第5話:バッド・ガールズ

「なんだぁぁぁ! これはぁぁぁぁぁ!」


 ブシ・警視庁の地下駐車場の車止めに停まった赤色灯付きの馬車を見て、シーナは驚きのあまり喚いていた。


「何だとは何ですの? わたくし専用パトロールカー、本庁移動1301号=通称・黒死号ですわ」

「あほか! 入り組んだ下町に行くのに、こんな小回りの利かない馬車で行ってどーすんだ! 置いていけ!」

「はぁ、しょうがありませんね……レンフィールド、こちらで待機していてちょうだい」


 枢女は心底残念そうに、ため息をついて言う。


「仰せのままに、お嬢様」


 レンフィールドと呼ばれた美男子はうやうやしく一礼すると、馬車を移動させる。


「それで、どうやってウィンデコ・カツシカまで行きますの? わたくしの性分と致

しまして、『電車に揺られて』とかはゴメンですわ」

「……まったく、どこのお嬢さんなんだよ。あんただって魔法機動捜査班としてスカウトされたんだ、ほうきぐらい乗れんだろ?」


 シーナは自分のほうきを『ボッ』と取り出すとまたがる。


「え、ええ! も、もちろんですわ!」


 枢女もそう言ってほうきを取り出してまたがる。


「いくぞ、遅れんなよ」


 シーナはそう言うとほうきを発進させる。


 早い! まだ庁舎内だというのに、すでに巡行速度に達している。


「待って! 待ってくださいまし!」

「ああ?」


 シーナがスピードを落として振り返ると、枢女がノロノロと進んでくるのが見える。


「何だ、その亀みたいなスピードは! それでどうやって交通取り締まりを……」


 そこまで言ってシーナは大きくため息をついた。枢女のほうきには前後に若葉マーク=初心者マークがでかでかと貼り付けてあったのだ。


   ◇


「まだ初心者だって言うなら、サッサと言えよ! 時間のムダだろ!」

「あ、あなたが黙って先に行ってしまうからですわ! もう少し同行者に気を配って、行動してくださいまし!」

「ふざけたこと言ってると振り落すぞ! このカメ!」

「……すいません」


 シーナの後ろに横座りしてしがみついた枢女が、小さく呟く。


 けっきょく、シーナと枢女はタンデム=二人乗りでほうきに乗って聞き込みに向かっている。あまりに遅い枢女のスピードに合わせていると、時間がもったいないからだ。


「思ったより素直だな、あんた」

「え?」


 唐突なシーナの物言いに枢女は面食らう。


「どうにも鼻持ちならない高飛車女だと思ったけど、ちゃんと初心者マークを貼っているところや後ろに乗る時の態度なんてちゃんとしているぜ」

「しゅ・淑女のたしなみくらい、こ・心得てますわ!」

「わかったわかった」


 シーナは苦笑しながら応える。


 しかし、なんと膨大な魔力なのだろう! 後ろからしがみつく枢女の身体からは、並外れた膨大な魔力が感じられる。こんな膨大な魔力ではエネルギー供給過剰で、並のほうきならバラバラに砕けてしまう。たぶんさっき乗っていたブシ・警視庁のほうきにはリミッターが付いていて、ほとんどの魔力をカットしていたに違いない。


 だというのに、高慢な物言いと実際の行動には大きな差がある。まるで何百年も経た魔物の中に、純粋な乙女が宿っているようだ。そのアンバランスな存在に、シーナは違和感を感じていた。


 同じように、枢女も同様の違和感を感じていた。しがみついたシーナの体から感じられる魔力はあまりに膨大で、全力の自分に匹敵するかもしれない。しかし、その魔力の資質は不思議なもので、樹齢何百年もの巨大な魔力を持つ霊樹から枝分かれした若木に、全く同じ魔力が備わっているようだ。しかも大もとは黒魔術なのに、枝分かれした方は白魔術になっている……なんとも不思議な存在だ。若く、生き生きとした存在感にしなやかな身体、美しいうなじ……。枢女の目はシーナの首に釘付けになる。


