28.

「妹さんに会えないって言ってた理由、こういうことだったんですね」


 完全に制御不能となったみつねのとばっちりを受けた大森さんだが、意外に冷静ではあった。俺が逆の立場なら悲しんだり、怒ったりしていただろう。


「……ごめん。自分勝手な妹で」

「あんまり人に悪口を言われたことがないのでびっくりはしましたけど……」

「ホントにごめん」


 平謝り。せっかく楽しい休日を過ごしていたのに、心から申し訳ないことをした。


「いえいえ、みつねちゃんは有間くんのことがそれだけ大好きなんですよ!」

「フォローが沁みすぎる……」

「簡単に言うと、お兄ちゃんは私のものだー! ってことですよね?」

「はい、お恥ずかしい話ですが……」

「どこがですか! 仲良しきょうだい、ちっとも恥ずかしくありません!」


 大森さんは優しく俺の肩を叩いてくれる。

 これだけ歪で不恰好な家族関係だ、一般的に見て恥ずかしくないはずがないとはさすがに承知している。でも混じり気ない彼女のピュアさは、俺の心を確かに癒す中毒性を帯びていた。


「あぁ……もうっ……!」


 俺たちきょうだいの内輪話に巻き添えを喰らった大森さんが、現状一番の被害者のはず。それを知ってなお、弱音を吐いてしまう。


 だって正直、相当しんどい。


 妹から寄せられる過重とも言える好意。

 幸せになってほしい、でも実兄である俺が与えられる幸せには限度があるというジレンマ。

 中学生とはいえ、さすがに未熟な根性。

 けれどこんなアンバランスを生み出した要因は、まず間違いなくあの人母親で、みつねは被害者でもあるから責められない。


 ……そして、こんな内々の泥沼に大森さんを引き摺り込んでしまった申し訳なさ。


 誰にぶつけられるわけでもない、怒りややるせなさや無力感を綯い交ぜにしたようなドス黒い球体が、俺の身体をミチミチと圧迫していた。


「有間くん、大丈夫ですか……?」

「はは、ははははっ……」


 その場にへたれこんでしまい、力の抜けた口角から笑いが噴き出す。

 人って、面白くなくても笑うんだ。


「どうしたらいいんだよ、俺たちきょうだい……っ! 今のこの不快感……っ!」


 人が辛さを発散するには大きく分けて2つだと思う。


 暴れ散らかして解消するか、

 誰かに甘やかしてもらい、辛さを緩和してもらうか。


 いま、暴れるわけにはいかない。大森さんの前でこれ以上の醜態を晒すなんてあり得ないからだ。


(俺を、甘やかしてくれる人……)


 頭の中に浮かべた人型のシルエットは、顔の部分だけが黒塗りされていた。


 ――そう、思い浮かべられないのだ。


 だって俺はこれまでの人生で甘やかしてもらったことなんてなかった。

 俺も、と言ったほうが良いのかもしれない。


 つまるところ俺たちきょうだいは、愛に、優しさに飢えている。側から見たら身勝手でしかないようなみつねの立ち回りを跳ね除けられない――どころか、一番近くで、、一番の味方として寄り添い続けた理由はきっと、彼女の寂しさを俺が一番知っているから。


 ――寂しい。


 目の前が真っ暗になる。


 ――お母さん。


 頭蓋がガンガン揺れるような内側からの痛み。


 ――ママ……っ。


 思えば幼稚園のときなんかも、擦りむいた膝小僧には自分で絆創膏を貼っていたっけ。

 痛いのを堪えて、それでも痛くて涙は我慢できなくて。

 園庭の端で1人、誰にも見せないようにぐしぐし両目をこすっていた。幼稚園の制服は、洟と泥で、いつも薄く汚れていた。


 そのとき感じたのと同じ孤独感・惨めさが、俺の心の中に毒ガスみたいに充満していって――、


「おいで? 有間くん」

「…………え」


 鼻をすするズビッという音と同時に、驚きの声が漏れる。


 だってそこでは――大森さんが俺を迎え入れるように両手を広げていたのだから。


「おーいーで」


 これが母性か……。

 そう感じずにはいられない、なによりも柔らかい笑顔だった。


(抱きつきたい、よしよししてもらいたい)


 マグマのように沸き上がる衝動。

 やましさ目当てではなく、辛いときに誰かに甘やかしてもらいたい……そんな動物的な、当たり前の、本能だ。


「大森さん……っ」


 もう我慢なんてできなかった。

 気がついたときにはとろっとした笑顔が眼前にあった。


 俺は、大森さんの胸に飛びこんでいた。


「私が目いっぱいぎゅ〜ってしてあげますから。辛いことは全部吐き出してください」


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