ストリング・バッグ(2)




 第三期四百年代末期から五百年代初頭のク・リトル・リトル王国を語る上で最も大きな変革と言えば、第二次魔術革命をおいてほかにない。


 第二次魔術革命――霊油エーテル精製技術の革新、および理力炉の開発による動力源の刷新――は、ク・リトル・リトルに大いなる変革をもたらした。

 早い話が莫大な資本を注入し、霊油と理力炉を調達することさえできれば、魔女でなくとも理力マナの恩恵にあずかれる時代が来たというわけだ。

 未だもって巨大な制約があったとはいえ、有史以来限られた人びとだけが手にしてきたエネルギーを、そうでないものたちも扱えるようになったのだ。

 交通、紡績、製鋼、軍事。理力マナは福音となってあらゆる産業に恩寵をもたらし、時代の歯車を回した。


「そういうわけで、わたくしどもは以前よりもずっとお安く、しかも大量に商品をご提供できるわけです。時代はいま、『仕立てオーダー・メイドの一張羅よりも吊るしレディ・メイドのお洋服をその日の気分に合わせて』。レディのたしなみも時代とともに移り変わるのですわ」


 恰幅のいい女主人はそう説明を締めくくって、品物をてきぱきと畳んでゆく。


『レディ・バグ装身具店』はオーゼイユの街でも比較的新しい店だった。

 中央区ミッド・タウン、大通り沿いに軒を連ねる商店街の中、『エステリア・エリクシル』と『質屋グレイブ・ディック』に挟まれてたたずむ中規模の洋品店で、既製品の服を専門に取り扱う店だ。

 アリソン曰く手ごろな値段と流行を捉えたデザインで若い女の子から一定の支持を得る店で、実際に店内の客たちはわたしたちと同年代の女の子たちが大半を占めていた。


 アリソンが選んでくれたシンプルなデザインのブラウスと、深緑のコルセット・スカートを包み紙で包装し終えると、装身具店の女主人ことミセス・アビントンはどうだとばかりに大きな胸を張る。


「なんとお値段しめて銀三枚。お安いでしょう?」


 エルダー・シングス魔術学院名物、エルダー・シングス・サンドウィッチ十食分の値段に相当する金額だ。


「……ワーオ」というわたしのつぶやきに、ミセス・アビントンは満足気ににっこりと笑った。

 わたしは頬の引きつりを極力悟られないように愛想笑いを返しながら、財布から銀貨を取り出し、代金を支払う。


「本当にいい買い物をしたわね。ニナは線が細いから、きっとこういう服が似合うと思うのよ」と、わたしの隣でアリソンが微笑む。たっぷり一時間かけて商品を吟味した後の、ひと仕事終えた達成感がそこにはあった。


「今度ふたりで出かけるときは、絶対に着てきてね。わたしも着てくるから」


 アリソンは既に買った自分の包み紙を掲げて言う。梱包されているのは、わたしのものと色違いのコルセット・スカートだ。


「まあ素敵。仲が良いのね?」


「ええ、ニナはわたしの自慢の親友なんです」


 笑顔で言葉を交わし合う二人を横目で見ながら、わたしは財布の中身を素早く数えてポシェットに仕舞う。

 わたしにとっては手痛い出費だったけれど、それでアリソンの屈託のない笑顔が取り戻せたのなら、安いものだと考えることにした。


 銀三枚。エルダー・サンド十食分。なんでもかんでもサンドウィッチ換算で計算してしまうのはわたしの悪い癖で、銀三枚は大衆用の服飾品としては決して高価なものではないということは、親愛なるアリソンとミセス・アビントンの名誉のために付け加えておくべきだろう。




 それから、わたしたちはいくつかの店をとりとめもなく見て回った。駄菓子屋や雑貨店なんかの、無害で罪のない種類の店だ。

 