『……ダメだ、我慢しなければ。ただでさえ忌まわしき存在なのだ、本能のままに生きてしまえば駆除されてしまう……ああ、でも噛みつかないでキスくらいなら……』


 枢女は思わずシーナの首筋にキスしそうになる。その瞬間、枢女が自分に掛けた自虐魔法と、シーナの対抗魔法が展開した。シーナと枢女、二人同時にヘンな刺激が走った


「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」

「いたたたたたた!」

「な・何すんだ、この野郎!」

「あ、危ないですわ! なんですの、これ?」


 フラフラと蛇行しながらも、シーナのほうきは猛スピードで走って行った。


   ◇


「危ねぇなぁ! 一体何だったんだ、さっきのは?」


 シーナはウィンデコ・カツシカの街中にほうきを停めて、枢女に文句を言う。


「あ、あなたには関係ない事ですわ!」

「自分に自虐魔法まで掛けておいて、よく言うよ。なんだ? 何かの戒めか?」

「ほ、放っておいてくださいな! ところで、これからどうしますの?」

「ヤマハのRZ350っていう、バイクを探す」

「はぁ?」


 シーナは度美乃から受け取った写真を取り出して、枢女に見せる。


「この写真に写っているバイクは、ヤマハのRZ350ってバイクだ。この特徴ある排気管……チャンバーの取り付け位置には見覚えがある、間違いない」

「チャンバー=部屋?」

「簡単に言えば排気される排ガスをいったん溜めてエンジンに押し戻して燃焼させるパーツだ」

「何でそんな事を?」

「メカニズムに係わることだからな……知識として聞いておけ」

「どうやって探すおつもり? まさか家々を一軒一軒尋ねるとか?」


 枢女は小馬鹿にしたように言う。


「地球の、このサンソス・ニッポンには車検制度っていうものがある。知ってるか?」

「もちろんですわ。車やバイクを購入したら国の機関に登録する義務があって、何年かに一度検査をしないと乗り続けられない、という制度ですわね」

「惑星融合後、電子制御が出来なくなって高度な電気技術を駆使していた車はほとんどが走行不能になったが、バイクはもともと原始的な機械なんで、それほど電子制御技術の世話になっていないから、かなりの数が登録されている。とはいえ、あれほど程度の良いバイクは、そうそうその辺に転がっていない。誰かから盗んだか……」

「持ち主が悪事に手を染めたか、ですわね」

「ビンゴ。警視から登録者名簿はもらってある、後ろの書類ケースに入っているはずだ。そいつを基に一軒一軒当たっていく」

「……迂遠な作業ですわね」

「『捜査は地道な一歩から』さ」

「あなたのポリシー?」

「いや、前の部署の小うるさい署長の持論だ」


 枢女は後ろに据え付けられた書類ケースから、登録者名簿と地図を取り出す。


「それでは、最寄りの地域から探して行くとしましょうか?」

「ああ」


 シーナはほうきを魔法で小さくすると、枢女と並んで歩き出した。


   ◇


 シーナと枢女は登録車の名簿を基に、一軒一軒しらみつぶしに当たって行った。だが、ほとんどの所持者は普通のライダーであり、なかなか容疑者には当たらない。二人は街中の公園で一休みすることにした。


「なかなかマルタイ(=容疑者)に行き当たりませんわね……」

「まだ初日だ。そう簡単に見つかるなら、苦労はないさ」

「バイクを探すのはやぶさかではありませんが、犯人の目星はついていないんですの? プロファイラーに見解を示してもらった方が宜しくなくて?」

「連中の見立てなんか、網が大きくて引っかかりゃしない」

「まあそうですわね」

「あたしの見立てじゃあ、カネに困っているのはもちろんだが、それなりに腕に自信がある奴だろうな、じゃなきゃこんなヤバイ橋を渡ろうなんて思わないさ。そういう相手には印がしてあるはずだ」


 枢女はリストに目を通しながら尋ねる。


「そんな人間が3人も、入れ代わり立ち代わり犯罪に手を染めたというのですか? そんな運転が達者な人間は、そうやすやすと見つからないと思うのですが……前の二人は報酬をもらったら、高跳びでもしてしまったのでしょうか?」

