第7話 時期を待つ

「痛っ!」


 何かに思い切り額をぶつけたことで僕は意識を取り戻した。辺りを見回しても視界は真っ暗で、袋を被せられたままみたいだ。腕は後ろで拘束されていて、自由なのは足だけ。分かるのは冷たい場所に体を横たえていることと、最後の記憶から半日が過ぎたことくらいだ。僕は時間をかなり正確に知ることができるから、まず間違いない。


「はぁ……」


 ため息をついた。誘拐犯にエイデンと一緒に捕まったのは間違いないだろう。守ろうとして失敗した形になったけど、エイデン一人だけが誘拐されるという最悪の状況にならなくてよかった。このまま長くても一日、二日我慢すれば助けが来ると思う。


 なんでそんなに落ち着いているのかと言えば、血の契約があるからだ。あれはお互いの命を握り合っているようなものなので、必要な手順を踏めば魔道具に頼らなくても相手の大体の位置くらいは把握できる。


 改めて真っ暗な中で瞬く。閉じ込められているのはそんなに広い場所じゃない。他に人がいる気配はしない。エイデンはどこにいるんだろう?いないのは、彼が本当の勇者だとバレてしまったからだろうか?


 勇者の心は女神の加護によって自由だと言われている。理由のない恐怖や洗脳などで縛り付けたりすることはできないはずだし、拷問されたとしても、力が暴走してしまって周囲に影響を及ぼすことすらあると本で読んだ。


 今がどんな状況なのかを知りたい。ソワソワと床の上でうねっていると、ガコンと閂らしきものを外した音がした。


「ったく、手間かけさせんな!」

「ッス」


 ギィ、と重い音がして袋越しに明かりが差し込む。咄嗟に寝たふりをした。


「オラ、入っとけ。オトモダチはまだ夢の中ってか? いい気なもんだな」


 ドンと体を押す気配がして、靴が地面を擦る音、勢いよく座り込む音がした。そしてすぐに明かりは消えて真っ暗になる。


「……どこ行ってたの?」

「おっ! きてたのかよ、ビビらせんな。トイレだよ」

「何か分かった?」


 肘で体を支えながら上体を起こして声のする方に体を向ける。


「いや? トイレの中までこの袋……お前も被ってるんだよな?」

「頭にでしょ? うん」

「そう、それ。被せられてたから何も。トイレまでの距離くらいだな」

「分からないよりはマシだね。ありがとう」

「――お前、なんでオレを庇った?」

「なんでって……」


 ”勇者様”だからだ。それ以外の理由なんてない。何を言って欲しいのか分からなくて黙っていると、自嘲する音が聞こえた。


「勇者だから、だよな。そりゃそうだ」

「うん、まぁ……」

「バカだろ、お前」

「酷いこと言うね」

「オレだけなら殺されたりはしない。利用価値があるからだ。そんなことも分からなかったのか?」


 鼻で笑われてムッとした。助けようとしてるのに酷い言い方だ。


「なら、君は一人でもこの状況を抜け出せるってことだね?」

「いや、それは……」

「なに」

「……まあ、なんとかなるだろ」

「は、ぁぁっ?」


 うっかり大きな声を出してしまった。扉の外から「うるせぇぞっ!」と怒鳴る声が聞こえてくる。


「まさか、無計画なの……?」

「持たされてた非常用の魔道具も埋め込み式の発信機も全部取り上げられてるんだから、仕方ねぇだろ」


 両手が空いていれば頭を抱えたかった。まさかこの勇者、何の教育も受けてないの? 一族は一体何をしてるの?


 誘拐の危険性がある立場にいる以上、非常時の訓練を受けるべきだ。僕だって父に引き取られてから、何度も何度も教え込まれた。


 まず発信機は絶対に二か所以上埋め込むし、非常用の魔道具は本人の能力に合わせて服や下着に擬態させたりするはずだ。できるだけ魔力検知器に引っ掛からないよう作られているそれらが全て回収されるとは考えにくい。


