4 自立したい

「わたしは……あなたを愛することはないわ」



 賑やかなパーティーも終わって、静寂の闇に染まった頃。

 寝室に挨拶に来た辺境伯に、わたしは……そう告げた。


「…………」


 彼は大きく目を見開いて、こちらを見る。

 普段は、純粋な子供のように煌めいている双眸。それが悲しみに染まるのに罪悪感を覚えながらも、念押しするように、彼の視線をまっすぐに受け止めた。


 少しの無言のあと、彼のほうから口火を切った。


「まぁ、俺たち正式に出会って間もないから、惚れた腫れたとかまだ分からないよなぁ~」


 想定外のあっけらかんとした態度に、今度はわたしのほうが目を見張った。


「ですから、今後もあなたを愛することはないと言っているのです!」


 伝わっていないのか不安になって、もう一度しっかりと伝える。

 彼は仮面夫婦になるという意味を分かっているのかしら?


 辺境伯はけらけらと笑って、


「またまたぁ~! そんなこと言って、俺のこと好きになったらどうするんだよ~!」


「あり得ません!」


「本当に~~~?」


 彼はニヤニヤと笑みを浮かべながら、わたしの顔を覗き込んだ。

 急激に距離が近くなって、心拍数が急上昇する。


「ぜっ……絶対にあり得ませんのでっ!!」


 ついに耐えられなくなって、顔を逸らしながら叫んだ。熱い! 顔が熱い!


「デニーちゃん大好きぃ~~♡ってなっても知らないからな!」


「しつこいわね! そんなことには決してならないわよ!」


「じゃあ賭けようぜ! もし、マギーが俺に惚れたら……」と言うと、彼は少しだけ黙り込んで思案した。


「惚れたら……?」


 早く続きが知りたくて、つい続きを促してしまう。にわかに背中から緊張感が襲ってきた。


 辺境伯はすっと空気を吸って――、


「猫可愛がりの刑だぁ~~~っっ!!」


「きゃあぁぁっ!!」


 ――わしゃわしゃわしゃっ!


 出し抜けにわたしの身体を包み込んだと思ったら、大きな両手で頭をくしゃくしゃと乱した。


「なっ、なにするのよぅっ!」


 わたしは彼を睨め付けながら抗議するが、彼の攻撃は止まらない。わちゃわちゃと激しく頭を撫でまくる。


「どうだ! 参ったかー!」


「参った! 参りましたからもうやめて――きゃあぁっ!!」


 何度目かの懇願で、やっとのことで彼は手を止めた。

 わたしは、騒いだ余韻が残って、肩で息をする。つ、疲れた……。


「よしっ、俺の勝ちだな」と、彼はふふんと嬉しそうに笑ってみせた。


「なんの勝ち負けですか」


 その余裕綽々な態度が癪に障って、わたしはむっと口を尖らせた。

 もう、本当に信じられないわ。仮にも24歳の辺境伯が子供みたいにっ!


「賭けに勝ったらもっとやってやるからな!」


「絶対にわたしは負けないわよ!」


 辺境伯は愉快そうに笑いながら去って行った。

 残されたわたしは、呆れ返ってしばらくその場に立ったままだ。


「……!」


 不意に、鏡台に映る自分と目が合う。

 ボサボサの髪と少し乱れた寝衣姿は、立派な公爵令嬢とはかけ離れた酷く無様な有様だった。


 でも……不思議と嫌な気はしない。









「おはよう、マギー」


「おはようございます、辺境伯様」


 翌朝、わたしは何事もなかったかのように食卓に着く。なるべく昨晩のことは考えないように、彼の顔を見ないように…………。


「なんですの?」


 わたしが部屋に到着するなり、ずーっと目線で追いかけてくる彼に根負けをして、視線を合わせた。


「いやぁ、昨日は領地視察に歓迎会に疲れただろう? 今日はゆっくり休んでくれ。なんなら、中庭に――」


「わたしには、やるべきことがありますので」


「やるべきこと?」


「そうです」


 昨晩は彼のペースに巻き込まれて、言うべきことを最後まで言えなかった。

 仮面夫婦になるために、わたしがこれから行うことを先に宣言しておかなきゃね。


 まず、大きく息を吸ってから、


「わたしは……自立するのよっ!!」


 大音声で言い放つ。


 したり顔。


 そして沈黙。


 辺境伯は目を丸くして、ぽかんと口を開けたまま間抜け面でこちらを眺めていた。

 勝ったわ。昨日は彼の勢いに呑み込まれてしまったけど、今日はわたしが彼を掌握するのよ。



「…………で、具体的には?」


 しばらくして、辺境伯が尋ねる。彼の瞳はキラキラと輝いて、心なしか、わくわくしているようだった。


 よくぞ聞いてくれました! 昨日の視察で、自分の考えが固まったの。

 わたしの自立への第一歩。


 それは――……、



「小屋を作るわ」



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