかりと伝わってくる。

だけど昔みたいに一緒には暮らせない……亮介の病気が悪化してしまうから。


私が甘かった所為で亮介は壊れて、私が病気の真相を話した所為で楓はおかしくなってしまったわ。

私はお腹を痛めて産んだ二人の子供を、自分の不甲斐なさで傷付けてしまった。



「渚沙……楓はどうしてる?」


「……わからない……学校行くとき以外で部屋を出ないから……声掛けても答えてくれないし」


「……そうよね」


進学しないと聞いている。

耳を疑ったけど卒業後は家を出ると言っていた。


……やっぱり私の所為よね?

私があんな事を言ったから……でも言わないとまた来てしまうし……だけど私の所為で楓は……あ──



「お母さんっ!?」


考え込んでいたら倒れそうになってしまい、その身体を渚沙に支えられる。


渚沙は心配そうな表情でこっちを見ていた。


そういえば最近は寝不足気味ね……仕事以外はずっと亮介に付きっきりで、土日は渚沙と楓の様子を見に帰って来ている。引っ越したマンションは遠いから移動も大変。


こんな生活してたら身体が保たないのは分かっている……でも、息子と娘を壊した責任は取らないと。



「大丈夫よ、渚沙」


私は渚沙の手を優しく解いた。

そして自分の胸を叩き、強い母親をアピールする。



「じゃあ今度こそ行って来るわね!」


「……うん……さっきの話は真剣に考えてみて?」


「………うん」


そして亮介の病院へと向かう。だけど、娘に気を遣わせてしまったのが心苦しかった。



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〜亮介視点〜


俺は現在、母さんと二人でマンションに暮らしている。病院を1週間前に退院して、今日から新しい高校へ通う事になった。


それも碓井くんの学校だ。

ずっと同じ学校に通うのを夢みてたから、大きな夢が一つ叶った。これから非常に楽しみ。


──俺は久しぶりに朝の支度を始めた。

ネエサンや渚沙が居ないから、わざと早く準備する必要もない。お陰でゆっくり朝の支度が出来る。


朝食を食べ、母さんに見守られながら玄関のドアノブに手を掛けた──そして後はひねるだけだ。

下に押して、前に押せば扉は簡単に開かれる。後は履いている靴で前へ踏み出すだけで良い。これも履き慣れた靴だし、歩き方も覚えている。新しく引っ越したマンションはとっても綺麗で住み心地も良いし、玄関も綺麗だ。


よし、後はドアノブをヒネルだけ……もうそれだけで俺は待望の一歩を踏み出し前へ進む事が出来る。


本当に簡単なんだ……


全て幼稚園児でもやれること……


なのに全く動かない足と手があるらしい。


それが俺の足だった、そして俺の手。


難しい、簡単なのにそれが難しい。

幼い子供でも出来る事が俺には難しい。


(な、なんで……碓井君と一緒の学校だぞ?外では麻衣が待っているんだぞ……なのにどうして?)



──亮介は玄関のドアの前で立ち尽くし、ドアノブに手を置いたまま動けなくなっていた。


実はこれで5日連続である。

亮介は最後の一歩が踏み出せず立ち往生していた。



(なんで……この学校にはムカツク連中も居ないし、ネエサンに会う事もない……碓井君や麻衣と一緒に授業を受けるのが楽しみだったじゃないか!)


