第3話 闇剣
びくり――と身体が震える。
「――――ひぃゃ!な、ななな、なんじゃ! だ、誰だれ、ぜよ! 」
突然のことに、裏返った声で虚勢を張るのが精いっぱいだった。
慌てふためき、這うようにして無様に刀を探す。
「ワシじゃ。ワシじゃよ。惚けなや」
焚火を回り込むように、ゆらりと、ひとりの浪人者が姿を現した。
「久しぶりじゃのぉ『
「――む、むくろのいぞう?わしのコトか?お、お、おまんは――誰ゼよ?」
「なんじゃ忘れちょるのか以蔵よ。おんしはつくづく――」
失敗作じゃ――と、男は以蔵を一瞥し、下卑た蛙のような笑みでおりんを舐めまわした。
その視線を受け、おりんは胸元を正すと以蔵の背後に身を隠す。
「し、し、失敗とはどういう意味じゃ?」
「ワシも火にあたらせてくれんかのぉ。手が悴んでしもうて、これじゃ剣も握れん」
にたりと、嗤う。
思い出した。その以蔵を馬鹿にした嗤い。
「――は、
返事も待たず火の前に、どかりと腰を降ろすと、
「白湯もらうかの」
と、勝手に鍋から湯を掬い、啜り始める。
「こりゃぁたまるかぁ。ほんに温ったまるのぉ」
と、残った魚にも手を伸ばす。
二人はその姿に、呆気にとられ黙って見つめるしか出来なかった。
「そうじゃ、そうじゃ。土産じゃ、みやげ」
と、いきなり一抱えもある石のようなものを放った。
「――――ひっ!」
思わず受け止めてしまったそれは、朽ちた頭蓋骨だった。
以蔵はそれを投げ捨てた。
「罰当たりじゃのぉ。
敬わんかと嗤うと、今度は脇に置いてあった鉄なべのようなものを、以蔵に投げてよこした。
それは――錆びついた兜だった。
「こ、こげなもん――」
もらっても困る――と、以蔵は言った。
「おまん、戦国武者に憧れちょる言うちょったろ。どうせ虫けらみたいな身分なら、足軽でもなんでもええから、長宗我部の旗の下で戦場を駆け廻ってみたかった――って言うちょったも忘れたか?」
「――わ、わしがか?」
「――そう『
以蔵――自分が確かに言ったのか。
言った。そう、言っていた。と、思う。
「まぁ、細かいこと気にすなや」
支倉がにたりと、嗤う。
「そう言えば、
「な、なにを言い出すんじゃ」
「三人?いや二人かの?」
「――じゅ、三五人じゃ」
「そいは、全部合わせてじゃろが」
「――ぜ、全部もクソも――道理が解せぬ」
以蔵が初物を斬ったのは文久二年の夏。大阪のことだ。吉田東洋暗殺を探る下横目を斬ったのが始まりだった。
それ以来、以蔵が剣を振る理由――全ては土佐勤王党を護るため。
更にいえば、党首である武市半平太を護るためだった。
闇討ち。
暗殺。
複数で無抵抗の相手を斬ることも一度では無かった。
全ては明日の国の為――。
ただひたすらに、熱弁を振るう武市の言葉に酔い、剣を振った。
「以蔵、おんしはワシの代わりに、己が血肉を削って剣を振ってくれているんじゃ」と、武市は涙を流して以蔵を抱きしめた。
返り血で汚れる以蔵を、ひしと抱きしめてくれた。
「こんな形でしか感謝できん」と、両手いっぱいに金を握らせた。
以蔵は嬉しかった。
武市だけが自分を認めてくれる。
武市だけが自分を褒めてくれる。
それだけで以蔵は満たされた。
傷を洗わにゃの――と、武市は金で以蔵に酒を呑ませた。
穢れを落とさにゃいかん――と、女も抱かせた。
土佐に居たころは想像もつかないような贅を以蔵に与えた。
