悪役令嬢に婚約破棄をして貰えました!
中谷 獏天
第1章
1 始まりはいつも晴天。
貴族の三男に生まれ変わったのだ、と認識したのは5才の時。
大きな雷の音が大嫌いだった自分は、その日の昼間、母親とソファーの合間に埋まらせて貰っていた。
そのまま母親の匂いと姉のバイオリンに誤魔化され。
見事に寝落ち。
そこで見た白昼夢、と言うか。
ぼんやりと似た事が有った気がするな、と言うデジャヴやアハ体験にも似た感覚から一気に目を覚まし。
自分は生まれ変わりの子、転生者なのだと自覚した。
けれど全てを思い出せたワケでは無く。
徐々に徐々に、経験した事が有るな、と言った感覚と共に、どうすれば良いのかが思い出せていったに過ぎない。
そう、そもそも体が追い付かないのだ。
それはもう物凄いストレスで、一時は子供ながらに良く胃腸を痛め、瘦せると親が酷く狼狽するものだから。
程々に頑張る、と言う感覚を覚えていった。
《もう、またお勉強をしているの?》
「あ、いや、お母様違うんです。コレは回想録、日記を、今日の記録をと思いまして」
『あぁ、そうかそうか、婚約記念日は覚えておいた方が良い、お前は本当に賢い子だ、偉い偉い』
「あ、いえ、ありがとうございます」
《ふふふ、幾ら嬉しくても、就寝時間までにはベッドへ入っているんですよ》
『そうだぞ、大きく丈夫に育つ事が最優先だ』
「はい」
いや、正直、婚約は全く嬉しく無い。
サプライズで婚約者と会わされた瞬間、更に前世を思い出したのだから。
ひと目見た瞬間、頭のてっぺんから衝撃が走った。
イヤだ、無理だ、詰んだ。
その自分の思考が先走り、雷に打たれた様な衝撃と共に、記憶が蘇った。
そして自分は多分、生まれ変わる時にどっちでも良いや、とか思ってしまったのだろう。
そのせいなのか、結婚が当たり前の地位に生まれてしまい、男として生まれた。
いや、コレはもう仕方の無い事。
問題は、自分が記憶の衝撃波に思わず顔を覆った事だ。
それを勘違いと言うか誤解し易い母親が、僕が照れているのだと錯覚し、大喜びした事で婚約が決まってしまった事。
更に問題なのは、相手の性格が悪いと言うか、非常に幼稚で。
《そんなに喜んでらっしゃるなら、婚約者になってあげても宜しくてよ》
幾ら王族の末席の女性にしてもだ、高飛車で傲慢が過ぎる、フィクションが過ぎるだろ。
そんな態度では尊敬や求心力を失い、果ては王族の末席にすら居られなくなる筈。
なのに。
そう、そしてこの感覚がもう1つの問題だ。
この国、こんなんじゃ滅びますよ。
――数年後。
「本日はようこそ、天候にも恵まれましたね」
《そうね、折角の良いお天気なのに、アナタと会わないといけないなんてね》
自分もそう思います。
「ご気分が優れない様でしたら、今日はもうお帰りになった方が」
《べっ、別に、そんな事は言ってないじゃないの》
「いえいえ、ご無理をなさって大事なお体に障ってはいけませんので」
《大丈夫だと言っているでしょう、もう、察しなさいよ!》
「大変失礼致しました。では庭園を案内させて頂いても宜しいでしょうか」
《ふん!さっさとなさい》
殺してぇ。
――更に数年後。
「失礼ですが、そうあまり他の男性と親し気にされては」
《あら、嫉妬は見苦しいわよ。それに、ただの友人ですもの、誤解なさらないで欲しいわ。それとも私がそんな不埒な人間だと思ってらっしゃるのかしら》
「いえ、失礼致しました」
いや、自分も周囲も実は既に若干ですが、不埒娘だと思ってますよ。
確かに肉体関係は無いとは知っていますけど、精神的に不埒だって事だバカ、ブス、し。
――更に数年後。
「ローズ」
《五月蠅いわね、いい加減にして頂戴。あんまりにもでしゃばるなら、婚約破棄も考えているのよ?》
キターーーーーー。
やっと。
長かった。
何なら自分の青春半分以上が無駄に。
いや、破棄が叶えば無駄じゃない。
両親には散々破棄を申し出ていた、けれど母親は超弩級の楽天家。
そして愛妻家の父親はこの令嬢の祖父に頭が上がらないから、とひたすらに耐えろ、何なら優秀だからカバーしろと懇願してきて。
終いには向こうの祖父が来て、頭を下げられ。
