第5話

 吾輩がこの世界に来てからどのくらい経ったであろうか。

 月がぐるりと一周はしていると思うのだが夜にいつも見上げているばかりではないので定かではない。

 吾輩が人ではなく猫であるという自覚は増したのは事実である。

 先日にクロ殿との邂逅を済ませた吾輩にも知己が増えた。

 彼はどうやらこの通りの顔役であったようでその紹介で他の猫と顔を合わす機会を設けてもらった。

 この街に顔役は何匹もいるらしく、その上の上が長老であらせられる。

 いったいどのような御方なのか皆目見当がつかず期待が膨らむばかりなのだが、新参の吾輩は謁見を許されるまでただただ待つ身であった。

 人の往来無き場で集会を開き愚痴を零すばかりである。


「まあそのうちに機会も巡るだろうさ。それまでこうやって日向でのんびりしていればいい」

「左様。慌てる猫は三味線にされるとの言葉有り」


 トラヴィス殿とジン殿が吾輩の気を慰めようと話しかけてくる。

 茶黒の縞模様がトラヴィスで黒白がジンである。

 トラヴィスは自分から語りかけてくることが多いがジンはあまり喋りかけたりすることはない。

 獲物をうかがうように身を伏せて耳をじっとこちらにむけている。

 吾輩は二人の慰めに嘆息した。


「そうはいっても待つのは長い」


 工房でクロとすれ違えどもう少し待てとしかいってはくれない。

 彼は彼で色々と手回ししているのだろうが催促して気分を害するのも良くない。

 吾輩は伏して天に昇るのを待つばかりである。


「君はスキルに憧れを抱いているようだがそんなに期待するほどのものではないよ。右足を上げるか左足を上げるかの違いさ」

「出来る者はそう思うかもしれないが、吾輩にとっては酷くもどかしいのだ」

「期待が大きすぎると分かった時に落胆してしまうかもしれないよ」


 トラヴィスの言葉には一理ある。

 スキルとは千差万別である、効果はそれぞれ違うのだ。

 あまり有用でないものももちろんある。

 この二匹も当然スキル持ちである。

 ジンの方は見せる程のものではないと拝見してないがトラヴィスのは見せてもらったことがある。

 クロの球雷とは別種、鼠を捕れるようなものではなかった。

 だが今の吾輩にはスキルを使えるだけで羨ましい。

 友を妬むなぞ甚だお粗末な脳みそをしていると己でも思う。

 こう考えてしまうのもただ時間が過ぎるからだ。

 吾輩の心中を察したのかトラヴィスが口を開く。


「まああまり悶々とするのも良くない。場所を移動して気分転換といこう」

「されば門外の場所か」

「察しがいいと助かるよ。ここは静かだが思いを馳せるには良くないらしい」


 ゆらゆらとのんびりとトラヴィスが笑う。

 吾輩と体格はそれほど違わないのであるが彼は吾輩より落ち着いている。

 中身の年齢では吾輩の方が上だと思うが猫生経験ではトラヴィスのほうがずっと上である。

 これが年長者の格というものである。

 トラヴィスを先頭に吾輩たちは坂を下っていった。

 門の周りでは人の集団が賑やかである。

 吾輩たちはそんなことはお構いなしに衛兵の間を通り抜け、街の外へと出た。

 街は壁に囲まれている、それを抜けるには門を通らねばならぬ。

 用のある者は衛兵にこれこれしかじかと説明しなければならぬ。

 それゆえにこうやって常に人が列をなしているのだ。

 猫にそのような道理は通じないので吾輩たちは堂々と外へと向かう。

 外へ出れば一面緑で田園風景に人がちらほらと見える。

 隊商は流石に一同大勢入れる訳にはいかぬので、街の外の宿屋に泊まっているそうだ。

 そうであろう。

 あの馬車群が街中に押しかけられては身動きが取れぬ。各々日をずらして積み荷を運ばねばならぬ。

 結果日銭を費やさねばならぬのは一種の税金であろう。

 人というものは生きているだけで金がかかって世知辛い。

 吾輩はただ糊口を主人にねだるのみである。

 吾輩たちの行き先はこの商人たちを足止めている宿屋ではない。

 吾輩たちの行き先はもう少しさきであった。

 宿屋とは違った大きい建物が見えてくる。そこが吾輩たちの向かう場所である。

 吾輩たちが向かう場所は孤児院である。

 今日は子供たちを相手にせねばならぬのである。

 吾輩たちが近づくと、目ざとく一人の子供が吾輩たちを発見した。


「ねこさんだ!」


 子供が建物に戻るとわあわあわあわあ別の子供を引き連れてやってくる。

 吾輩たちは三匹。対するむこうは大勢であった。

 これが酒場の親爺どもであれば吾輩は死を覚悟せねばならぬのだろうが子供たちはそうではない。

 取り囲み輪になって吾輩たちを囃し立ててくるのだ。


