群青と乙女の島で ー大きくなった僕の彼女ー

さくらみお

第1話


 2033年、初夏。

 最高気温は38度。


 容赦なく照りつける太陽。ゆらゆらと陽炎が立ち込める校舎の裏庭。首筋から滴りシャツに滲む汗。最高気温を更新する世界まいにち


 こんな茹だる様な暑さと彼女の情熱に浮かされたのは――俺だった。



桐谷きりたにくん、好きです。つきあってください」





 ◆




 小鳥遊たかなしありすは、城ヶ島高校の中でも目を引くような可愛いらしい女の子だった。

 とても小柄。身長172センチの俺と並ぶと目線は斜め下。長くてたっぷりとした艶やかな黒髪に、大きな愛くるしい丸い黒目。その顔満面に零れる様な笑顔。

 色白で、少しぽっちゃりむっちりとしていて。

 でも、それが良くて。

 勇気を出して繋いだ手は、びっくりするほど柔らかかった。


 6月の始めにありすから告白されて、ちょうど一か月。

 俺とありすは高校二年生。

 同じクラスでもなければ、同じ部活でも委員会でもない。

「どうして、俺なの?」と尋ねれば、ありすは垂らした黒髪を左右に揺らして、はにかむだけ。

 その姿が可愛くて思わず絆されてしまうが、理由は教えてくれない。

 肝心なことは教えてくれないけれど、俺の心を掴むのは上手いありす。


 俺達の城ヶ島高校は山の高台にある。

 正門から続く大通りじゃなくて、人気ひとけが全くない裏門から、獣道に近い雑木林を通り抜けて最寄り駅まで一緒に帰るのが日課だった。


 裏道から目下に見えるのは海沿いに広がるありすの住む小さな街。その遥か遠くに瑠璃色の海が見えた。

 思わず、俺の隣で寄り添って歩く彼女をこっそりと見つめた。


 ――大好きな彼女と二人で海へ遊びに行く――


 憧れのシチュエーション。

 きっと水着姿のありすも可愛いんだろうな。

 泳いだり、砂遊びしたりして、一日を過ごし沈む夕日を見ながら、初めてのキスもして……。


 ……これは凄く良い。

 良いシチュエーションだ。

 想像が膨らんで、それを現実にしたくて、溜まらなくて、思わず言ってしまった。


「それにしても、あっちいよな。夏休みは海とか行きたいよなぁ……」


 下心を悟られない様、何気ない風に俺が呟けば、ありすは顔を上げて微笑んだ。


「うん、いいよ」

「ほ、ほんと?」

「うん!……でも、私太いから、水着を着るのが恥ずかしいな……」

小鳥遊たかなしは太ってなんかいないよ!!」

「うそ。だって、友達にいつも二の腕ぷにぷにされて気持ち良いって言われているもん!」


 その友達、羨ましすぎだろ……!!


「俺はそのぐらいが……好きだから。……っていうか! 小鳥遊だったらどんな姿でも……好きかも」


 するとありすは両手で口を覆い、顔を赤らめて驚いている。


「え、す、好き!? 私のこと!? ほんとに!?」

「えっ? なん、なんで? だ、だって俺たち付き合っているんだよ?」

「だって、だって……私が、お願いして付き合って貰ったから……」


 そう呟くありすの目が驚いている。信じられないとばかりに。

 確かに告白してきたのは、ありすだ。

 俺もありすに好きだと一度も言ったことない。俺の態度で分かるだろうと思ってた。

 でも、よく母ちゃんが言っていた言葉を思い出す。「相手に自分の気持ち理解してもらいたいなら、察してちゃんじゃダメだからね!」と。

 まさにその通りだ。だから俺は口にしてみる。


「そ、そ……そんな訳ないじゃん! 俺、小鳥遊のこと、すっげー好きだし!!」


 照れる俺は、声のボリュームを間違えて叫ぶ様に愛の告白してしまった。

 するとありすは、そわそわキョロキョロと周囲を窺っている。

 それから俺の腕をぐいと引っ張った。


「桐谷くん、耳」

「ん?」

「耳、貸して」


 俺は小さい小さい彼女のために、少し屈んだ。

 すると、俺の頬にぷにっと柔らかいものが触れた。驚いて目を見開く俺。顔を赤らめるありす。


 い、いま、ありすが俺の頬に、き、き……。


「こ……今度は、桐谷くんから、して欲しい」


「!!」


 俺は海でキスをする予定だった。

 しかし大きく予定は変更された。

 夏休み二週間前にして、ムードもひったくれもない荒れた雑木林でキスをした。


 キスをしたら、もうありすが俺を好きな理由なんて、どうでもよくなった。

 俺はもっとありすに夢中になった。




 ◆




 それからというもの、俺たちは雑木林の中でキスするのが日課になった。


 キスする時はいつもドキドキする。

 繋がれた手はいつも汗でびっしょり。

 でもありすも同じだからおかまいなし。

 した後は、いつも以上に彼女が可愛いと思う。

 大事にしたいと思う。


 ――そう、キスすると、なんというか……二人の距離感? 心も体も距離感が縮まる気がするんだ。

 でも翌朝、学校で会うと近付いた距離は少しだけ遠のいていて。

 だから俺は思ったんだ。

 スキンシップって、時間と共に自然と離れていく気持ちにとても大切なことなんだなぁと。

 恋人と手を繋いでキスするのは、自然に引いていく心を満たすために必要な行為なんだと。


 ありすと出逢って、俺は愛を知る。




 ◆




 その日も雑木林でキスをしようとする。

 そんなとき、気が付いたんだ。


「……ん? ありす」

「なに?」


 目と目が合う俺たち。

 その距離がとても近い。


「どうしたの?」


 次の言葉を発しない俺に、首を傾げるありす。


「ありす、大きくなった?」

「え?」


 俺の肩までしかなかったありす。

 今は俺のこめかみくらいまで、身長があるように見える。


 しかし、何を勘違いしたのか。

 ありすは頬をみるみると赤らめて、セーラー服の、ふくよかな胸元を両腕で隠した。


「……えっち!」

「ち、違う! 違うよ!! 身長だよ!!」

「身長??」


 ありすも自覚がなかった。

 自分の足元から肩幅までをキョトキョトと眺め、それから俺を見た。


「あ、あれ? 本当だっ!!」

「そうでしょ? 俺と目線が近い」

「わあ、嬉しい!!」


 突然、ありすは俺の口にチュッと軽くキスをした。今の彼女は少し顔を上げれば俺とキスが出来たのだ。

 ありすは「えへへ~」と笑い、


「お花の神様に毎日お願いしていたんだ。いつも斗真とうまくんは私とキスするときに、すっごく屈んでくれるでしょ? だから、もっとキスしやすくなりますように。大きくなれますようにって願っていたの」

「……は」


 な、なんて可愛らしいお願い事をしているんだ。

 俺は堪らなくなって彼女を抱きしめた。

 ありすもまた、俺の汗ばんだ背中へと伸ばす。


 ――このときの俺は、ありすが大きくなったのは成長期の何かだと思っていて。

 特に疑問も抱かなかった。


 ただ、ありすが可愛くて、大切で、俺は世界で一番の幸せ者だと思っていた。

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