13.

「寿司……『き』ではなくて『し』……」


「有間くん、なんかさっきからブツブツ言ってません?」


「あぁ、多分大森さんの気のせいだと思う……」


「ええーっと、気のせいではないと思うんですけど」


 あうあう喘いだ口から独り言が漏れ出す。


 少し前の俺は、大森さんから『好き』なんて言われるものだと勝手に舞い上がっていた。

 だが、大森大将は握った寿司を『へいお待ち』してきた。


 いや恥ずかしすぎる!

 もういっそ殺してくれ……。


「もしかしてお寿司嫌いですか?」

「好きは寿司。違う、寿司は好きなんだよ」

「なんですか、今の言い間違いっ! 春はあけぼの、みたいに言わないでくださいよ!」


 言ってない。

 でも動揺で間違えた俺が悪い。

 大森さんはそのミスをきゃっきゃと楽しんでいる。


「うーんと、じゃあこういう人混みがあんまりですか?」

「それも別に平気だよ。とにかく、俺の様子が変なのは気にしないで」

「む〜う。気になりますよ」


 心配そうに俺の顔を覗き込む。

 舐め上げる勢いの接近戦に、俺の心臓のまた違う部分が騒ぎ出す。


 言えない。

 この激烈な恥ずかしさの原因がキミだなんて。まあ勝手に勘違いした俺が悪いんだけど。


 ぐ〜〜〜〜〜〜〜う。


「はっ」


 腹鳴。

 大森さんは咄嗟に自分のお腹――制服のセーターはたわんだ層をつくっている――を抑える。


「む〜う、の次はぐ〜〜う、か」


 ちょっと笑ってしまった。

 さっきまで俺の状態を心配してくれていたはずなのに……食欲には抗えない。

 大森雲来という女の子を象徴するような出来事だと思った。


「私のお腹のおバカ! 有間くんを心配してたのはホントなんですよ!」

「いやいや、和んだからむしろありがたいよ」

「でも説得力がなくなっちゃいます……」

「ううん。大森さんの真剣さ、よく伝わってきたから」


 軽く微笑む。

 事のいきさつは置いておいて、真剣に誰かから心配されるというのは嬉しいものだ。


「他人思いで優しいのに、食欲は人一倍旺盛……今の一瞬に大森さんの『らしさ』がたくさん詰まってたんじゃないかな?」


「なーるほど。私、らしさ」


 大森さんは自分を指で指す。

 そしてふむふむふむと何度か深く頷き、俺の言ったことを脳内で咀嚼し、


「ありのままの私を受け入れてくれる有間くんは、やっぱりすっごくすっごく優しいです!」


 と、飼い主にしっぽを振るわんころみたいに無防備な笑顔を向けてみせた。


(な、なでなでしてぇ……)


 俺はこういう大森さんが1番魅力的だと思う。


「では行きましょう!!!! えへ、やっぱりご飯には勝てませんねぇ!!!」


 そして再び俺の手をリードみたいにとって、商店街の中に入っていく。

 ちくしょ、大森さんは犬のくせに(?)。


 俺の前方からは、とってとってという可愛いスキップ音と欲望剥き出しの腹鳴が聞こえ続けていた。



 ♢



 商店街の中、道の両端にはキッチンカーや露天がずらりと並んでいた。


 そして各店の壁そこいらに貼ってあるポスターを見て、


「なるほど、市が主体でやってるイベントか」

「みたいですね! フードフェスって最近増えた気がします!」

「だね。でも――」


 ……こんな平日にやるもんじゃねえだろ。

『平日からバカ食い!』をコンセプトにしたかなり尖った企画。ここの市長って大森さんだったりする?