俺は胸をグッと抑えつける。



【亮スケ、ガッコウなんテ、イカナクテ良イ】


いつの間にかネエサンが足元に座っていた。

しかも珍しく気持ちを汲んだ助言をしてくれる。


そうだよな……いかないでおこう。

明日にしよう、明日だ明日。

もう無理だ……今日はどうあっても動けない。



【ソウソう、アイツら居ナイとモ、カギラナイシ、行くノヤメておコウよ】


次に桐島が目の前に現れた。

姉と同じように俺を引き留めてくれる。

この場面に限れば姉と同じく味方で、逃げようとする俺を後押ししてくれるらしい。


そうだよな……前の学校の連中がまとめて転校している可能性もゼロじゃない。

俺はあり得ない出来事に巻き込まれた所為で、こんな目に遭ってるんだし。


前の学校の連中が居ると本当にやばい。

やっぱり念の為に行かない選択肢を取るべきだ。


でも学校に行くって自分から言ったのに……たった1年くらいは楽しい高校生活を送りたいと思ったのに……あんな奴らに負けっぱなしは嫌だと思ったのに……負けたくない。


……ああでもやっぱり無理だ、そんなの無理。

あまりにも怖過ぎる。

ここは撤退するべきだ。

わざわざ敵地に飛び込む必要なんてない。



【君は学校に行くべきだよ?頑張って、一人じゃないんでしょ?】


3番目に現れたのは生徒会長、姫川涙子。

なんて見当違いな助言をしやがる。

全然、俺の気持ちが分かってない。


もう俺の中で『行かない』って結論が出てんだよ。

邪魔すんなっ!頼むから俺に頑張らせようとするなっ!もう充分頑張って来たんだよっ!



【お兄ちゃん】


「……なんだよ渚沙、お前まで」


【後ろを見て】


「………え?」


渚沙に言われた通り後ろを見た。

そこには小さくて誰よりも尊敬している母さんが、祈るような姿で佇んでいた。



「………亮介」


母さんが目を閉じ、手を合わせている。

そんな風に祈るくらいなら、無理矢理にでも背中を押せば良いのに……でもそうしないのは、俺の決断を信じてくれているからだと思う。


俺は多分、何回もここで立ち止まっている。

だけど母さんは、そんな逃げ腰な俺の背中を無理に押さずに見守ってくれていた。



「……母さん」


……母さんを喜ばせたい。

学校で楽しく過ごす姿を見せたい。

負けてるところばかりしか見せてないから……強くなった自分を見せてあげたい。


母さんの気持ちに応えたいッ


……


……


そう思うと自然に力が湧いてきた。

どんなに落ちぶれても見捨てないでくれた母さん。


だから……もう少し……頑張ってみよう。

全部を諦めるのはもう少し頑張ってからでも良い。


これが最後だ。


そう思って前に進もう。


自分以外の誰かの為に……もう一度だけ、最後にもう一度だけ頑張ろう。


………


………


………よしっ!

 

俺は扉を開けて家の外へ出た。

覚悟さえ決まれば、思った通りに簡単……いや、簡単じゃないか。俺は何日も掛けて、ようやく、第一歩を踏み出す事が出来た。


それでも手はずっと震えたけど……



「母さん……」


そして背後を振り返って母さんに声を掛ける。



「行って来ます」


ああ、ようやく言えた。

ずっと言いたかったんだ……行ってきますって……ああ、しんどかった、でも踏み出して本当に良かった。



「……はい……行ってらっしゃい」


母さんは満面の笑みで応えてくれた。


まだ足も震えてるけど学校まで行けるか?


でも母さんの笑顔を見て思う。


勇気を出して良かった。


遅くなってしまったけど今日から頑張ってみるよ。


どれだけ出来るかわかんない。


もし怖くなって逃げ帰ってもダサいと思わないでね?


俺もなんとか頑張ってみるからさ。



「──亮介」


「……麻衣」


外へ出ると当たり前のように麻衣が立っていた。

どんなに遅くなっても麻衣は俺を待ってくれる。


母さんも麻衣もありがとう。

改めて宜しくお願いします。



「じゃあ行こ?」


「……うん」


差し出されたその暖かい手を……俺はしっかり握り締めた。麻衣の小さな手が、この情けない心ごと優しく包み込んでくれる。


始業式から5日も遅れた。

でも今日から頑張ろう。

明日じゃない、今日からだ。


そしていつの日か、ネエサン達の呪縛から解放されるといいな……





【────────】

【────────】


いつのまにか、踏み出すのを引き止めていた二人の声は聴こえなくなっていた。



【君、頑張ってね!】

【お兄ちゃん!行ってらっしゃい!】


背中を押してくれた二人の声を背に、俺は麻衣と並んで学校へと向かった。




ーーーーーーーーーーー


明日は12:00と21:00に二話投稿します。







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