「そんな幸せな結末ならいいんだろうが……たぶん、そんな事にはなっていないだろうな」

「と言いますと?」

「前の二人は処分されているんじゃないか、とあたしは見ている」


 枢女は、魔術で空中に警視庁の捜査レポートを展開する。


「そんな事件は、最近起こっておりません」

「そりゃあもっと大変だ! どこかで人知れずにホトケになっている可能性だってあるな」

「……つまり、人知れず死んでいる者を探せばよいと?」

「それも自然死じゃない、魔術や憑依や寄生なんて云う、マギテラ特有の死に方だな」

「それなら思ったよりカンタンですわね」

「なんだって?」

「少しお待ちなさいな」


 枢女はベンチから立ち上がって両手を掲げ、空を仰ぎ見ると術式を展開する。枢女の足元に直径二メートルほどの方位磁石のようなものが現れた。


「大いなる死の王よ! 汝の力を以って我にことわりたがえた、死の姿を示せ!」


 枢女が呪文を唱えると足元の方位磁石の矢印が『ガコン』と音を立てて動く。強大な術式の作用に、シーナは思わず息を呑んだ。


『なんて高度で強大な術式を展開しやがるんだ?』


 枢女はそんなシーナの緊張にも拘わらず、矢印が指した方角を指差す。


「あちらの方角におかしな死に方をした者が居ますわね。行ってみましょう、そう遠くはありませんわ」

「……よし来た、行ってみようじゃねえか」


 シーナは緊張を隠すと、立ち上がった。


   ◇


「こちらですわね」


 公園からやや離れた、下町の込み入った住宅地のアパートの一つの前に二人は立っていた。枢女がスッと指差す。


「あの二階の奥の部屋に、異常死した者の死体があります。見る覚悟はありますかしら?」

「……死体なんざ、見慣れてるよ……」


 意地の悪い枢女の言い様をものともせず、シーナはしれっと言って歩き出すが、すぐに歩みを停めた。


「どうかいたしました?」


 枢女が怪訝な顔で聞くが、シーナは耳を貸さずアパート前の植え込みに近付くと、何もない空間にいきなり手を掛けて握った上に引っ張る。何も見えないように見えた植え込みの前に、いきなりバイクが現れた。


「空間偽装……」


 枢女はいきなり現れたバイクを、驚いて見つめる。戦地で部隊や装備を巧妙に隠す〝空間偽装〟という魔法があるのは知っていたが、ここまで巧妙だとは思っていなかった。ましてや、その巧妙な偽装をいとも簡単に破るシーナの実力にも目を見張るものがある。


 だがバイクを見つけたシーナに、喜びや高揚した雰囲気は微塵もない。あるのは悲しみに歪んだ、苦悩に満ちた顔だった。


 空間偽装は姿を隠す魔法ではあるが、外界からの影響を遮断する魔法ではない。雨が降れば濡れるし、埃が舞えば汚れもする。隠されていたバイクは風雨にさらされ、見るも無残な姿に変わっていた。


 シーナは薄汚れた姿のヤマハRZ350にそっと触れる。持ち主(あるじ)を失ったもの特有のその姿を目の当たりにして、シーナの顔には悲しみが満ち溢れていた。


「……シーナさん、感傷に浸っているヒマは有りませんことよ」

「……解ってる」


 冷徹な枢女の問いにシーナは思いを断ち切るように歩き出した。


   ◇


 二階建てアパートの二回の奥の部屋、枢女はドアノブに手を掛ける。もちろんカギがかかっていた。


「まあ、当然ですわね」


 枢女はそう言って大家から借りた鍵をカギ穴に差し込もうとする。


「待った」


 シーナはそう言ってカギ穴を調べ始めた。


「やっぱりだ、カギ穴に爆発系の魔法が仕掛けてある」


 シーナは解除の詠唱を呟きカギ穴からカギ穴型の魔法を引っ張り出すと、握りつぶす。魔術のトラップはシーナの刻印付き手袋の中で、『ボッ』という微かな音を立てて消失した。


 シーナがゆっくりとドアを開けようとすると、軽い抵抗があってドアは開かなくなる。


「? なんですの?」

「ブービートラップだ。ドアを思い切り開けると、中にあるトラップが爆発するようになっていやがる」


 シーナは人差し指の先端でワイヤーに触れ、魔法で焼き切った。


 枢女は驚愕の面持ちでシーナの行動を見守っていた。見た目こそガサツな女子高生ながらも、やっていることは対テロ部隊や特殊部隊の面々なみの注意深さだ。シーナはそーっとドアを開く。死体があるというのに腐敗臭も異臭もしない。


「気をつけろよ、まだトラップが仕掛けてあるかもしれないからな」


 そう言ってシーナは慎重に、土足のまま部屋に入って行った。枢女も同じように慎重にそれに続く。ドアの後ろにクレイモア地雷=強力な爆発力で周囲を跡形もなく吹き飛ばすだけでなく、7百個の鉄球をまき散らして人を殺傷する残虐な対人兵器が仕掛けられているのを見て、枢女は身をすくませる。