だからこそ、人生経験や修行、親孝行だと耐えていたけれど。
結局は昨年末に再び胃腸をやられ、やっと、条件付きで婚約破棄が許された。
それがコレだ、相手から婚約破棄を言い出して貰う事。
やっと、やっと自由になれる。
だからこそ、最後まで気を引き締めるんだ。
そう、悔しそうに、泣く泣く申し出を受け入れるんだ。
「分かりました、今まで、大変申し訳御座いませんでした。残念ですが、お申し出を、受け入れさせて頂きます」
どうだ、間も表情も完璧だろう。
『ちょっと!少しは引き留めて差し上げるのが男でしょう!!』
来たぞ来た来た。
想定通り。
「いえ、寧ろ僕が今まで甘えてしまっていたのです。コレ以上、我慢が出来ない、耐えられないからこそ出たお言葉でしょうから。こんな、自分の様に冴えない男より、もっと見合う方に席を譲る事こそが男らしさだと考えております。どうか素晴らしい時期を僕なんかに足を引っ張られず、どうか……ご多幸をお祈り申し上げます」
《ちょっ!》
『ちょっとお待ちに!』
ぁあ、何て身も心も軽いんだろうか。
けれども顔は上げてはいけない、こんなニヤけた顔を見られたらウチの家名にも傷が付く。
穏便に、申し出を受けた、と報告を。
そうだ、馬を借りよう。
申し訳無さそうに、出来るだけ顔色を悪く。
あの女との閨を想像しろ、馬糞の香りを全力で吸い込むんだ。
「あの」
『はい、何か?』
あぁ、今日はよりによってこの人が居る日だったんだ、超好みの
誤解されたくは無いが、自分の人生が掛っている、今は色気より命だ。
「すみませんが、どうしても家に急いで知らせを出さなければならず。その、馬をお借り出来ないか、と」
『あぁ、構わないと言いたい所ですが。顔色が悪いですよ、ご事情をお伺えますか?』
「あぁ、失礼しました。実は先ほど、婚約破棄を申し出られて……いたたまれない気持ちと、相手方の気持ちを思い、出来るだけ早急に対処をと」
『そう、でしたか。さぞお辛いでしょう』
「いえ、今まで耐えて下さっていた事に、寧ろ申し訳なさが。なので、お借りしたく」
『分かりました、ですが。そうですね、家名をお伺いても?』
「失礼しました、セシル家の三男、イーライと申します」
『ぁあ、あの、では私も同行しましょう。相変わらず顔色が優れませんし、そのまま家にお帰りになった方が宜しいでしょう、お送りしますよ』
ココにまで噂が。
どれだ、どの噂だ。
「あの、そうお手数をお掛けするワケには」
『今でも王族に連なる方のご婚約者様なのですから、護衛は付けずとも、私位は居た方が宜しいかと』
「お心遣い、ありがとうございます」
『いえいえ、では、参りましょうか』
妻を悲しませたくない。
相手の顔も立てたい。
『こんな父の、我儘に付き合わせて。本当に、すまなかったと、お』
「父上、父上。そこは改めて、早く、誤解だとなる前に」
『あぁ、すまない、直ぐに使者を』
「いけません、最悪は妨害に合うかも知れない、僕が提出に行きます」
『だが』
「幸いにも馬の扱いに慣れてる方に同行して貰っています、なので早く、手紙も書いて下さい」
『ぁあ、分かった』
「メイソン!荷物と金の用意を」
「はい、既に玄関で用意させております」
「ありがとう」
『すまなかった、イーライ』
「いえ、親孝行と思えばこそ。では、行ってまいります」
『あぁ、気を付けるんだぞ』
根は悪い子ではない。
それはどちらも、なのだが。
「旦那様、相性なるモノがこの世には存在致します。その相性と言うモノが決定的に合わなかった、水と油では、混ざり合わないのが本来で御座います」
『あぁ、分かってはいるんだが』
「私共も良かれと思い、助言もさせて頂きましたが。流石に、婚約破棄を口に出されては、奥様も諦めるかと」
『その期待も薄いからこそ、アレは急いでいるのだろう』
「私にはお坊ちゃまの事は分かりかねます。では、奥様へご報告の先触れをさせて頂こうかと」
『あぁ、すまない、頼んだ』
「では、失礼致します」
純真無垢な妻を見初めたのが、そもそもの事の始まりとでも言うべきなんだろうか。
天真爛漫な妻、そして体を動かす事に特化した自分達の子に、あんなにも聡明な子が産まれたのが奇跡。