そして以蔵はまた剣を振るい、武市の為に人を斬った。
それを正義だと信じて。
だが、いつからだろう。以蔵が剣を重く感じ始めたのは。
「ふむ。おかしな話じゃの。おんしも憶えていたはずなんじゃが――」
やはり出来損ないかと、支倉は嗤った。
「そ、それより武市先生はどうしちょるんじゃ?」
昨年の夏に国許に戻されて以来、武市の安否は以蔵には分からなかった。
「――それじゃ。それが問題なんじゃ」
支倉はやにわに立ち上がった。
「ワシが、おんしを探してこんなところまで来たんは、まさにそのことなんじゃ」
「ど、どういう事ゼよ?」
ずきりと眼が痛み、ぐにゃりと、支倉が歪んだ。
「瑞山先生は、いま非常に微妙なお立ち場におることは、おんしにも理解できよう?」
以蔵は痛む目元を抑え、頷いた。
「国許で瑞山先生は蟄居させられ、毎日、厳しかお調べを受けちょる。上士の奴らはな、京での主導を握られた悔しさを――そう煮え湯を飲まされた怨みを晴らそうと、ありとあらゆる手段を講じて、瑞山先生を責め立てちょる言う話じゃ」
語る支倉の顔には、あの嗤いがこびり付いている。
「じゃが、生半なことで瑞山先生を突き崩すなどできん。なんせ元々が」
国許の許可をもらっちょるんじゃからと、支倉が嘲る。
「じゃからの、奴らが狙ちょるんが、吉田東洋暗殺を筆頭に、邪魔なものを排除し続けた『天誅』。その強引な手口から突き崩す算段にでちょる」
「そ、それじゃ、わしらの――お役目が――」
そうじゃ、その通りじゃと以蔵を指さす。
「攘夷じゃ天誅じゃと叫んで、我らが行ってきたそれが、今となっては瑞山先生の命運を左右しちょるんじゃ」
と、ここで初めて支倉が困ったようにため息をついた。
「ど、どれがいかんかったかの?い、井上か?それとも――平野屋は、ちょ、長州とも一緒じゃったし大丈夫じゃろ? あ、あれか池内大が――――」
「おんし、そういう事では無いがじゃ」
「――――あぁ、あああ、そうじゃ。岡田じゃ!岡田いぞう。あ奴がいかんかった――以蔵?いや、あの時の――あの時の――?」
左眼が激しく疼く――
「しっかりせい」
支倉が嘲笑う。
「い、以蔵はワシ――あの、見回り組の男が、以蔵を――――」
ずきり。
左眼が、心の臓のように鼓動し…痛む。
「大丈夫か――」
支倉が剣に手を掛ける。
「あ、あの男――た、確かわ、わか……若林鉄――――」
傍らに立つおりんが、びくりと身体を固くする。
以蔵が左眼を押さえ苦悶する。
まるで眼球が膨れ上がり、眼窩から零れ落ちそうな恐怖が――ずきずきと痛みが熱く疼く。
「――――わ、わしは……以蔵を斬った――いや、わ、わ、若林を斬って――――」
ぐわっ――と、以蔵が苦痛に膝を着いた。
おりんが口元を押さえ、青ざめた顔で以蔵を見つめる。
「安心せい。いますぐ楽にしちゃるぞ以蔵――いやさ『
支倉からゆらりと殺気が立ち昇る。
「な、なにを言うちょる。わしは以蔵じゃ! 岡田以蔵! 骸とは――」
なんじゃ――と、叫んだ。
眼の痛みはいよいよ酷くなり、頭までもが割れそうに痛い。
「それにしても、ええ女じゃの――どこで知り合うた?」
支倉が、おりんを舐めまわすように見つめる。
「――さ、ささ、さ三条大橋の下じゃ!い、今は、そそ、そんな事、関係ないじゃろ!」
「なんじゃ、夜鷹か。品の有りそうな女じゃき、どこぞの妻女かと思ったが。まぁええ、楽しむだけ楽しんだら――――」