 片付けられて無い、雑然とした部屋に引かれたせんべい布団の上にライフフォースを全て吸い尽され、憐れミイラの姿になったライダーの死体が横たわっていた。生体エネルギーを吸い尽された人間の死体は腐りもせず、虫すら寄り付きもしない。胸の前に交差された腕の間には隙間が空き、何かを抱きしめていたのが判る。回収しきれなかった紙幣の数枚が、握りしめられた拳の隙間からのぞいていた。


「悪党の末路としては、いささか不憫ですわね」

「布団の上で死ねただけでも幸せさ」


 シーナはそう言って部屋を見回す。


 いかにもバイク好きの部屋だ。古さを感じさせるバイク雑誌が山と積まれ、壁にはサーキットを走るバイクのピンナップが飾ってある。


シーナは思わず苦笑する。


『あんたのバイク好きな気持ちはよく解るけど、どこでつまずいてそこで死んでいるんだい?』


 そんなシニカルな思いが思わず顔に出た苦笑だった。そんな感傷を枢女の冷徹な言葉が断ち切った。


「先ずはホトケさんの身元を調べましょうか?」

「……ああ、そうだな」


 そう言った矢先、『カチッ』というバイクのキーを回す音がして、キックスターターを踏み下ろす始動音が響く。シーナと枢女は急いで部屋から飛び出した。


「バオン! パンパンパン……」


 軽快な2ストロークエンジンの始動音が響く。


「あ、待て! こら!」

「お待ちなさい!」


 アパートの二階の廊下に出てきたシーナと枢女を尻目に、RZ350は「ビィィィィィィィィィン」と独特の排気音を響かせ走り出した。


   ◇


 まだあどけない顔をしたゴブリンと人間の混血の少年が、RZ350を必死に制御しながら街中を疾走していく。


「クソ、なんて乗りにくいバイクなんだ!」


 少年が不満を漏らすのも当然で、乗っているバイクはただのバイクではない。極限まで軽量化されたフレームとシャーシ、そこに搭載された市販型レーサーバイクと同等の性能を持つRZ250の水冷2ストローク・ピストンリードバルブ並列2気筒エンジンをパワーアップの為に350ccまで排気量を上げ、45PS(馬力)/8500rpm(回転)と750cc大型バイク並みのパワーウェイトレシオを誇るエンジンを搭載、〝750(ナナハン)キラー〟〝ポケットロケット〟の異名をとる地球の2ストロークエンジン・バイクの傑作である。そこいらのスクーターやバイクを走らせるのとはワケがちがう。早く走ることに特化した、乗り手=ライダーを選ぶ〝韋駄天〟バイクだ。そんなバイクを、慣れない少年が早く走らせようなどと言うのは無謀でしかない。


 少年はバイクを減速させて後ろを振り返る。幸いにも追い掛けてくるものは誰も居ないようだ……少年は安堵の表情で、バイクを指定されたヤードに向かってゆっくりと走らせた。


   ◇


 ヤードとは、不要な自動車やバイクをバラシて鉄クズとして販売するジャンク屋である。少年の操るRZ350はエド・エドガワ沿いの空き地にあるヤードの中に入って行く。


「社長、盗って来たぜ」


 ヤードの奥の、粗末なプレハブの事務所の前にバイクを止めた少年は。中に居る者に声をかけた。中から出てきたのは、作業用のツナギを着たミノタウロス族の男だ。惑星融合の影響で少しは小さくなったようだが、それでも見上げるような大男であることは変わりない。他にもオーク族やオーガ族の手下が四人ほど物見遊山に出てくる。


「なんだ、コグルクか。よくやったな」


 少年は合いカギの束をチャリチャリ振り回しながら社長に近付くが、突然社長と呼ばれたミノタウロスの表情が変わる。


「コグルク……誰だ、ありゃあ?」


 社長の険しい表情を見て、コグルクは慌てて振り返る。振り返ったコグルクの目に、ヤードの入り口から歩いてくるシーナと枢女の姿が映る。


「あ、あいつら!」

「なんだ、知り合いか?」

「バイクのあったアパートの、二階に居た連中です!」

「よう、道案内有難うな」

「おかげで手間が省けましたわ」


 慌てふためいてバイクを見たコグルクの目に、刻印の刻まれた呪符がナンバープレートに貼ってあるのが見えた。


 ミノタウロスはじろりとコグルクを睨み、バックハンドで張り飛ばす。


「バッカ野郎! 追跡けられやがったな!」


 殴られて倒れたコグルクに、手下どもが嘲るような顔を向ける。


 ミノタウロスの背中を、何かがつついた。怪訝そうに振り返るミノタウロスの視線の先に、背後を取ったシーナが居る。


「お前、いつの間に……」


 言い終わらないうちに、シーナの力の入ったボディーブローがミノタウロスのみぞおちに入る。ミノタウロスの身体は、まるで折り紙を折るように軽々と上半身が地面と平行になった。