なのに、大事にしてやれなかった。
本当に、すまないと。
「本当に、ありがとうございました」
『いえいえ、王都までの用事も有りますので』
「そうお気遣い頂かなくても」
『本当に有るので、大丈夫ですよ。イーライの用事が終わってからでも、十分間に合いますから、気になさらないで下さい』
この人がコチラ側なのか、彼女側なのか、中立派か。
何も分からないまま、婚約者の祖父、キャヴェンディッシュ家へ着くと。
「大変、お世話になりました」
『いや、それは本当に、ワシが言う事じゃし』
「いえ、自分の未熟さ故です。なので、お願いしますから早く受け取って下さい」
『本当に、ダメじゃろか?』
「はい、無理です」
『じゃよね、すまん、受け取らせて貰うよ』
「割り印も下さい」
『分かっとるってば』
婚約破棄照明証は全部で4枚。
2枚は各家へ、もう1枚はどちらかの家の領地内の役所へ、そしてもう1枚は王都の王族用の役所へ。
4枚に1つの印を押して貰い、コレでやっと、婚約破棄が正式に認められる。
「はい、ありがとうございました」
『流石に王都にはどんなに急いでも無理じゃろ、取り敢えずじゃ、ソレを置いてだな』
「絶対に置きません」
『流石に廃棄はせんで』
「アナタは、ですよね」
『うぅ、ほれ、アレじゃ。もう日が暮れるでな』
「もう半ば婚約者では無いのでココには絶対に泊まりません」
『じゃが冷えるじゃろ?』
「クソ小春日和で何なら野宿でも構いませんが」
『そんだけって事じゃよね、本当、すまん』
「いえ、では失礼致しますね」
『見送ら』
「結構です、ココでは今時分でも冷え始めるそうですから、どうかお体を大切に」
『ぅう』
出来るだけ冷静に。
喜びを表には決して出さずに、馬小屋へ。
あぁ、この人にも嘘をつかなくてはいけないのが心苦しい。
「すみません、お待たせしました」
『いえ、コレからどちらに?』
「ココの役所へ提出し、一先ずは宿を取ろうかと」
『随分とお急ぎですね』
あぁ、コレは、何を疑われているんだろうか。
「男女問わず、1度本気で嫌になると、もう元には戻れないと聞きますので。なら、出来るだけ速やかに縁を切る事こそが、今までのご厚意に報いれる最後の事かと」
どうだ。
『お優しいんですね』
「いえ、優しければこの様な事態にはなっていなかったかと」
『ご評判は伺っております、どうかご自分をあまり責めないで下さい』
「ありがとうございます」
『いえいえ、では、行きましょうか』
「はい」
彼が居る事で、寧ろ自分は確実に自制出来ている。
ありがたい、彼が居なければ浮足立つあまり、油断した隙に鼻歌を歌いながらスキップしていたかも知れない。
そうだ。
どう、お礼をすべきだろう。
『では、ココで暫く待っていますね』
「あの、どう、お礼をすべきか」
『事が済んでから、ゆっくりとお話しましょう』
「はい、ありがとうございます」
神か精霊か天使か。
有り難い、有り難いしか無い。
だが、気を引き締め、自分は役所へと婚約破棄証を出さなければいけない。
そして王都でも証明証を受け取って初めて、正式に破棄が受理された事が証明出来る。
既にココの人間にも有る程度知られてしまっている、賛否両論、悲喜こもごも。
だが、自分には逆に利点となる。
既に婚約破棄賛成派の名前を暗記している、名札付き助かる。
そうしてゴネたり説得をせず、直ぐ受諾してくれる筈の人間の前へ。
神妙な面持ちで、進み出る。
《はい、何かご申請でしょうか》
「婚約破棄照明証をお願いします」
《では、コチラへ》
「ありがとうございます、無事に受領頂きました」
『そうでしたか、お疲れ様でした』
「付き添って頂いたお陰です。なのでお礼を、先ずは宿を、コチラで出させて下さい」
『いえ、その事はまた後で。宿で宛ては有るんですか?』
「あぁ、はい、一応は」
『では、次は案内をお願いしますね』
「はい」
彼は一服の清涼剤。
立てば芍薬、いや立っても歩いても座っても薔薇、薔薇の花束を背負っている様な華々しさと神々しさ。
こんなにも外見が素敵な方と居られる。
近くで息が出来る。
最高では。
『コチラですか?』
「あ、はい」
