第6話 告白

 翌朝、ぬくぬくの布団からのそりと起き上がり、窓の外を見ると雪がうっすら積もっていた。スマホで交通情報を調べると、このあたりの電車は遅延しているけど動いているようだった。


 今の時点で休校のメールは来ていない。学校にいかない選択肢はなかった。母には美術部で朝から集まりがあると言い、コピー本と液タブをカバンの中に入れて登校した。


 早朝の学校は閑散としているわけでなく、朝練の生徒の活気であふれていた。グラウンドは雪でぬかるんでいたので、校内で筋トレをしている生徒も多い。


 その中に、島崎先生を発見した。声をかけるかどうか迷っていたら、こちらに気づいてくれた。先生はテニス部の部員になにか支持を出して、わたしに駆け寄る。


「ありがとう、こんな朝早くから。ここじゃあれだから、教室いこうか」


 先生にこんなことを言われ連れ立って歩いていると、よくある先生と生徒の恋愛ものみたいだと、ちょっとだけときめいた。


 しかしすぐに、ときめきはしぼんでいく。恋によって距離を縮めたふたりではなく、BL本の貸し借りというオタク的距離の詰め方なのだから。


 先生がカギをあけ、暗い教室の中に入る。パッと電気がつけられ、目が一瞬くらんだ。目をしばしばさせて、カバンからBL本を取り出し先生に差し出した。


 先生はさっそく袋の中から本を出し、パラパラとページをめくり始めた。


「せ、先生、今じゃなくて、後で読んでください」


 目の前で男性教師に自作のBLを読まれるという、苦行に耐えられなかった。


「ごめーん。すぐ見たかったから。でも、原田さん絵が上手だね。さすが!」


 上手なんて言われると、ついつい流し見を許してしまう。


「この鷹男くんと、吉峰くんって。高峰晶くんと忍さんがモデルなの?」


 うっ、やっぱり先生でもわかるのか……。


「あ、あの、ふたりを揶揄するとか、そういう意図ではなく、純然たる萌えによる衝動で……」


「あっ、とがめてるんじゃないから。忍さんってたしかにボーイッシュで、かっこいいよね」


 先生はふとコピー本をめくる手をとめ、きょとんとした瞳でわたしを見る。


「でも、わざわざ男子にしなくても、一人称が僕のボクっ娘でもよくない? そっちでも萌えるかも」


 忍ちゃんをわざわざ男子にした理由……。そんなこと、考えもしなかった。


「原田さん、少女漫画も好きって言ってたから。女性をわざわざ男性にして描くって、どういう意図があるのかと思ったんだ。あっ、深い意味はないからね。気にしないで」


 わたしは自分の中に答えを見つけられなくて、薄い笑いを浮かべることしかできなかった。


 それから先生はもう一度礼を言うと、コピー本を袋に片付けて出て行った。わたしは今日最大のミッションを終え脱力して、自分の席に座り込む。


 窓際の席からぼーっと薄暗い外を眺めていると、体育館の灯りが目に映る。中からは、バスケットボールの弾む音、掛け声が聞こえてくる。


 わたしは家から持って来た液タブを出し、おもむろに原稿を描き始めた。窓の外では、雪が降り続けている。


 ペンを握り液タブに向かっていても、頭の中では先生の質問が頭から離れなかった。


 ――女性をわざわざ男性にして書くって、どういう意図があるのか……。


 別にたいした意図なんかない、たぶん、無意識……。でも、エゴとは無意識の中から生まれ成長するもの。


 たしか、なんかの本にそう書いてあった。


 答えの出ないことばかり考えていると、ちっとも原稿は進まない。ペンを指で回していたら、手元が狂い机の角にあたり派手な音を立てて床にころがった。


 その音に、教室の引き戸が開く音が重なる。先生が入って来たのかと、顔をあげるとそこに立っていたのは、晶くんだった。


「今日、休校になったよ。北から乗り入れる路線が運休になったって」


 晶くんは朝練のジャージ姿ではなく、制服に着替えていた。わたしはあわてて液タブの画面を暗くする。


「あっ、知らなかった。わざわざ、ありがとう」