「社長!」

「しゃちょおおおおお!」


 手下どもの表情はさっきまでとは違って動揺が走り、狼狽している。


 ミノタウロスは自分の腹筋に自信があった。惑星融合後、地球では六つに割れた腹筋に尊敬のまなざしが注がれると知ってから、ミノタウロスは自分の身体に磨きをかけた。鋼鉄のバットのフルスイングですらびくともしない、見事な腹筋を鍛え上げた。それが今、自分の身長の半分もないシーナのパンチでその腹筋は軽々とへし折られてしまったのだ。


「いいように使って、上手くいかなきゃ八つ当たりか! そんな野郎が一番虫唾が走るんだよ!」


 シーナがミノタウロスに右ストレートをお見舞いする。ミノタウロスは十メートルは吹き飛ばされる。


「こ、小娘がぁぁぁぁぁ!」


 怒号と共に、ミノタウロスは地に伏せた。自らの牛の本能に従い、突進力を以ってシーナをその角で突き刺そうとしているのだ。


「ぶおぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!」


 突進を停められるものなど無い、そう信じていたミノタウロスの身体は何かの障害にぶち当たり、がくんと停まった。


「バ、バカな!」


 自分の頭を抑えつけた物を見て、ミノタウロスは唖然とする。何とシーナが右手一本で自分の頭を抑えつけているのだ!


「こ、このっ! は、放せ! 放しやがれ!」


 ミノタウロスは何とか前進しようと地面を蹴るが、シーナの身体はピクリとも動かない。


「あ? ああ? あああああああああ!」


 シーナは力尽くでミノタウロスの頭を地面に叩きつける。ミノタウロスは頭を数センチ地面にめり込ませて、意識を失ってしまった。


「しゃ、社長!」

「しゃちょおおおおお!」


 シーナはゆらりと立ち上がると怯える部下たちに顔を向け、不敵にもニヤリと笑うと右手を上げて手のひらを上に向け、『かかって来い』とばかりにおいでおいでをする。その態度に、頭に血を登らせた手下たちの恐怖と怒りは頂点に達した。


「うおおおおおおおお!」


 全員がやけくそな怒声を上げながら、シーナに飛び掛かって行く。


「まったく……野蛮なこと、この上もないですわね……」


 ヤードの中でミノタウロスの手下どもと殴り合いを繰り広げるシーナを見て、枢女はため息まじりにつぶやく。


 しかし、なぜ自分も痛みを感じる殴り合いなどするのだろうか? シーナの魔力なら上位魔法など軽く使えるはずで、連中を黙らせることなどいとも簡単に出来るはずだ。おかしな娘だ……などと思っていると、小屋の中からコグルクが出てくるのが見えた。手に馬鹿デカい回転式拳銃を持っている。融合前の地球で最も強力なハンドガンとして販売されていた、スミス・アンド・ウェッソン社のM500リボルバーだ。


『あらあら、扱いきれないものを持ち出して……』


 だが、そう思ったのも束の間、装填してある弾丸からの魔力を感じた枢女は表情を変えた。


『魔弾? 何でそんな物をこんな小悪党が持っているの?』


 効果によって値段は様々だが、魔弾は決して安いものではない。まして取り扱いの難しいものもあって、そこいらのチンピラが右から左へ用意できるものではない。そんな疑念が過ぎる中、コグルクが銃を持ち上げ、親指で撃鉄を起こすと狙いを付ける。


「お止めなさい!」


 枢女は気合を込めて叫んだ。コグルクは枢女の気合に押され、『ハッ』としたにも関わらず、引き金を引いていた。


「ズガアアアン!」


 轟音と共に発射された弾丸は、まったく狙いが逸れた銃口から発射されたのに、不可思議なカーブを描いてシーナに向かって行く。しかもその弾道は枢女にはまったく見えなかった、対物ライフルの超高速な銃弾も見切れる枢女であってもだ。


