セカンド・ディール

 アリソンの指が、ちゃかちゃかと小気味のよい音を立ててカードを切っていく。


 春夏秋冬の図案スートと、それに対応する各季節十三種類の花。

 計五十二枚で構成される華札は、ク・リトル・リトルで最もポピュラーなカード遊びのひとつだった。


「友達から聞いたんだけど。ニナがナコト先輩と街で買い物してたって」


 ちゃかちゃかちゃか。

 話しながらもアリソンの手は滑るように動いて、華札を綺麗に混ぜる。


 器用に動くアリソンの手さばきを眺めながら、わたしは「ふむ」とうなずく。

 いつの話をしているのだろう。

 競技滑翔の道具を買い揃えに行ったときの話だろうか?

 ほんの一ヶ月前の事なのに、なぜだかずいぶん昔のできごとのように思えた。


「わたしって、ニナとの付き合いはナコト先輩よりも長いわよね?」


 ちゃかちゃかちゃか。


「そうだね」と、わたしは相づちを打つ。

 彼女との付き合いは、入学ほやほやの一年生の頃からだ。


「だとすると、わたしにもニナとお買い物に行く権利は当然あると思うんだけど」


「権利?」とわたしは聞き返す。――権利?


「ある物事をしたり、他人に要求したり、あるいはしないでおくことのできる資格のこと」


「そういう意味じゃなくて……」


 確かにアリソンと何処かに買い物に出かけたりしたことはなかったけれど、それは単純に、街に出てまで買い物をするような用事が無かっただけだ。

 そうじゃなくたって、別にわたしと買い物に行くくらいのことで〝権利〟を振り回す必要なんかない。少なくともわたしはアリソンのことを親友だと思っているのだから。ただ端的に「買い物に行こう」と誘ってくれればいいだけだ。


 だから、わたしには彼女が言う〝権利〟というものがうまく理解できなかった。

 わたしの当惑をよそに、アリソンはカードを混ぜ続けながら言う。


「……でも、これはわたしのパパがよく言うことなんだけれど――『権利は空から降ってくるものじゃない、勝ち取るものなんだ』って。わたしはパパを尊敬しているし、その言葉も正しいと思うの」


 アリソンがカードの束を二つに割って、両方の端っこを親指ではじくと、びびびびびっ、と派手な音を立てて、カードがお互いを噛み合うように互い違いに混ざってゆく。

 カードを揃えて席に備え付けられたテーブルに置くと、前髪をひと房いじってから、アリソンは何かを決心したように言った。


「だから、ニナ。わたしが勝ったら、今週末、一緒に買い物に行こうよ」


 なにが「だから」なのかは、よくわからなかった。


 これは何度だって言うけれど、アリソンと出かけることは嫌ではないし、街に何か用があるなら単にそう声をかけてくれればいいのに。ちょうどわたしも、そろそろ《ヘルター・スケルター》を整備に出そうかと思っていたところだったのだ。アリソンと一緒なら、きっと街を歩くのも楽しいだろう。


「別に、そんなことで勝負しなくても――」


「ニナが勝ったら、明日のお昼ご飯はわたしのおごりよ」


「乗った。やろう」


「グッド。札合わせポーカーでいいよね?」


 わたしは一も二もなく返事して、アリソンの勝負を受けることにした。




 札合わせは、配られた五枚のカードで役を作り、その強さを決める遊びだ。

 役の強さを競う他に、相手を勝負から下りさせれば役の強さに関わらず勝つことが出来るから、はったりなんかの心理戦がものを言うゲームでもある。


「ニナに、わたしに。ニナに、わたしに……」と、アリソンは歌でも歌うような調子で、カードを交互に配ってゆく。


 正直に言うと、わたしはこの手のゲームが得意だとは言い難かった。

 仕草や表情からにじみ出る感情を抑えつけるのが苦手だったからだ。十年経って幾分か大人になった今でも、それは変わらない。

 わたしはいまだに嬉しいことや悲しいこと、辛いことや美しいものごとに対する免疫力を持ち合わせていない。

 自分の意思とは無関係に膨らんだりしぼんだりするこの気持ちを、わたし以外の人びとはどうやって手懐けているのだろうか? きっと、永遠の謎だろう。


 とはいえ、もちろん勝算無く勝負を受けたわけではない。わたしは既に山札に積まれたカードの順番を知っていたのだ。

 アリソンが最後に行ったリフル・シャッフル――あのびびびっとカードを弾く混ぜ方だ――の時にわたしはカードの図案と花の種類を盗み見ていて、お互いにどういった役が出来上がるのかを把握していた。


 わたしに配られるはずのカードは、春のダリア、夏のダリア、冬のシネラリア、夏のクレマチスに夏のラベンダー。

 つまりダリアのワンペア。

 アリソンは手役なしぶただ。

 秋のダリアは山札の上から十七枚目にあったから、カードの交換ドローでアリソンが何枚カードを変えようと、わたしにはダリアのスリーカードが揃う。対するアリソン側はワンペアが関の山だ。負けることはあり得ない。


 わたしは「別にこれはいかさまでも何でも無いぞ」と自分に言い聞かせる。 

 人よりもちょっと目が良いだけなのだ。

 見えてしまったものは仕方ない。アリソンには悪いけれど、お昼ご飯はわたしのものだ。

 胸をちくりと刺す小さな罪悪感に目を背けつつ、わたしは鼻息荒く手札をめくった。


「……あれっ?」


 役なしだ。

 配られたはずのダリアのワンペアは何処にもなかった。


「覚えてた並びと違う?」アリソンはくすくすといたずらっぽく笑う。


「ずっと見てたでしょ、わたしがカードを混ぜるところ」


 その言葉にわたしはぎくりとしてしまう。

 別にいかさまでは無いのだから変にうろたえる必要は無かったのだけれど、胸の内のちょっとした後ろめたさを、背中からぶっすりと刺されてしまっていた。


 冷や汗を垂らしながら、それよりも、とわたしは思う。


 ――どうやって、やった?


