断片:6 (その3)

 そこにあった物が、果たしてどのようなものだったのか、言葉で形容するのは難しい。


 まず言える事は、それは半透明に透き通って見えた。


 いや、実は透き通ってはいなかったのかも知れない。とにかく真っ白で、色らしい色がそこには無くて、まるで自ら発光しているかのように、薄ぼんやりと輝いて見えたのだけれども、それはもしかしたら錯覚だったのかも知れないし、そうではなかったのかも知れない。


 ケースが開けられたのに気付いたのか、「それ」は不意に、目を覚ました。


 まぶたが開かれると、ガラス玉みたいに綺麗に透き通った目が、じっと私を見やっていた。


 視線が合ったのは、ほんの一瞬の事だった。「それ」は周囲を警戒するように、まずゆっくりと上体を起こし、周囲に視線を走らせる。特に表情らしい表情はなく、怒っているわけでも、怯えているわけでも無かったが、とにかく油断なく意識を張りつめさせているのは見て取ることが出来た。


 そして、「それ」はゆっくりと立ち上がった。


 いや、立ち上がったという表現は適切なのだろうか。足が、人間らしい形状とは微妙に違っているような気がする。何にせよ、それは一糸まとわぬ流麗な裸身を、私たちの前に無防備に晒していた。半透明な身体に室内光が透過しているのか、それとも自ら発光しているのか、水晶を削りだした彫像のように、きらきらと美しく輝いていた。


 ため息が出るほどに、美しい生き物だった。立ち上がる単純な所作でさえ、実に優雅だった。たとえ足の関節の構造がヒトとは違っていても、たおやかな指の先の爪が鋭利な鈎爪状になっていても、その背中に羽根のような形状のものがついていたとしても。


 そして。


 そして何より、私を驚かせてくれたのは。


 あまりに完璧すぎるその美しい生き物が、私とまったく同じ顔の造りをしていた、という事実だった。


 ――それは別に私が美しいという意味ではなかったけれど。私自身は自分の顔や身体つきを、美しいと感じたことなど一度もなかった。


 それでも、目の前にいる生き物の美しさは本物だった。細かいパーツ単位での造形などはどうでもよかったのかも知れない。その佇まいが、生き物としてあまりにも完璧であるように、私の目には見えていたのかも知れない。


 その生き物は、背中に生えた六枚の羽根を、大きく伸びをするように広げて見せた。その羽根の一枚一枚が、やはり半透明に美しく透き通っていた。


 そんな完璧な生き物を目の当たりにして、アシュレーが呻くようにこう呟いた。


「イゼルキュロス……お前はそこにいたのか」


 イゼルキュロス。


 ああ、これがイゼルキュロスなのか。


 王都で離れ離れになった私の親愛なる友人は、こんなにも美しく、はかない完璧な生き物だったのか。


 では、アシュレーの語った話は間違いだったのだ。この私は確かにメアリーアンだったのだ。


 そんなイゼルキュロスを目の当たりにして、男達は明らかに浮き足立っていた。


「なんて事だ! もう羽化が完了している!」


「これが完成体なのか!」


「逃げろ! 完成体のイゼルキュロスに、俺達人間が勝てるわけが……」


 黒服の一人は、その言葉を最後まで言い切る事が出来なかった。イゼルキュロスは敵の姿を見出したかと思うと、背中の羽根の隙間から、一本の触手を素早く伸ばした。


 硬質化したその先端は、斜めに鋭く尖っていた。……つまりは、それは鋭利な刃だった。それはするすると長く伸びて、さっと男達を横薙ぎにする。


 次の瞬間、黒服の男の一人が、上半身と下半身の二つに生き別れてしまった。床の上にどさり、どさりとパーツが続けざまに投げ出される。切り口からどっと血があふれ出して、床を汚した。


 一気に血の匂いの立ちこめていく部屋の中を、もう一人の黒服が慌てふためきながら逃げようとする。イゼルキュロスは触手を巧みに繰り出し、後ずさる男の口腔部分に容赦なく突き立てた。顎を残して頸部が上下に分かたれ、そのまま真っ二つになる。


 残るアシュレーは……彼は慌てなかった。手にした銃を構え、果敢にもイゼルキュロスに向かって発砲する。警告もなく、そしてためらいもなかった。


 恫喝の言葉も、命乞いの言葉も無かった。彼はただ寡黙に、引き金を引き続けただけだった。


 だが銃弾は、イゼルキュロスの硬質化した頑丈な皮膚の前にまったく無力だった。


 イゼルキュロスは六枚の羽根をさらに大きく広げる。その羽根の隙間からもう一本の触手がするすると伸び、それがアシュレーに素早く迫っていく。無論、そいつの先端も鋭い刃物になっていた。


 アシュレーはいかにもこういう荒事には慣れていそうな雰囲気だったが、結局イゼルキュロスの敵ではなかった。あっという間に追いつめられ、逃げ場を失っていた。


 先に絶命した男達があれだけ怯えていたのも、無理はなかったのかも知れない。次の瞬間、アシュレーの悲鳴が部屋に響きわたった。

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