「ねえねえねこさん、アレみせてよ」

「みせてみせて」


 子供たちの期待の言葉はトラヴィスにむけて発せられていた。

 彼は慣れたもので当然といったようにピンと背筋を伸ばして澄まし顔である。

 あまりに微動だにしないので痺れを切らした子供が近づこうとしたが、それを別の子供が制止した。



「だめだよ。ねこさんなにかあげないとみせてくれないよ」


 ポケットから何かを取り出しトラヴィスの前へと放り投げた。

 それは子供たちのおやつである。

 ビスケット。クッキー。このさい名前なぞはどうでも良い。

 大切なのは彼らが吾輩たちに甘味を譲渡してくれたということであった。

 まずトラヴィスが一口いただき吾輩とジンがご相伴にあずかる。

 口の中に甘さが広がり桃源郷の心地よさが吾輩の胸中を占めた。

 主人と会話出来ればこのように甘味をいただけるようになるのであろうが今は叶わぬ願いである。

 馳走を召し上がるとトラヴィスは両目を閉じ、そしてゆっくりと眼を開いたのである。

 吾輩たちと子供たちの間の空気が歪む。

 夏の逃げ水のようにゆらゆらと空間が曲がりそこは異空間と化した。

 赤や青や黄の色彩が互いに混じり合い別の色を生みだしていく。

 混ざり合った色は複雑な音を立てて派手な色彩をあちこちに弾き飛ばした。

 それは地に落ちて草や花をその色に染め上げていくのであった。

 美才感覚の無い学生が苛立ってキャンバスに絵の具をぶちまけたような、そんな外連味の色彩が拡がっていく。

 吾輩の足下も子供たちの足下もぐるぐると歪み混ざり奇怪な色を生みだしてはまた別の色を生みだしていく。

 子供たちはその変幻自在の万華鏡に喝采をあげるのである。

 これこそトラヴィス殿のスキル「思考色ソートレース」である。

 球雷のように誰かに危害を加えられるような威力なぞない。

 しかし人を喜ばせるには十分な威力があった。

 子供たちには効果覿面である。

 みな一様に魅せられ吾輩たちに敵意を加えようとする者などいない。

 吾輩が首輪付きでなかった頃は子供に見つかれば何をされるか分からなかったものである。

 尻尾を掴まれ戦槌のように振り回されたこともあった。

 人にしてみれば猫は体の良い遊び玩具のように思われているのかもしれないが、吾輩にとっては死活問題である。

 この時逃げようとして爪をたてるなぞ御法度である。

 そのような反攻をみせればたちまち親が飛んで来てこの悪戯猫めと非道を与えてくるのである。

 だから我が身を守るために我が身を投げ出さねばならなかった。悪夢の日々である。

 しかしトラヴィス殿のスキルはこのように、身を護るのに適しているではないか。

 人間は有用なものに対しては生かしてくれるのである。

 道化師の兜を被って餌をねだっても何の非難も見せはせぬ。

 正直吾輩はクロの球雷よりトラヴィスの思考色のほうに分があるとみている。

 しかしこの場にクロが居れば己のほうが優秀というに間違いないだろう。

 たしかにそうである。威はあちらのほうが優れている。

 しかし身を護る点においてはやはりこちらのほうが優秀なのではないか。

 放電がどのくらい広がるのかは吾輩は知らぬ。

 だが思考色は眼前の子供たちを全て射貫いていたのであった。


 みなさんそろそろ時間ですよと修道女がやってきて子供を諭す。

 修道女は我々のようなものに分け隔て無くお辞儀をして去っていく。

 たらふく食べた吾輩たちも礼を述べてその場を去ることにした。

 腹が膨れれば心も満たされる。

 吾輩の精神も幾ばくか平穏を取り戻せたようだ。

 吾輩のスキルがどうなのか今だ分からぬ。それを考えればやはり心は揺れ動く。

 しかし悩んでいても仕方なし。

 よくよく考えてみれば前世では使えるようにはなってなかった。

 元の木阿弥に戻るだけである。

 そう、自分に言い聞かせて来た道を戻ればまだ門の周りは人々でごった返ししている。

 はたしてこの人々の何人がスキルを持っているのであるか。

 十割か。五割か。

 ひょっとしたら猫だけが使えて人は使えないこともあり得る。

 前世で人であった吾輩がそうなのだから信憑は深まるそうだ。

 二匹に別れを告げ吾輩は宿へと戻ることにした。

 以前なら1階から階段を律儀に上がっていたのであるが猫の身に慣れた時分では屋根伝いに飛び移り省略することも可能になった。

 この身にも大分慣れてきた。完全に慣れればスキルも使えるようになるやもしれぬ。

 久々の長旅と満腹感に浸り吾輩は眼を閉じ眠りにつく。

 はやく長老に会いたいものである。

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