 わたしはカードを配るアリソンのことも、注意深く見ていたのだ。

 彼女が怪しい動きをした形跡は全くなかった。それなのに配られたカードは全くのでたらめで、それをどうやったのか見当も付かない。

 アリソンがなにかしたのは確実だったけれど、その手管がわからない限りは指摘することも出来なかった。

 いかさまは、いかさまだとばれなければ、いかさまではないのだ。


「まあ、見ていたとしても記憶違いってこともあるものね。……それで、どうする? 何枚交換するのかしら?」


 それは事実上の勝利宣言で、結局わたしはのまま。

 アリソンの手札はそっくりそのまま、わたしに配られるはずのダリアのワンペアだった。


「ね、ニナ。ニナの目はとってもいいけれど、目で見えている事だけが全てじゃないのよ」


 はちみつ色の親友は頬杖をついて笑う。奇麗に揃った歯を見せて、「ししし」と、いつものように。




  ◆




「セカンド・ディールね、それは」とルームメイトのビビは言った。

 狭く埃っぽい寮の自室、寝間着に着替えたわたしは二段ベッドの下の方に座っていて、ビビは机に座って鉱石テレビを眺めていた。

 部屋の一角を占拠する巨大な鉱石テレビはビビの私物で、画面の中では彼女が大好きなテレビ・スターが歌って踊って笑顔を振りまいている。わたしはビビほど男子に興味がなかったから、はっきりとは覚えていないけれど、確かエリックなんとかいう名前の男の子だった。


「セカンド・ディール?」とわたしは聞き返す。

 ビビは「そんなことも知らないの?」とでも言いたげにわたしを一瞥して、三つ編みのくせがすっかり付いてしまった黒髪をかき上げ、びん底眼鏡のつるを持ち上げる。

 それから小さく肩をすくめ、「まあ、百聞は一見にしかずね」と言った。


 わたしに向き直ったビビは、机の引き出しから小さな紙束のようなものを大事そうに取り出す。華札よりもひとまわり小さく、四方に箔を押されたテレビ・スターのブロマイドだった。


「なにそれ」


「スーパー・ハンサム・トレーディング・カード。お菓子のおまけ」


 わたしの質問にビビは答えて、ブロマイドの束の一番上を指し示す。描かれた絵柄はテレビに映る横顔と同じ、ぴかぴかブロンドの男の子だ。


「いい? 一番上がエリック様。わたしの宝物よ。けれど、こんな風に……」


 ビビは素早くカードを引き、わたしの方に、と放り投げる。

 ハンサム・カードはくるくると回転しながら空を飛び、わたしの胸板に当たって膝の上にぽとりと落ちた。


「あれっ?」


 拾い上げたカードには、エリックなにがしではなく、彼と比べてどこか物足りない感じの別の男前が、アンニュイな表情で写っていた。

 エリックの歯の浮くような笑顔は、未だビビの手の中だ。


「これがセカンド・ディール。一番上のカードを取るように見せかけて、二枚目のカードを抜くの。『カードは必ず山札の一番上から引かれる』っていう、心理的な思い込みを利用したいかさまね。どれだけ注意深く見ていても、その固定観念がある限りは絶対に見抜けない。あんたみたいな子はすぐに引っかかる手よ」


「わたしが素直ってこと?」


正直ってこと」


 なるほど、とわたしは思う。


 つまりアリソンは、わたしの認知の死角を突き、セカンド・ディールを使って意図的にくずカードだけをわたしに配っていたわけだ。

 それでも、疑問は残る。では、どうやってアリソンは配るべきカードとそうでないカードを区別していたのだろうか。

 尊敬すべきエリックの狂信者、ルームメイトのビビはその疑問にもすんなりと答えを出してくれる。


「アリソン・セラエノ・シュリュズベリーが自分のかばんから出したカードを自分で混ぜたんでしょう? あの子とても器用で頭がいいから、きっとかばんに入れる段階で山札の並びを作ってたのよ。それから自分の思い通りの並びになるように混ぜたのね。……要するに、あんたに勝負を挑む前からは始まっていたってこと」


「そんなことって、みんな出来るものなの?」


「手先が器用で、うんと練習すればね。……指先の感覚で覚えるの。ことわざにもあるように、『賭けとカードは淑女の嗜み、いかさまは魔女の嗜み』。見抜けず負けた方に責任がある」


 言い切ると、ビビはつまらなさそうに鼻から息を短く吐き、大事なハンサム・カードを机に仕舞った。


「そのカード、あげるわ。はずれだから。……もういい? 番組に集中したいんだけど」


「あとひとつだけ」


「なによ」


 わたしは手元に残されたかわいそうなはずれカードを少しだけ眺め、何度か裏返したり光に透かしてみたりして、結局ベッド脇のサイドテーブルに放る。

 それから、最後に残されたひとつの疑問を口にした。


「……アリソンはどうしてそこまでして、わたしとの勝負に勝ちたかったんだろう?」


 ビビはびん底の奥で眉根を寄せる。それからしばらく考える素振りを見せ、「知らないし、どうでもいいわ」とだけ言った。


 それきりビビは鉱石テレビにかじりついてしまい、ついぞ最後の疑問には答えが出なかった。

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