「体育館から、窓際に座ってる人が見えたから。ひょっとして知らないのかなって」


 晶くんの用事はそれでお終いのはずなのに、こちらに向かって歩いてくる。わたしの落としたペンを拾い渡してくれた。


 そのまま晶くんは自分の椅子に、腰をおろした。


「昨日、忍に訊いたんだ。進路のこと」


 晶くんは膝の上で組んだ自分の手を、じっと見たまま続ける。


「美大には行かず、医学部を受けるって言われた」


 わたしは目を見張り、声も出なかった。忍ちゃんとは小学校からのつきあいだ。今まで忍ちゃんの口から、医者になりたいなんて一言も聞いたことがない。


「それって、忍ちゃんの本心なのかな……」


 また晶くんと張り合ってるとしか、考えられなかった。


「俺も、本心じゃないと思う」


 ここで間をおいて晶くんは大きく息を吸い込むと、ため込んでいた気持ちとともに吐き出した。


「忍は叔母さんが亡くなってから、どんどん俺の知らない忍に変わっていった。変わらないでほしかったけど、そんなの俺の勝手だし。変化なんて、止められるわけない。でも、忍は絵がむちゃくちゃ好きだってことは絶対今も昔も変わらない。だから、好きなことしてほしいだけなんだ。俺がそう言っても、わかったようなこと言うなって、怒られた」


 悔しそうに顔をゆがめる姿を見ていると、晶くんの体温を初めて感じたような気がした。


 王子キャラではなく、自分と同じ高校生がいま目の前でしゃべっている。萌えるわけでも鼻血が出るわけでもないのに、晶くんの気持ちが痛いほどわかる。


「俺、美術のこととかわからないから、それ以上何も言えなくて」


 そうか、昨日から晶くんがわたしに忍ちゃんの進路を訊いてきたのは、美大にいけるって言ってほしかったんだ。


「忍ちゃんは、東京の有名な美大に受かる十分な実力を持ってるよ」


「じゃあ、なんでいかないって言うんだろ」


 すがるように訊かれても、そんなの、わたしにわかるわけがない。忍ちゃんの本心は、きっと誰にもわからない……。


「忍ちゃんは、何かに縛られてるのかも」


 進路って自分で決めることだけど、みんながみんな自分の意志だけで決めているわけじゃない。むしろ、自分の考えだけで決めている人の方が、めずらしいんじゃないかな。


 親の経済状況や思惑、就職率や世間の目。選択の自由を縛るものはたくさんある。


「そっか、そうだね。縛られてるのか……」


 わたしの言葉に、晶くんは口の中で『縛られてる』を何度も繰り返している。忍ちゃんが医学部にいくと言った真意を、一生懸命考えているのだろう。


 ただのいとこに、そこまでしないよね。


「晶くんは、本当に忍ちゃんのことが好きなんだね」


 その言葉は、無意識に口からこぼれていた。


 散々漫画の中で、ふたりに愛を語らせているのに。小学校の頃から、晶くんの気持ちを痛いほどわかっているはずなのに。


 それでもわたしは、問いかけに反して認めないでほしいと切に願っていた。現実のふたりが愛し合うことを心の底で拒否していた。


「うん、どうしようもなく好きなんだ」


 晶くんの口から洩れた、せつないほどの愛の告白は、わたしに向けられたものじゃない。かすれ声で吐息のように発された台詞は、忍ちゃんのもの。


 推しに対する愛の言葉を聞いて、オタクとして正しい反応は狂喜乱舞のはずなのに。わたしの胸に去来する感情は、どす黒い嫉妬以外なにものでもなかった。


 わたしは萌えを接種したいただのオタクではなく、屈折をかかえためんどくさいオタクだったと、今この瞬間に自分で自分を発見した。


 ふたりを壁になって見ていたいとか言ってたくせに、壁どころかわたしはあきらかに、忍ちゃんをモデルにした吉峰くんに感情移入していた。


 吉峰くんはわたしのかわりに鷹男くんといかがわしいことをして、わたしのかわりに汚れる人。汚れる代わりに、自由になれる人。


 ほんと、めんどくさい。自分でもあきれるほど、めんどくさくて歪んでる。

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