『不可視の魔弾か!』


 瞬時に判断した枢女は体を霧に変えて、瞬時にコグルクとシーナの間に割って入る。そして魔弾を受け止めるべく体と周囲に魔力をみなぎらせ、物理保護を展開した。しかし.500マグナム弾は枢女の展開した物理保護をたやすく貫通し、貫通時にモンロー効果で花びらのように開いた状態で、枢女のどてっ腹に着弾した。


 これが並みの銃弾であれば枢女は受け止めた銃弾を歯にはさまった魚の骨のようにつまみ出していただろう。だが最悪なことに弾頭は〝マギテラ殺し〟と言われるアンチマジック=魔力破壊弾だった。枢女に着弾した瞬間に弾けた弾頭は、枢女の魔力の流れを瞬時にバラバラにした。


「あああああああああ!」


 普通の魔物や魔力の持ち主ならその場で死に至るほどの重傷だったに違いない。しかしその場にいた者たちにとって最悪だったのは、枢女が魔弾の効果をはるかに上回る力を持っていたことだった。


「ぐ、ぐぐぐぐぐ……」


 その力は枢女を活かすべく、枢女の姿を原初の姿に変えていた、鳥でも獣でもヒトでもない、あらゆる生物の羽、人と獣と竜の入り混じった身体に、あらゆる生物の尾を持った……ミノタウロスなど足元にも及びもつかない、あらゆる魔術的な存在を遥かに超えた化け物=吸血鬼の根源の姿がそこにあった。


「グギャァァァァァ!」


 その咆哮はその場にいたシーナ以外のすべての者を震え上がらせた。 根源と化した枢女に、もはや理性などない、有るのは欲求のまま血を求める本能だけだ。


「ひいいいいいい!」


 オークやゴブリンたちは一目散にヤードから逃げ出していった。ミノタウロスですら恐怖のあまり、ふらふらな歩みで逃げ出していく。だが若いコグルクだけは違った。経験したこともない圧倒的な恐怖の前で完全にすくみ上って、その場に座り込んでしまっていたのだ。そんなコグルクを、変化した枢女の目がじろっと睨むと、大きなストライドで近付いて行く。コグルクは成す術もなく近付いてくる原初の吸血鬼を、ただただ震えたまま見つめていた。


 未知のケダモノと化した枢女の手がコグルクを捉えようと伸びてくる。


『あの手に掴まって生き血を吸われ、自分は吸血鬼になって生きて行くことになるんだ』


 そんな恐怖に身をすくませ、目を閉じた次の瞬間、『ズガアアアン』という轟音が響く。恐る恐る開いてコグルクの目に、枢女を一撃で吹っ飛ばした小柄なシーナの後ろ姿が飛び込んできた。


「いつまで座り込んでいるんだ、ばか! さっさと逃げろ!」


 振り返って叫ぶシーナの姿を見つめたコグルクだったが、すぐに我に返った。


「危ない!」


 コグルクの叫びに前を向いたシーナは一瞬のうちに目の前に迫った枢女の右の抜き手を躱し、左手で掴む。さらに掴みかかる枢女の左手を、右手でがっしりと掴んだ。がっぷり組んだ形になったが、真祖と化した枢女の強大な力に対してもシーナは一歩も引かず持ちこたえている。


    ◇


 そのころ、ブシ・警視庁では大騒ぎになっていた。魔力探知班の魔女たちが計測し切れない膨大な魔力を検知し、バタバタと倒れていく。


「ウィンデコ・カツシカで膨大な魔力を検知! と、とても測り切れません!」

「近隣からの苦情や被害報告が、三百件を超えました!」


 茫然と眺めていた度美乃だったが、すぐさま踵を返した。


「あたしが現場に向かいますぅ」


   ◇


 コグルクが腰を抜かしたまま、状況を唖然と見ているとシーナが叫んだ。


「さっさと逃げろ、このばか!」

「た、立てないんです」

「まったく、世話が焼ける!」


 そう言いながらも、シーナは困惑していた。


『さて、どうしたものか……』


 時間が経てば魔力の流れも元に戻り、枢女も元の姿に戻るだろう。問題はそれがどのくらいかかるのか、だ。それまでに自分の体力が持てばいいのだが……そこまで考えたシーナの頭の中に何かが流れ込んでくる。


『何だ?』


 訝しがるシーナだったが、流れ込んできたものはやがて徐々に色を成し、はっきりと認識できる情報になった。


『これは……記憶? 枢女の? いや、真祖の記憶か!』


 シーナの頭の中で、枢女の記憶と真祖の記憶がシーナに語り出した。

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