仲良う重ねて置いちゃると、言うや、やにわに白刃を抜き放った。
「は、はせ、支倉。――な、なんで、なんでじゃ!」
「言うたろ。おまんに生きていられると困るんじゃ」
瑞山先生がと、支倉が嗤う。
「し、し、刺客仕事を、わ、わしが話すとでも思うんか」
「それも有るがの、『骸』であるお前の存在自体が禁忌じゃ。存在してはいかんのよ」
こればかりは、絶対にいかんと、支倉が白刃を下段に構える。
「な――なぜじゃ?あ、明日の日ノ本の為の天誅じゃろ! そ、そこまでこの、お、岡田以蔵を愚弄するがか!」
口角に泡を飛ばし、以蔵が吼える。
「分からん奴じゃの。お前は以蔵ではない『骸』じゃ」
「――なに?」
「しっかりせんか。おまんは一度、死んじょるじゃろが」
「え――」
なにをいっているのだ。
「さっき自分で言ぅちょったろ。所司代の某っちゅう奴に、おんしは斬られて死んだろ。また忘れたか?よう思い出さんか。相手を斬って、おんしも斬られ、相対討ち死にじゃ」
「――――」
「じゃがな、瑞山先生は、卑しいおんしでも、その剣の腕前だけは高う評価しちょった。妬ましいくらいじゃ」
見事なまでに、支倉の嗤いは他者を嘲る。
「長州や薩摩らぁと対等に渡り合うに、天誅の名の下の人柱は多いに越したことはない。どれだけ血を流したかが――」
尊皇の誉れじゃと、嗤った。
「そん為に、稀代の人斬り岡田以蔵を死なせてしまうのは、あまりにも惜しいと、瑞山先生が、かしん某とか言う胡散臭い呪師を呼び寄せてな――」
死んだ――。
死んだ――。
「以蔵、おんしの目玉をくり抜き――――」
覚えている――意識の薄らぐ自分に向かって伸びる、節くれだつ禍々しい指先を……
熱い!
熱い痛みを――以蔵は左眼を押さえた。
一層激しく、尋常ではない痛みが鼓動を刻み脳髄に突き刺さる。
「互いに殺し殺される――輪廻因果が廻れば――――」
痛い!
熱い!
痛い!
「夫婦の如く仲睦まじく――」
身体も極上に馴染むもんじゃのと、支倉が肩を揺らす。
「――――っ!」
その瞬間、おりんが両手で顔を覆い、崩れるように跪いた。
「そ、そ、そうか、わしは――――」
一度死んだんじゃった――と、以蔵が呟いた。
「なんとも胡散臭く薄気味の悪い邪法で、おんしの魂魄を左眼に集め、損傷の少ない奴の身体に埋め込んで、生を繋いだモドキがおんしじゃ。つまり――」
骸の以蔵よ――と、支倉が言った。
支倉が剣を横に薙ぐと、以蔵の頬に朱筋が奔った。
「さすがは人斬りの獣じゃ!攘夷だろうが佐幕だろうが、人斬り同士、恋い焦がれたように馴染んだんじゃろ」
「ほんにの、京都所司代の若林は、兎角目障りじゃった――」
ぴゅっ。
支倉の剣が以蔵を弄ぶ。
ぴゅっ。
ぴゅっ。
以蔵の身体が――いや若林某の身体と言うべきが、たちまちに朱に染まる。
「瑞山先生が捕縛された今となっては、邪法を使って、天誅をしていたなど、絶対に知られてはならん」
ぴゅっ。
「じゃから――」
死んでくれや以蔵と、支倉が上段に剣を振りかぶった。
「いやっ!」
弾かれたように、おりんが二人の間に立ち塞がった。
以蔵を狙った剣が、おりんを袈裟に斬り下ろした。
ぶわ――っと、おりんの身体から、朱い
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