チュートリアルは終わらない

銀華

エピソード1

SideA プロローグのプロローグ01

 その少女は一体どれほどの間その場で泣き崩れていたのだろう。雨も降らぬというのに乾いた地面にできた小さな黒いしみは数知れず。


「お父さんのことは残念だけど、元気を出しなよクーラちゃん」

「せっかくセーリス麦も実り、村もこれから忙しくなるときだっていうのに……」

「この豊穣の季節にまた……かわいそうに。お母さんももういないというのにねぇ」


 クーラと呼ばれた少女は眼前に立つ白く染まる十字架の前にしゃがみ込み、ただ茫然と視線の行き場を探し続ける。


 小さな丘に建てられた簡易的な墓標たち。それらを優しく見守るようにそびえ立つ大樹。そして……実りの季節を絵に描いたように辺りには見渡す限りの金色の麦畑が広がり、風に吹かれ波立っている。


 彼女を憐れみ取り囲んでいた者達はぽつりぽつりと憐みとも嘆きともとれる言葉を残し、一人、また一人とその場を後にしていく。そして墓標の前にしゃがみ込むクーラのみが一人なおもその場を動けずにいた。


 生きている者は生きるために忙しいのだ。何もせずにただ冷たい土の中に眠る死者と違い、生ける者は何かしら働き続けねばならない。 やがて彼女も立ち上がり村人たちのもとに……生きる者たちの群れに戻らねばならない。だが、親の後を意味もなくついて回ることが楽しく、心地よいと感じていた少女にはどうやらまだ時間がかかりそうだ。


 心躍る景色であるはずなのに……どうして。少女の瞳はまるで麦畑を避けるようになおも泳ぎ続ける。そして……彼女の視線は十字架の向こうから歩いてくる一人の人影に焦点を当てた。


 旅人を思わせる傷んだマントに身を包むその者はどうやら女性のようだ。この辺りでは見かけない銀髪、そして力強く凛とした顔立ちに思わず少女は声を漏らしそうになる。


「何かあったの……?」


 ぽつりとつぶやくような声。それが自身に向けられたものと気づくまでに多少時間はかかったが、沈黙を破るように少女の口は力なく動いた。


「お父さんが……いなくなっちゃったの」


 嘘偽りのない嘘であって欲しい台詞。気が付けば自身の前に立つその女性の顔を少女は見上げるように見つめていた。


「いなくなった? だけどそれだけじゃまだ死んだとは言えないでしょう? それなのにどうしてお墓なんて……」

「村のみんなは"狩る者の収穫"だって。だとしたらもうお父さんは死んで……死んじゃって」


 自身を見下ろす女性の顔は無表情に近いながらもどこかもの悲しい。深海を思わせる暗く淀んだ瞳が少女を見つめ、目を合わせたクーラは心が凪いだようで不思議と表情に生気が戻る。


「よかったら詳しく聞かせてくれる?」


 金属同士がぶつかるような音がした。それが顔の高さを合わせるためにしゃがんだ女性のものだとすぐにわかる。マントから覗く女性の足は使い込まれたであろう、細かな傷の多い足鎧レッグアーマーに膝元まで包まれている。そこに腰に下げた剣の鞘が触れたのだろう。


「お姉さんは……誰?」

「シーア、それが私の名前。私はあなたを何と呼べばいいのかな?」

「あ……私はクーラ。クーラっていうの」


 気が付けば少女の涙は止まっていた。シーアと名乗った女性は立ち上がると同時にクーラへと手を差し伸べていた。


《あなたは立ち上がらなければいけない……》


 目の前の女性が呟いたのか、自身の心が声を上げたのかはわからない。だが、不思議と足に力が戻り気が付けばシーアに支えられるようにしてクーラは大地に再び足をつける。


「クーラっていうのね。じゃあクーラ、私があなたの力になるわ。だから、あなたも私に力を貸してくれる? あなたのお父さんがいなくなった理由わけを、私がきっと見つけてあげるから」


 淡々とした物言いだがどこか温もりを感じる声。それが、少女の中に眠る失いかけていた強さ・勇気、そんな感情を呼び起こす。


《あなたは立ち上がらなければいけない……》


 そう……少女が待ち望んだ言葉は哀れみや慰めといった幕切れフィナーレではない。むしろ少女が待ち望んだのは開幕ファンファーレ。真実へと立ち向かおうとする自身を導いてくれる希望。


「まずはそうね……この村の案内をお願いできる? あと、できれば食事をとれる店も早めに教えてくれないかな……お値段低めで」


 シーアは腰に下げていた革袋を逆さに振り、数枚のコインを取り出し他に中に何もないことをアピールする。先ほどまでの凛としたそれと違いシーアの顔は緩みきっていた。


「……大丈夫かな」

「だ、大丈夫だから! 私に任せて!」


 思わず漏れたクーラの言葉にシーアは間髪入れずに答える。その表情には少女にも見て取れるほどの焦りを感じる。それが一層クーラの不安と失笑を誘ったのは言うまでもない。

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