「ニナったら、おっかしい。駄菓子屋さんであんなに真剣な顔する子、初めて見たわ」


 アリソンは笑う。

 わたしたちは公園のベンチに腰掛けて、駄菓子屋で買ったお菓子をほおばりながら一息ついてた。

 当時のオーゼイユの駄菓子屋は、一袋いくらの定額販売サービスが主流だった。大きめの子猫くらいの紙袋を渡されて、それに好みのお菓子を詰め込めるだけ詰め込むのだ。

 当然、隙間なく詰めれば詰めるほど得をすることになるのだから、真剣になるのも仕方ないと言えるだろう。


「計画的に、順を追って入れるのが大事なんだよ。フラップ・ジャックとか、ビスケットとか、平たくてある程度硬いお菓子で最初に壁を作るの」


 わたしは言いながら、ナッツのタフィーをひとかけら口に運ぶ。舌の上に乗せたとたん、ナッツの香ばしさと糖蜜の甘みが、口の中にと広がってゆく。

 口の中でとろける犯罪的な甘さ。

 そのまま黙っていると袋が空になるまで食べてしまいそうだったから、わたしは付け足すように言葉を続けた。


「……まあ、アビゲイルからの受け売りなんだけどね」


「〝チャビーまんまる〟・アビー? ニナって、あの子と仲がよかったの?」


 アリソンは意外そうに聞き返す。


「そんなには。話すようになったのは……最近かな」


 アビゲイル・〝チャビー〟・コンウェイはわたしたちの同級生で、薬学部寮の寮生だった。

 むくむくとしたふくよかな身体が特徴的な女の子で、とにかく甘いものが大好きだった。

 その傾倒ぶりといったら授業中以外は常に何かお菓子を口にしているほどで、けれど――上手く言葉にすることは難しいのだけれど――多くの太った人びとに付きものの脂っぽさや怠惰な印象はひとつもなかった。いつも愛想よく笑顔を振りまいていて、ほっぺたは赤ん坊のようにすべすべとしており、そのくせなぜか学年で一番の俊足を誇っていた。

 そんな彼女とは、クリス先輩との一件を機にある程度の言葉を交わすようになっていたのだ。


「ふうん」とアリソンは言って、りすみたいにチョコチップ・クッキーをかじる。

 さくさくという小気味よい音に合わせて、巻き上げたはちみつ色の髪の毛が揺れる。

 それから唇をハンカチでぬぐって、「わたしも、寮に入りたかったなあ」と言った。


「寮に? なんでまた。狭いし、寮監は厳しいし、いいことなんてなんにも無いのに」


とわたしは答える。わたしからすれば、オーゼイユ生まれのアリソンのように、家から通える子のほうがよっぽどうらやましかったのだ。


「それでも友達と過ごす時間が増えるのは、いいことだわ」


「……確かに、寮にアリソンが居たら、きっと楽しいと思う」


「絶対にそうよ」


 アリソンは笑って、うんと伸びをする。薄くて華奢な身体が弓なりに伸びて、七月の陽光を浴びる。

 細い指先が空に届きそうなくらいにたっぷりと身体を伸ばしたあと、アリソンは言う。


「さて、次はどこに行く?」




 ◆




『クリサンセマム箒店』の庭は、前に来たときよりもひどい有様だった。


 六月の末に続いた長雨のせいだ。風に乗って運ばれてきた名もなき草花たちは恵みの雨と太陽の光を一身に受け、驚くべきスピードで《鴉羽からすば》の魔女ことアカンサ・クリサンセマムの庭を侵略していた。

 年季の入った赤煉瓦の建物はほぼ余すところなく蔦に覆われ三角頭の緑の化け物のようになっていて、玄関のドアだけがぽっかりと空いた口のように一面の緑色の中に浮かんでいた。

 アプローチの敷石の周りだけは「とりあえず通れれば文句はないだろう」と言わんばかりに適当に刈り込まれていて、いっそ潔さすら感じさせる。


「……ワーオ」


 今度はアリソンがつぶやく番だった。


「ねえ、ニナ。疑うわけじゃないんだけれど、本当にここは箒屋さんなの?」


「……ちょっと陰気な外観だけど、この街で一番の箒職人のお店だよ」とわたしは答える。

 ナコト先輩の受け売りだ。

 他ならぬ鉄棺の魔女の言うことに間違いなんてあるはずはないし、アカンサの手がけた《ヘルター・スケルター》はわたしにとって唯一無二の相棒だった。けれど、蔦に埋め尽くされた建物とわたしを交互に見比べるアリソンの不安顔を見るにつれて、だんだんと自信がなくなってくるのも確かではあった。

 迷った末にわたしは肩をすくめて、「多分そう。……だと、思う」とつけくわえる。


 視界外から繰り出されるアカンサの跳び蹴りに横っ飛びに吹っ飛ばされたのは、それとほぼ同時のことだった。




「あたしがあんたにこの子を預けるとき、なんて言ったか覚えてるかい?」と、辻風の魔女、《鴉羽》のアカンサは言った。

 というのはもちろん、アカンサの膝の上に置かれている《ヘルター・スケルター》のことだ。


 わたしは『クリサンセマム箒店』の端っこに立たされていて、アリソンはアカンサのすぐ隣に座らされていた。アリソンはアカンサの淹れた紅茶を飲みながら、可哀想なくらいに萎縮している。