「はわわぁ……ここって天国ですよねそうですよねっ?!」


 だがそんなことお構いなしに、クンクンクンと鼻をひくつかせ、キラキラの目でお店たちを眺める大森さん。

 たまたま学校を休んだ日にこんなイベント。とんだミラクルだ。


「有間くんっ!次は何食べます?!」

「まだ最初の肉寿司に並んでる途中なんだけど……」

「いいじゃないですかあ!こんなのワクワクですよ!」


 寿司は寿司でも肉寿司。

 それが大森さんのドラフト一位。

 肉寿司では割とあるあるの、見本写真と実物が著しく異なる粗悪風俗店現象が起きないことを祈りたい。


 15分ほど並び俺たちの番。

 平日の真昼間にこの待ち時間……結構な人気店なのか。


「へいらっしゃい!」


 寿司屋をイメージしているのだろう、キッチンカーからそり出した木目調のカウンターに肘を置きながら大森さんはメニューを見る。


「有間くん、何食べたいです?」

「俺はなんでもいいよ」

「あー。なんでもいいが一番困るんですよー?」

「昼飯どきのオカンじゃん」

「誰がですか!べちゃべちゃのチャーハンをお口に突っ込みますよ?!」


 じゃあオカンじゃん。

 オカンのチャーハンに限ってはベチャベチャが日本の規格になってんだから。


「じゃあ俺は炙り赤身にしようかな」

「あ〜!絶対美味しいやつ〜!」

「大森さんは?」

「えへん。言います! ローストビーフでしょ、すき焼き風でしょ――」


 待ってました、とばかりに商品名を連呼し始めた。


 一瞬、メニューの朗読会が始まったのかと思った。

 が、あくまで大森さんが食べたいお寿司を注文しているだけだった。


 ……うん。想定通りの食い意地だよ。


「この量じゃ食べ歩きは難しそうだね」


 美味巡りなんて、食べながらあっちこっちを練り歩いてなんぼなはず。


「えー、食べ歩きしましょうよ! 男の子と食べ歩きとか憧れますもん!」

「この量で食べ歩いたら別の県まで行っちゃうよ?」


 むう、とほっぺを膨らませる大森さんは、ホームパーティーサイズのプラスチック皿いっぱいの寿司を持っている。


 しかも何を隠そう。

 この大皿、縦に5枚積まれている。風が吹くたびに寿司皿の党が傾き、バランスをとるのでいっぱいいっぱいだ。


「……とりあえず半分持つよ」

「い、いやっ! 奪う気ですか?! これは私のお寿司ですから!」


 こんなに寿司いらねえよ。

 史上初、成功報酬がマイナスの強盗。


「お寿司を落とさないように持ってあげるだけだから!」

「ホントですか…………? 可愛い可愛い我が子たちですよ…………?」


 いま大将から預かって養子になったばっかりだろ。


「ホントだから……。こんな人権喪失版のウーバーみたいな人を放っておけないよ」


「まあ、有間くんなんで信じさせてもらいます」


 俺じゃなかったら自分の飯を他人に指1本触れさせないのかよ。相変わらず愛着超えて執着がすごい。


「じゃあ上の2皿を――」


 事件が起こったのは、観念した大森さんが指先で上部2枚の皿を浮かせ、俺に差し出そうとしたところだった。


「「あっ」」


 大森さんの指から滑り、受け渡し中の俺との間で2枚の大皿が浮く。


「ヤバいヤバいっ!!!!!」


 絶叫する俺。

 だってこれは大森さんがどうしても守りたい命のようなもの。


 落下しゆく大皿がコマ送りのように感ぜられ、その間に色んな対処法が浮かんでは消える。


(これしかないっ!!!)


 あまりに大胆すぎる行動だと思った。

 でも、地面に叩きつけられたお寿司を見て悲しむ大森さんを見るのは1番イヤだから――、


「うううううう…………、どうだ?」


 お互いの胸と胸で、大皿2枚を挟み込んでセーブした。


 わかりやすく状況を言うなら。


 俺は、大森さんに抱きついた。


「ありま、きゅん…………?」

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