3.

「ただいまー」


 俺の声だけが静かなリビングにこだまする。

 誰もいない家に今日も帰った俺は、学校の課題などを適当に終わらせて台所に向かう。


 せわしない。

 いつもと同じように飯――今日の夕飯と明日の弁当をつくらないといけない。


「はぁ、もっとダラダラしたいなあ……」


 自分の時間がもっと欲しい。入学したばかりの高校生活もまだ慣れないのに。勉強も人間関係も上手くいかなくてしんどいのに。


 ゲームしたい。ラノベ読みたい。寝たい。

 もっと癒しが、楽しいことが欲しい。

 人間って思ったより怠け者だ。


「ったく。……」


 ダイニングの上の写真。

 肩を寄せあう家族を見て、気を引き締め直す。


 だって俺が料理をサボれば、妹や父さん……大切な人たちが困るから。


「明日、大森さんはどんな反応するんだろ」


 それを今日の弁当づくりのモチベにする。


 喜ばせたいというよりは単に好奇心だけど。

 あれだけ俺の弁当に期待していた大森さんが、どんなリアクションを見せてくれるのか。


「でも、いつもより大変だな。当たり前か……」


 けど、大森さんの分まで作るのは今回限りでいいや。単純に作業が増える。苦労を惜しんででも大森さんのために、とまでは思えない。


 包丁とまな板の触れるいやに心地よい音が、今日も俺のため息をかき消している。



 ♢



「Zzz……」


 たかだか授業間の10分休憩に寝ている。眠すぎんだろ。


 昨日の弁当作りがめっちゃ大変でろくに寝られなかった。


 作る量は多いし、コロッケみたいな揚げ物は時間がかかるし、一応いつもより見た目に気もつかったし。


(大森さん、頼むからこれっきりで満足してくれよ)


 抜けきらない疲労に、うなだれるように机に突っ伏したままだ。


 キーンコーンカーンコーン。


 チャイムが鳴ってるな。4時間目が始まる。

 まあ、いいか……。


 ……。

 …………。


「有間くん? 大丈夫ですか?」


「……んんぅ?」


 誰かの声で起きると同時に直感する。

 自分が相当長い時間寝てしまっていたことを。


「やべ、授業」

「もう午前中は終わっちゃいました」

「マジか、やっちゃった……」


 あちゃー、と頭をボリボリ掻く。

 というか俺はさっきから誰と話してるんだ。

 俺が学校で話す人なんてほとんどいないはずだけど。


 まだ重いまぶたを擦って、声のする真横に顔を向けると。


「1時間まるまる寝るなんて、有間くんも悪い子だ」


 あー、そっか。大森さんだ。寝ぼけて一瞬、記憶から抜け落ちてた。

 少し首を横にして俺を見ているのがあざといし、笑顔は太陽みたいにキラキラしているから目が覚めるような気がする。


「おはようございます、有間くん!」

「お、おはよう……」

「? 声がボソボソですね。間違えて7分茹でしちゃったときの5分用パスタみたい」

「いきなり例えが太いね」

「ちょっと! せめてぽっちゃりでお願いしますぅ!」


 ふんす、と腕を組んで怒りを表される。

 ごめん。女の子に『太い』は俺も悪いな。


「あ……、もしかして体調が悪いんですか?」

「いや、そんなことは」

「無理しないでください。私、保健室まで付き添います!」


 おどけていた大森さんの顔が少しマジメになる。

 体調が悪いと言われれば悪いけど、変に気を遣わせたくない。


「大丈夫。俺みたいなのにも優しいね、大森さんは」


 俺はクラスきっての陰キャ。

 飯づくりの時間の確保のために部活や友達付き合いを敬遠していたら、自然とこうなってしまう。


 変わり者とはいえ、大森さんは相当なハイスペガール。

 俺とは住んでいる世界が違うようなもので……、


「えへへ、私は平和主義ですから!」

「そんな感じしかしないよ」


 大森さんのぱややんという笑顔があれば、世界から争いがなくなりそうだ。


「でも、有間くんには特別優しくしちゃいたくなりますっ!」

「が……」

「び、びっくりさせちゃいました⁈ ごめんなさいっ!」


 照れや焦り、申し訳なさそうな感じ。

 表情が回転中のサイコロみたいにコロコロ変わって、切りっぱなしのボブがあわあわと揺れる。


(照れるのは俺のほうだろ、こんなん!)


 大森さん、ズルいって……。

 飯に釣られて俺に媚びようとしてるのか?


 いや、大森さんはそんな器用なことができるタイプじゃない。


 ピュアさゆえに、思ったことをまっすぐ伝えられてる気がして。

 それが、すごく、ズルい。


「さ、さあ! 俺が寝てる間に昼休憩になってたみたいだし! 大森さんお待ちかねのお弁当タイムにしよう!」


「わあいっ!!!! ばんざーいっ!」


 切り替えるような俺の提案に、大森さんは両手を上げて喜びを表す。

 なんとも無邪気だ。


「じゃあ昨日みたいに机を」

「あ、それなんですけど」


 弁当を食べる準備を促すと、大森さんは『あ!』と人差し指を立てる。


「今日ってすっごくすっごくすっごーく大事な日じゃないですか?」

「そこまでかね」

「当たり前ですよ! だってあの有間くんのお弁当にようやくありつけるんですよ⁈ 1か月待ちましたよ⁈」


 俺の弁当がミシュラン級のハードルに上げられてる。


「だから、その……2人だけでじっくりもぐもぐしたいです」

「な」

「だって、有間くんの手料理を食べるのは私が初めてですよね?」

「か、家族以外なら」

「えへへ。だからちゃんと、独り占めしたくって」


 指をツンツンしながら少し恥ずかしそうに言われ、素直に『かわいっ!』と叫びたくなってしまった。


 ……落ち着けや。お前、ついこの間まで大森さんのことを少し面倒がってたくせに!


「あ、ちょ」

「私についてきてくださいっ!」


 大森さんが、俺の手をとっていた。

 感触はすごくモチモチで、『これが女の子の手か』と強烈に思わされる。


「えっへへ~。有間くんと2人っきりでランチだぁ~……っ」


 手を引かれるがままの俺からは、表情こそ見えないけど。


 制服のブレザーの下の大森さんの肩が、すごく楽しげに揺れていた。


 何回見ても、容姿や所作は鬼のように可愛いわ、この人。


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