 それに、今回は騒ぎがあったから放っておけば探してくれるけど、普通なら連絡方法も確保すべきだし、場所の見当なんて付かない。


「魔道具、何個持ってたの? 発信機は? 何個埋め込んでた?」


 自分の声が硬いことが分かった。これでも初めて会ってからずっと丁寧な口調を意識してきた。でも、もうそれどころじゃない。


「魔道具は二つ。発信機は耳に一つ」

「なっ! に考えてるのかな……?」

「だ、だって……」


 見える。見えるよ……。真っ暗闇の中、君が目を左右に泳がせていることが心の目で見えてしまう。


「言われなかった? 魔道具は目立たないものに擬態して持つようにって。発信機は数ヵ所に埋め込むようにって」

「オレは勇者なんだろ? なんとかなるだろ……」

「バカー!!」


 何とか声を潜めて叫ぶと、エイデンの声がする方向を目掛けて足を振り回した。気配を頼りに振り上げた右足が、体のどこかに当たったらしい。鈍い音がした。


「ぐっ!」

「勉強不足! 自覚不足! 傲慢! わがまま! 自己中! 性格捻くれてる!」

「おい、最後。ただの悪口じゃねぇか……」

「付いてきてよかった……」


 それだけ言うと何故かお互い無言になってしまった。僕は呆れて言葉も出ないんだけど、エイデンの気持ちは分からない。多少は反省したのかな。


「……なあ」

「なに」

「なんでそんなに必死になるんだよ。お前だってあいつらと同じだろ?」

「ああ……」


 エイデンの言う“あいつら”が誰のことなのかはすぐに分かった。ふと、疑問に思って聞いてみる。


「エイデンはさ、フサロアスの人間が嫌い?」

「嫌いだ。どうしたら好きになれるんだよ。オレの生活ぐちゃぐちゃにしやがって」

「そう……」


 じゃあ、僕は? 僕のことは嫌い? その言葉は何だか怖くて聞けなかった。

 ガコンと閂が外される。どうやらお呼び出しのようだ。


「オイ、ガキども! 拷問の時間だ」



 物騒な言葉を聞かされて内心ビクビクしながら連れて行かれた場所は、押し込まれていた暗闇よりは広そうな空間だった。扉を越えて五歩進んだところでエイデンと二人立たされる。


「下向け」


 言われるままに下を向くと袋を頭から取られて、今度は目隠しをされた。髪の毛を下に引っ張られて顔を上げさせられる。正面から、恐らく立場が上の人物の声がした。


「同じ年ごろの男のガキが二人、か……」

「どちらも魔力を感じますので、どちらが勇者かは分かりません」

「変身の魔法はどんなに長くても二日程度しか持たない。気長にいけばいいだろう。発信機はもうないな?」

「はい。最新の検知器で確認したんで大丈夫ス」

「よし、二人とも客室に押し込んどけ。勇者様のご機嫌を損ねるわけにもいかないしな」

「分かりました。オラ、さっさと歩け!」


 見張りらしき男に背中を押されるままに進む。ホッとする。変身が解けるまで二日も待っててくれるなら、助けが間に合うだろう。


「――おい、待て」


 つい背中が揺らめいた。


「黒髪の方。勇者はそっちだ」

「へ? どうして分かるんです?」

「魔力が違う。グレーの方にかかってる魔法は何か特殊なやつだ。変身なら何度も見たことがあるはずだから、勇者は黒髪だ」

「そんなこと分かるんですか! すげぇ!」

「まあな。これでも魔導士なんだよ、オレは。分かるときと分からねぇときとがあるが……。今回は当たったみてぇだな」


 男がエイデンを見ていることが分かる。呼吸が早くなるのを必死で抑えた。高を括っていたからか、うまい誤魔化し方が浮かばない。


「じゃあ、どうします?」

「グレーは元の倉庫に戻せ。殺すなよ。まだ利用価値があるかもしれねぇ。黒髪には話がある」


 どうすることもできずに、僕は頭に袋を被せられて背中を押されるままに元の倉庫に戻ってきた。そのまま大人しく中に入る。多分エイデンは好待遇を受けて、甘い言葉をささやかれることだろう。最悪だ。最悪の展開になっている。こうしている間にもエイデンが依頼人の元へ引き渡される手配がされているかもしれない。依頼人が誰なのかは分からないけど、東の国の関係者なら厄介だ。まだ絶命の大峡谷が塞がり始めたばかりだというのに、すでに東の国の勢力が広まっていることになる。


 問題はそれだけじゃない。非常に危険な状況になってしまった。だって僕には全くと言っていいほど利用価値がない。仮にフサロアスと依頼人とで交渉することがあったとしても、双方にとっていらない存在だ。生かしてもらえるのも時間の問題。


 僕一人だけなら逃げることはできると思う。奥の手は用意してる。でもそんなことをしたらエイデンの信頼を得られないし、シャリエに何を言われるか考えるだけで気が重い。


 うんうんと唸っていると閂の外される音がした。顔を音のした方に向ける。


「十分だけだぞ」

「ああ」

「エイデン?」


 開けられた扉から聞こえたのはエイデンの声だった。さっきの今でなんでこんなところにいるのかと驚いて声が裏返る。


「よぉ、その、元気か?」

「は?」

「何かされたりとかは……」

「今はまだ……」

「そうか」

「何? どうしてここに?」

「何かしたいこととか、食べたい物とかないかって聞かれたから……。お前と話させてくれって頼んだ」

「なんで……」

「さぁ?」

「さぁって……」


 急にエイデンが身を寄せてきたのが分かってのけ反った。真っ暗な中、廊下の明かりを背中に受けて黒い影になった熱が近づいてくるのに、妙にドキドキとする。


「な、に……」

「お前、逃げられるか?」


 耳の横で真剣な声が囁く。ポケットに重みを感じたけど、敢えて気付かないフリをした。


「僕一人なら」

「どうやって」

「固有魔法を持ってる」

「なら、逃げろ」

「君は……?」

「死にはしないだろ」


 ダメだ。それじゃダメなんだ。エイデンが西の国に留まってくれないと、どちらにしても僕は自由になれない。


「た、助けがくるまで多分あと半日以上はかかる。引き延ばせない?」

「なんで分かるんだ?」

「ここが、捕まった場所から半日はかかるところにあるから」

「お前」

「オイッ! なにコソコソしてんだ! もう時間だ時間! ほら、出ろ!」

「まだ五分も経ってないだろ!」

「オレが時間だって言ったら時間なんだよ!」

「くそっ! おい! 信じるからな!」


 声が少しずつ遠くなる。引っ張られているのだろう。


「やってみる!」


 エイデンの声を最後に、重い音を立てて扉は閉められた。

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