『念の為、私が宿を取る形にした方が宜しいのでは?』
アナタが神か。
「ココまでご厚意に」
『構いませんよ、ある意味でコレも運命でしょうし、どうかお力にならせて下さい』
舞い上がって昇天してしまいそうになった。
だが、そこまで信じて良いのだろうか。
確かに学園で働く者の身分は確かで、この方の名前や何かは知ってはいるが。
いや、そもそも疑ってどうなるのか。
それこそココで裏切られても問題は無い、既にココの役所には提出したのだし、破棄は完全に成立している。
「甘えさせて頂きます」
『はい、では少しだけお待ちになってて下さいね』
あぁ、コレで1部屋しか空いてなかったらどうしようか。
どうしてしまおうか。
いや、どうにも出来ない世界なのだから、何事も無く終わるしか無いのだけれど。
あぁ、存在がもう、咲き誇った薔薇より美しい。
『お待たせしました、あの、大丈夫ですか?』
「ぁあ、少し呆けてしまって、すみません」
『心労も有るのでしょう、先ずはこのまま食事にしましょう』
「ですが先ずは部屋の確認を」
あぁ、油断して腹が鳴ってしまった。
情けない、と言うか食欲が湧かない演出をしたかったのに、正直な腹だ。
『体が生きようとしてらっしゃる良い証拠ですね、食事に行きましょう』
「はい、すみません」
食事は最高だった。
安堵からのステーキ、それから素敵な人との歓談。
もう、青春の半分は取り戻せたかも知れない。
『すっかり、顔色が良くなりましたね』
「ご心配をおかけしました」
『いえ、ではコチラが部屋の鍵になります、どうぞ』
「あの、アナタの部屋は?」
『あぁ、私は直ぐ隣ですので、先に共同浴場を使わせて貰っても宜しいですか?』
「はい、勿論、是非是非」
湯上り美人を見れないのは惜しい。
けれど欲張るのは良くない。
しかも、もしかすれば油断すると死ぬ事になるかも知れないのだから。
いや、でも、想像位は許されるだろうか。
ダメだ、眠い。
あぁ、疲れたよパトリック。
本当に。
お風呂、もう良いか。
けど。
あぁ、幻覚か夢かな。
マジ湯上り美人。
と言うかもう自立歩行型の回るミラーボール、歩く芳香剤、存在するだけで何もしなくたって許される。
と言うか許しちゃう。
眩しいなぁ、あ、良い匂い。
『大丈夫ですか?浴場の使用は朝にしますか?』
「あれ、夢じゃ」
『現実ですよ、そこまでお疲れでしたら、入浴は明朝にした方が宜しいかと』
「あの、どうしてこの部屋に?」
『あぁ、同室ですから』
何を言っているのか、全く意味が。
「何故」
『空きが無かったので』
そんな都合の良い事が。
いや、寧ろ都合が悪いと言うか。
「またまた、大丈夫ですよ、お金なら有るので。ちょっと確認してきますね」
そう、そんな夢よりも都合の良い事が。
いや、今は少し都合が悪いので、出来れば今度にして頂きたいのだけれど。
《生憎、本日は既に満室でして》
この女性は一体、何に怯えているんだろうか。
まさか、既にこの宿の事を知られてしまったのか、令嬢側に。
それとも。
『そんなに、私が信用なりませんか?』
「あ、いえ、違うんです。ただ」
どう言えば良いのか、寧ろ言っても良いのか。
『そんなにご不安なら、手足を縛って頂いても大丈夫ですよ』
「いえ、大丈夫です、部屋に戻りましょう」
『あの、どうすれば信じて頂けますでしょうか』
「あぁ、いえ、コレはアナタがどうと言うより自分自身の問題なので。それに入浴を諦めれば良いだけですから、体を拭いて頭を洗えば良いだけなので。先にお休みになってて下さい、
『ありがとうございます、ですが何か、お手伝い出来る事は無いですか?』
もう、色んな意味で既にご協力頂いています。
本当にもう、十分です。
「いえ、では、おやすみなさい」
『はい、おやすみなさい』
危なかった、理性が吹き飛んでとんでもない事を頼んでしまいたくなった。
恐ろしい。
恐ろしいぞ思春期の性欲、更に気を付けなければ。
そうだ、トイレに行ってスッキリしてから、スッキリしよう。
そう、スッキリさっぱりして、寝る。
うん、それが1番。
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