 目の前で友人を6ファウナスも蹴り飛ばした鬼のような老婆がすぐ隣に座っているのだから、無理もないことだ。

 ただでさえあんまり美味しくはないアカンサの紅茶が、あれではなんの味もしないだろう。


 わたしはアリソンに深く同情し、アカンサの質問に答える。


「……〝大事に乗れ、さもなければぶん殴る〟」


「そうだろうよ。あたしももう年だけどね、言ったことはちゃあんと覚えてる」


 わたしの答えにアカンサは深くうなずいて言った。


「それであんた、地区予選でどういう風に使った? ええ? あたしゃ、よその魔女の頭を張り倒すためにこの子を使えとは言わなかったはずだよ」


「……もしかして、観ててくれたんですか?」


「誰が観るもんか。小娘の試合なんぞ」


 アカンサはそう言って、大きなかぎ鼻から深く息を吐く。彼女の霧がかった瞳が一瞬だけ店の奥をちらりと見やる。カウンターの向こう側、古ぼけた店内には似つかわしくない新品ぴかぴかの鉱石テレビ。

 前に訪れたときには無かったものだ。


「本当に?」


「にやつくんじゃないよ馬鹿たれ」


「観てくれたんだ」


「人の話を聞きな」


 なんというか、とても意外なことだった。

 わたしの勝手な思い込みだけれど、職人肌で浮世離れした《鴉羽》のアカンサが、新しいテレビを買ってまでわたしの試合を観ててくれているとは思いもしていなかったからだ。その事実は素直に喜ばしいことで、わたしは嬉しくなってしまう。


「あんたやヴィルヘルミナのためじゃないよ。この子のためだ」


 アカンサは《ヘルター・スケルター》を深く労うようにひと撫でする。


 現金なものだ。

 誰にも乗りこなせなかった箒。誰とも心を通わせることが出来なかった箒。

 アカンサはそんな《ヘルター・スケルター》のことを〝失敗作〟とまで評していたのに。

 でも、それだって素直に喜んでいいはずのことだ。わたしの相棒と、その産みの親のあいだに積もっていた重たい雪が、ようやく溶けたということなのだから。


 決まりの悪い表情のまま、アカンサは《ヘルター・スケルター》を撫でさすり、呆れた声でつぶやく。


「……まったく。どんな無茶な箒動きどうで飛べば金剛鋼アダマンティンより堅い柄を曲げられるんだってんだい」


「え?」


「歪んでんだよ、2度ほど右に。樹齢三千年の霊木で出来た柄がね。左右の旋回に違和感があっただろう?」


 アカンサの指摘に、わたしは「ははあ」と感嘆のため息をつく。アカンサは、乗り手ですらぼんやりとしか気づけない不調を、ほんのちょっぴり箒を撫でただけでぴたりと言い当ててしまったのだ。

 確かに地区予選の少し前から、左旋回はやや固く、逆に右にこじれば滑るような感触があった。

 それは全体から見ればささいな不調で、気のせいと言ってもいいほどごくわずかな違和感だ。けれど神経質な《ヘルター・スケルター》は、破格の性能の代償に、操作のを全くと言っていいほど持ち合わせていない。

 秒単位での最適解を常に要求される身としては、気のせいにしろそうでないにしろ早いところ解決しておきたい問題で、そのためにアカンサの店に足を運んだのだった。


「まあ、人の頭ぶっ叩いたくらいじゃびくともしないだろうから、疲労の蓄積って所だろうがね……。旋回方向の選択と、旋回そのものに癖があるんだろ。それにしたってよくもまあって感じさ」


「……なるほど。それで、直せますか?」


「誰にもの言ってんだい。ばっちり直してやるさ。けれど、時間はもらうよ。そうさね……一週間くらいは必要だ。なにせとんでもなく堅いからね、1度のひずみを直すのに三日はかかる」


 一週間。七日間。百六十八時間。思っていたよりも、いくぶんか長い。

 秋の《大釜カルドロン》本戦まで残すところ二ヶ月を切っているということを考えると、それは決して短い時間とは言えなかった。未熟者のわたしにとって、静かに、けれど確実に出血し続ける貴重な時間だ。


ひつぎ》のナコト、《つるぎ》のクリスティナ。

 一朝一夕で追いつける背中ではないことは十分に承知していたけれど、だからこそ一分一秒さえ惜しかった。ナコト先輩の傍らに登り詰めることだけが、わたしのたったひとつの願いであり、よすがなのだから。


