断片:6 (その1)

 結論から言えば、ロブスターは失敗だった。


 天然素材、という謳い文句はまさに偽りではなかった。生きたままの姿で真っ赤に蒸し上がって皿の上にのっかっているさまは、ある意味グロテスクでさえあった。そもそも、そのサイズが王都暮らしの長かった私のような人間の知識の中にあるそれよりも、格段に大きい。


 アシュレーはその辺り手慣れたもので、手早く足をむしり、豪快に硬い殻をはぎとっていく。私も何とか見よう見まねで、同じようにやってみた。


 帰り道、私は道端で食べたものを思い切り吐き戻してしまった。まるで胃をナイフで刺し貫かれてずたずたにされるかのような激痛に、いい加減耐えきる事が出来なかったのだ。私はその場にうずくまり、嗚咽をもらす。


「……大丈夫か」


「大丈夫。いつものことだから」


 結果が最初から分かっているのに、どうしてあんなものを注文したのだろう。我ながら馬鹿だな、とは思うが、何故だか知らないけど同じ事を繰り返してしまう。




 それでも私は、


 そういう普通の人間の食べるものを、


 普通に食べる生活が


 送ってみたいのだ――。




 ふと脳裏をそんな考えが過ぎったが、気の迷いだったかも知れない。だってそれでは、私がまるで普通の人間じゃないみたいだから。


 ……もしかして、本当に普通じゃないのかも知れないな、と思わなくもないけど。


 アシュレーは律儀にも、アパートの私の部屋まで、私を担ぎ上げてくれた。私は部屋に駆け込むなり、おぼつかない足取りでバスルームに駆け込み、もう一度胃の中の物を吐き出した。吐瀉物が少しだけ赤みがかって見えたのは、血だったろうか。


 身体を襲う激痛もなかなか収まらなかった。まるで腹部にナイフが刺さったままの状態で長時間放置されているような……そんな錯覚さえ覚える。誰かが手を伸ばしては、傷口を広げようとナイフに力を込めるのだった。もちろん、そんな物騒な事を体験したことなど、ないはずなのに。


 もちろんそれは、痛み以外はすべて幻覚だった。その分、痛みそのものはいつもより強烈なもののように思える。


 ……繰り返しこんな事をしているから、身体が徐々に弱ってきているのかも知れない。


 一息つくまで、随分と時間がかかった。


 アシュレーはと言えば、私がバスルームからよたよたと出てくるまでの間、部屋のベッドに腰掛けたまま静かに私を待っていた。


 ずっと黙り込んだままだったアシュレーは、バスルームから私が出てきても、なおも無言のままだった。私は彼のすぐ隣に座って、その腕に身を預けた。


 アシュレーはたくましい腕で私の肩をそっと抱き寄せる。無骨な指が、私の髪を軽くもてあそぶのが、私にも心地よかった。


「……俺が悪かったよ。食事なんて、誘わなければ良かった」


「本当は、そんなに悪かったとは思っていないんじゃないの?」


「まぁね。そもそも普通の人間の食事を受け付けない身体なんだって事は、君が一番よく知っているはずだからな。メアリーアン。……いや、イゼルキュロス、と呼ぶべきかな?」


「……?」


「そろそろ、ゲームは終わりにしようじゃないか」


 私ははっとして、顔を上げた。


 気が付くと……彼は片方の手で私を抱き寄せて、もう片方の手に、昼間の拳銃を握っていたのだ。


 私はあらためて、その銃をまじまじと見やった。そんなに大きな銃ではなかったけれど、所々塗装が剥げていて、相当に使い込まれたものであるという事が一目で見て取れた。


 ……それがひとたび引き金を引けば簡単に人の命を奪える道具だという知識くらい、私にもあった。


 アシュレーは別にそれを私に向けているわけでもなく、単に手元にだらりと下げているだけだったが……むしろそんなリラックスした扱いが、取り扱いにとても手慣れているのだろうという事を窺わせてくれた。


 武器を手にした彼を見ても、私は何も言えなかった。そんな私をちらりと見やると、アシュレーは私の側からそっと離れ、立ち上がる。


 ちらりと私を見やりつつ、彼はポケットから小さな通信端末を取り出して、それに向かって二言三言呟いた。


 どれほどもしないうちに、黒ずくめのスーツに身を包んだ男が二人、ノックもせずに部屋に踏み込んできた。まるですぐ廊下の外で待ちかまえていたとでもいうような、実に素早いタイミングだった。


 連中はスーツもタイも真っ黒で、シャツだけが目にまぶしいくらいに真っ白だった。律儀にも、二人とも右手にお揃いの拳銃を握りしめている。


 そんな男の一人が、立ち尽くしているアシュレーにそっと耳打ちした。


「……本当に安全なのか」


「見てのとおりだ。今度は彼女は抵抗しない」


 面倒くさそうにアシュレーはそう呟いた。使い込まれた銃で真面目に私を威嚇するでもなく、だらりと下げたまま、たださびしそうな目で私を見ているだけだった。


 正直言えば、ひとしきり激痛に苦しんだ後の私の意識は、まるで熱に浮かされているかのようにぼんやりとしたままだった。そんな具合だったから、目の前で繰り広げられている事態をはっきりとは認識出来ていなかったのかも知れない。


 ごくりと唾を呑み込んでみると、かすかに胃液の味がした。


 深呼吸をすると、私は何でもない風を装いつつ、アシュレーに話しかけてみる。


「……一応、説明してくれる?」


「うん。説明は必要だな。多分君はこの状況をまったく理解していないだろうからな」


 アシュレーは物憂げにため息をひとつつくと、私に向かってぽつりぽつりと語り始めた。

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