変わり果てた姿

 額に滲んだ汗が雫となり、地面へと落ちる。


 乾いた葉の音が静寂と混沌を招く中、洸太郎は迷わず奥宮を目指していく。


 砂利と落ち葉を地面に擦り付け、その反動を次の歩みに変える。高ぶる感情も相まって、踏み出す一歩には自然と力がみなぎっていた。


 そして間もなく、洸太郎の目は石段の頂上で待ち構えるように立つ、高木の姿を捉えたのだった。


 高木は一瞬、どこか驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの表情へと戻り、静かに頷く。


 先頭を歩く洸太郎も挨拶代わりに軽く頷き、残りの石段を上がって行く。

 

 互いの声が届く距離まで近づくと、高木は「一緒にいるのは……森本くんだね」と洸太郎に問いかける。


 洸太郎は返事をしようとしたが、後ろから森本が高木に直接、言葉を返す。



「ご無沙汰しております。高木さん」


「いつ振りだい? まさかこのような形で、再会することになろうとはね」


「もう十二年……近くになるでしょうか。その節はお世話になりました」



 高木は「いやいや」と言って肘を折り、右手を軽く上げる。


 簡単な挨拶が終わると、洸太郎は早々に本題へと話を進めた。



「高木さん。神木様のところへ行っても良いですか?」



 洸太郎がそう言うと、「もちろんだ」と言って、高木はきびすを返した。


 真上を走りゆく閃光が激しい音とともに、洸太郎の影を瞬間的に地面へと映し出す。その影は、心の奥底にある感情を映し出したかのように、一切の光さえも通さない色をしていた。


 唸るような風は次第に強さを増し、洸太郎の背中を押していく。


 気持ちとは裏腹に、驚く程軽快なまま、二本の足は二つ目の石段を上った。


 状況が変わっても、奥宮へと続く石段を進むと身体が何かに反応するように、体感温度は下がっていく一方だった。



「洸太郎はさ、いつからわかっていたの?」



 瑠奈は歩幅を広げて洸太郎の隣まで来ると、唐突に言った。


 洸太郎は軽く首を瑠奈の方へ向け、表情を伺うように返事をしたが、瑠奈と目線が合うことはなかった。



「いつからって? 急に何の話?」


「ここまで来て、何の話ってこともないでしょ? 突然、私たちの前に『雨の種』が現れて、頭の中を整理出来ないくらいの短期間で色々なことを知ってさ。それなのに、『神木様を生まれ変わらせること』に関しては、あなたはいつもどこか冷静じゃない。自分の命が掛かっているのよ? 正直、私は今も考えが纏まらない……。でも、洸太郎は違う。もうずっと前から、わかっていたみたいな感じがするの……ねぇ、違う?」



 訴えかける瑠奈の強い視線を感じたが、今度は洸太郎がその視線には応えなかった。


 洸太郎は表情を変えずに無言を貫いたまま、目で高木の背中を追う。


 何かを察したかのように、それ以上、瑠奈が問いかけて来ることもなかった。



 地面に足を付け、また踏み出していくように、洸太郎は繰り返し、自分のやることを整理する。頭の先から足の先まで思考を巡らしながら歩いていくと、みるみるうちに石段の奥に広がる世界は姿を現していく。


 石段を上り切ってからも歩みを止めることはなく、そのまま真っすぐに足を進める。


 洸太郎は奥宮の背後に立つ神木様を見ないように、少し視線を下げた。


 奥宮の脇を通り、神木様の元に近づいていく。


 そして、神木様へと続く石段を前に、森本が静かに呟く。



「ここに来るのも……久しぶりだな」



 その声を聞き、ようやく洸太郎は視線を上げた。



「神木様……」



 空気を振動させるにも至らない、音にもならない程の声で、洸太郎は呟いた。


 石段の奥にそびえ立つ神木様は、持てる力を余すことなく全て使い果たしたと言わんばかりに、全身を白い衣装に身を包んだような状態で、天に向かって静かにたたずんでいる。立っていることすら不思議に感じる程、すっかり姿を変えている。


 しかし、辺りはすっかり暗くなっているというのに、それでも尚、その姿が色せることはなかった。


 洸太郎が立ちすくむようにその場で足を止めると、後ろに続く四人も洸太郎に並ぶように、神木様が見える位置で歩みを止めた。



「千三百年も、ここで雨を降らせてくれていたんだよね……」



 瑠奈が神木様を見上げながらにそう言うと、「こんなに大きかったんだな」と大介は遠い昔を思い返すかのように言った。



「千三百年って一言で簡単に言っているけど……想像も出来ないくらいの歴史と重みがあるよね。一体、どんな世界を見てきたんだろう――」



 千歳の言葉に、高木がこちらを振り返って確認をする。



「感慨深いものがあるだろう……。どうする? もう少し前まで行くかい?」

「いえ、ここまでで結構です」



 真っすぐ、強い眼差しを高木に向け、洸太郎は答えた。


 神木様には心から感謝している。だからこそ、今は感傷に浸っている場合ではない――そう、洸太郎は自分に言い聞かせた。


「そうかい」と微笑みを向けた後、高木は上半身を後ろへ捻り、神木様を見上げて言う。



「とうとう、この日が来てしまったね」



 高木の言葉に反応するように、洸太郎は「今まで本当に、ありがとうございました」と深く頭を下げた。


 それから再び視線を神木様へと戻すと、暫くの間、儚げに映るその姿を目に焼き付けたのだった。



 激しさを増す稲妻が、夜空を裂くように走っていく。


 雲はここかしこで開けていたものの、「月」はまだ、現れていなかった――。

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