 わたしは心の中で、「これは必要なことなのだ」と自分に言い聞かせる。

《ヘルター・スケルター》には修理が必要で、処置は早ければ早いほうがいい。ひずみが取り返しのつかないほど大きくなる前に。

 何より、そうなってしまったのはわたしの未熟な操縦のせいなのだ。わたしは下唇を噛んで、焦りを押し殺す。


 アカンサは乳白色に曇った瞳でわたしを見つめて肩をすくめ、やれやれといったふうに首を振った。それから「ちょっと待ってな」と言って、大儀そうに椅子から立ち上がり、店の奥に引っ込んでいった。


 しばらくの間、ごそごそという何かを探す物音が古ぼけた店内に響いていた。

 いい加減立っているのにも疲れていたけれど、勝手に座ってまた蹴っ飛ばされるのも嫌だったので、結局わたしはそのまま立っていることにした。


 アリソンはアリソンでなにか緊張感のようなものを感じ取っていたらしく、アカンサの帰還を待つ間、ひと言も言葉を発さなかった。

 仕事のないみたいに突っ立つわたしを尻目に、まずそうにお茶を飲み干して、テーブルに置かれたかごからお茶菓子をひとつつまみ、点検するように何度もひっくり返しては色んな角度から観察していた。


「お菓子はたぶん手作りじゃないから、大丈夫だよ」とわたしが声を掛けると、ぱっと表情を明るくして、口に運ぶ。

 黙ったまま小動物みたいにお菓子をほおばる彼女を眺めながら、アリソンが人見知りをするなんて珍しいな、とぼんやり考えていた。


 そうこうしているうちに、アカンサは一本の箒を携えて戻ってくる。

 彼女のローブや三角帽子のあちこちには、埃や蜘蛛の巣が壮大な冒険の証としてくっついていた。


「あんたいつまで突っ立ってんのさ」


 ひどい言い草だ。

 閉口するわたしをよそに、アカンサは乱暴に衣服の汚れを払ってから、わたしに箒を差し出した。


「3.5ファウナス、カット58。チェリーウッドのミドル――通称、《ストリング・バッグ》。あたしのお古でよければ貸してやるよ。骨董品だが手は入れてあるし、学校貸し出しのぼろ箒よりはよく飛ぶ」


「《ストリング・バッグ何でも入る買い物袋》?」とわたしは聞き返す。


 その箒は、ひどく古いもののように見えた。アカンサの言う「学校貸し出しのぼろ箒」よりも、ずっとずっと古い。くたびれているとかへたっているとかではなくて、設計そのものが古風といった感じだ。


「本当は《シュライクⅣもず四号》って立派な名前があるんだがね、みんなそう呼んでた。――とにかく何にでも使えるってことさ。制空、迎撃、爆撃に輸送。乗り手を選ばず何でもござれ……というか、それしか無かったってのが実情なんだけどね。まあ、とにかく名箒めいきって部類の箒だよ」


 言い終わると、アカンサは紅茶を飲んで一息つく。

 おずおずと切り出したのは、アリソンだった。


「あの、お取り込み中のところごめんなさい。ミス――」


「堅苦しい敬称はお互いに使わない。あたしはアカンサ、あんたはアリソン。いいね?」


 アリソンを静止するアカンサの声色は、わたしに語りかけるときよりもいくらか柔らかいものだ。

 アリソンはこくりとうなずいて、少しだけ肩の力を抜いた様子で言葉を続けた。


「……それじゃあ、アカンサ。わたしの思い違いかもしれないんだけど……《シュライクⅣ》って、大戦末期の軍用箒ですよね? 百五十年前の」


「おや。あんた、詳しいのかい?」


「いえ、ニナが代表選手になってから勉強しただけだから、詳しいなんてことはないんです。けれど……その……アカンサって、いま、?」


「レディに歳の話は禁物だよ」


 アカンサは笑う。ひっひというしわがれた声とは裏腹に、十代の女の子みたいな悪戯っぽい笑みだった。

 それからわたしに向き直り、彼女は言う。


「ともあれ……その箒はあたしとおんなじ年寄りだけど、腐っても軍用箒、信頼性は折り紙つきだよ。《ヘルター・スケルター》が戻ってくるまで、そいつでまともな飛び方ってものを覚えな」


 ため息をつき、わたしをじっと見つめる。


「――さもなきゃあんた、どっかで必ず負けることになる」


 曇った両目から笑みを消し、わたしの目を真っ直ぐに見据えて、アカンサはきっぱりと言い放った。

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