30.

 さすがにずっと抱きしめてもらっているわけにもいかないので、一旦それぞれベッドの上に座る。


『よいしょ』と大森さんが座った瞬間、マットレスがきしりと鳴ったのはナイショだ。


「なんだか距離が遠い気がします」

「さっきのが近すぎたんだよ」

「ホントですか? あれぐらいが丁度いいと思いますけど」


 どこがだよ。欧米人でも丁度良くはねえよ。


「……あと少しだけ」


 いひっと笑いながら半身分こちらに寄ってきた。

 ボリュームのあるお尻は太ももに、ノースリーブから剥き出しになった二の腕は俺の肩に、それぞれくっついた。


 他の女の子の感触なんて知らないが、この柔らかさは相当なレベルだと胸を張れる。大森さんの抱き枕があったらダースで買う。観賞用、保存用、後はムニムニ破壊した後の予備×10だ。布教なんてしてやるかい。


「ほ、本題に移ろうか」

「あれあれ、めっちゃ鼻の下が伸びてますけど〜?」

「知らない! 大森さんのイジワル!」

「ひひひ、もうお鼻がちぎれちゃうぐらいデレデレにしてあげちゃいましょうかね〜」


 これ以上何をするつもりなんだよ。

 もうとっくにデレデレなんてラインは超えてるってのに。


 とまあ、大森さんとの甘ったるい時間にかまけていても問題は進展しないので、誘惑を抑える気持ちで俺は話し始めた。


「実はウチのお母さんは――」


 全部話した。

 お母さんがヨソに男をつくって出て行ったこと。

 だから俺たちきょうだいは優しさに飢えていること。

 特にみつねは気難しい性格だから、俺に依存気味になっていること。


 大森さんに隠したいことなんてなかった。

 重い話を洗いざらいする申し訳なさがありつつも、彼女の厚意にありがたく乗っかった。


「そう……なんですね。そんな事情が」

「ごめんね、長くて重い話を」

「とんでもないです。全部聞かせてくれてありがとうございます」


 慈愛に満ちた表情を浮かべた大森さんの手が、再び俺の頭に向かってくる。

 辛かったね、しんどかったね。寄り添うように、優しく撫でてくれた。


「寂しくなったらいつでも言ってくださいね? 私が優心くんをいくらでも甘やかしてあげますから」

「……ありがと、雲来ちゃん」

「あ〜、また急に下で呼ぶんだから〜」


 大森さんのふくよかなほっぺたが、むぅと可愛くむくれる。


 げろげろじゃん。

 自分でもセコい――というかキモいのはわかってるけど、咄嗟に出てしまう。


「優心くんは、心から甘えてくれてるときに雲来って呼ぶんですね」

「た、確かに。今もすっごいデレデレになっちゃってたし」

「は〜いこれは法則見えてきましたね〜」

「ご、ごめん……」

「いえ、イヤではないので。というかむしろ名前呼びは大歓迎なので」


 じゃあこれからは下で……とは簡単にはならない。

 女の子を名前呼びするなんて舌が変な感じがしてソワソワしかしない。


「ずっと下で呼んでくれるように頑張ってくださいよ?」

「善処します……」


 そんなダメダメな俺もひっくるめて肯定してくれるのが嬉しい。いよいよホントのママかと思えてくる。


「よくわかりました。みつねちゃんは相当な甘えたがりさんなんですね」


 俺の説明を理解し、大森さんが納得して頷く。


「そうなんだよ。一度心を許した人には完全にべったりだけど、まだ俺以外に頼れる人は見つけられてない」

「なるほど、ホントに誰に似たのやら」

「……わかって言ってるでしょ」


 大森さんが微笑みだけで肯定した。

 自分にこんな甘えたがりの才能があるのは知らなかったな。


「2人が幸せになるには……私が甘えてもらえるような人になれば良さそうですね」

「そうなんだよ。実は俺も大森さんが家に来る前、同じことを考えてた」


 みつねが今抱えている寂しさを緩和しつつ、人間関係が兄貴一極集中になっている不安定さも変えていく。

 やはり誰が考えても、これがベストな解決法だと思い至る。


「自分で言っちゃいますけど、私は人を甘やかすのがとっても上手いみたいですし」


 俺への実証実験で相当な自信を勝ち得たようだ。調子良く俺の肩にもたれておどけてくる。


「ただ問題は、どうやってみつねの懐に入るかなんだよね」

「この人に甘えたい、って思ってもらわなきゃ意味ないってことですか」

「うん。大森さんの場合、やや敵視されてるところもあるし」


 みつねから見た大森さんは兄貴を独り占めしようとする泥棒猫。

 ゼロからではなく、少しのマイナスから関係値をつくらなきゃいけない。


「むぅ。なかなか難しいですねぇ」


 大森さんはアゴに指を当てて唸り、数十秒考え込む。

 きっと彼女ならA定食orB定食で悩むときも、このぐらいの熱量になるんだろう。


「あ! みつねちゃんの好きな物から攻めるってのはどうです?」


 明暗を思いついたようで、表情がパッと明るくなる。


「好きな物……俺のご飯ぐらいかなあ」

「優心くんの料理ってホントにすごいんですね。食べた人の心をめちゃめちゃ掴んでる」

「簡単なものをササッとつくってるだけだけどね」

「そう言えちゃうあたりが凄いんですよ! 他の男の人を見てみてください!」


 確かに台所にすら立たないって人も多いか。


「やっぱり、この武器を活かさない手はないですね」


 料理からみつねの心を掴む?

 でもどうやって?


「耳、貸してください」


 大森さんが俺の耳にそっと顔を近づけ、こしょこしょと秘策を教えてくれる。


「……これは、かなりの賭けだね」

「でも、やってみる価値はあるかと」


 大森さんの作戦は相当ギャンブルだった。なんなら逆上させる可能性すらあるぐらいの。


 けれど、曲者を極めたみつねの心を動かすには、このぐらい大胆な策を講じたほうが良いのかもしれない。


「よし、これでいこう」

「それでは準備のために、明日の放課後からこのおうちに通わせてもらいます」

「う、うん。みつねの部活の時間なら大丈夫だと思うし」


 作戦の遂行のために、大森さんが毎日俺の家に上がり込むことになった。

 仕方ない。いや……嬉しい、か。


「ふふふ、楽しみだな〜っ! 有間くんと過ごす放課後っ!」


 大森さんや。すっごく上機嫌になってるんですけど、あくまで作戦成功のために来るんだからね?




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る