猫カフェ

「俺が何したって言うんだよ……」

 

 あまりにも理不尽な教室での出来事のせいで落ち込んでいた俺は、校門前のベンチに座って項垂れていた。

 

「クオン……」

 

 小走りで追いかけてきたルナも、流石に気まずそうな顔をしている。

 そりゃあそうだ。今回、俺はルナの要望通り動いただけで、非難されるような事は何もしていないからな。

 

「ごめん」

「やっ!」

 

 俺は駄々っ子のような返事をして、ぷいっとそっぽを向く。

 

「……ちょっと可愛い」

 

 ルナは隣に座って俺を見つめる。

 

「ほら見て、たまに子供っぽいところを見せるのも効果的って書いてる」

 

 ルナの恋愛ハウツー本に目を向けると、確かに母性本能うんぬんと書いてあった。

 

「でも、やっぱりムカムカする。……なんで?」

「知らねーよ……」

 

 本当は心当たりがあった。

 俺がカイルに怒りを抱いていたのと似た現象がルナにも起こっているのだろう。


 これは仮説だが、俺も、ルナも、周りも、ストーリーを円滑に進めるための感情を植え付けられている。

 行動までは操られていないと思うが、人の行動にはどうしたって感情が絡む。厄介な事に変わりはない。

 

「どうしたの?」

「いや、別に……」

 

 ルナを植え付けられた感情から解放してやりたいという思いもないわけではないが、手段が思いつかない。

 ルナには俺のように、無敗ゆえに傲慢といったような、わかりやすい設定がないからだ。

 

「それより、さっきはどうしたんだよ。いくらカイルに惚れてるからって、誤解を解いてくれないのは酷くないか?」

 

 考えても答えが見えないので話題を変えた。

 だが、その話題はルナにとって触れてほしくなかった話題だったのか、表情を曇らせてしまう。

 

「カイルを見るとぽーっとして、何も考えれなくなるの……」

「ふーん……熱々だな。素直に奴のところに行けば良いじゃねーか?」

 

 揶揄い口調でそう言うと、ルナは一層表情を暗くしてぼそっと呟く。

 

「自分が自分じゃなくなるみたいで……怖い」

 

 頭をぶんぶんと振ったルナは立ち上がって俺の手を取る。

 

「いこっ? デート」

「まだ行く気だったのかよ……」

「嫌……?」

 

 教室の件で負い目があるのか、ルナに先程までの強引さはなかった。


 俺は立ち上がって、悩む素振りを見せているルナの手を、強引に引っ張った。

 

「ほら、行くぞ。俺とデートできるなんて光栄に思え」

 

 俺が余計な事をしなければ、ルナは矛盾する思いに苦しむ事はなかったはずだ。

 そんな負い目が、俺にルナの要望通りの態度を取らせた。

 

「今のはドキッとした」

 

 ルナはニコッと微笑み、

 

「……でも、やっぱり嫌い」

 

 可愛らしく小首を傾げて罵倒した。




 



 ルナの要望通り、意見を聞かずに街を連れ回してしばらく。

 

「よかったな」

 

 本屋で俺が勧めた本を手にするルナはホクホク顔で頷いた。

 

「欲しかったのがいっぱい」

 

 ゲーム知識でルナの好みを熟知している俺にとって、掴みのプレゼントは簡単だ。

 

「でも良かったの? 高いのもあったし……」

 

 少し申し訳なさそうな顔をするルナを見て、その程度は何でもないと手を振った。

 

「俺の財布を気にするなんて不敬だ、不敬」

 

 ゲーム知識で儲けているの俺は金に余裕がある。

 名家の跡取りであるクオンが金を持っているのは不自然ではないし、今日のデート代くらいは出しても問題ないだろう。


 ルナはあまりにもご機嫌すぎて周りが見えていないのか、当てもなくどんどん歩いていく。

 

「おい、ちょっとそれ貸せ」

 

 俺が半ば強引に荷物になっている買った本を取り上げると、ルナは悲しそうに眉を下げた。

 

「クオンは上げて落とすタイプ……」

「帰るときに返してやるからそんな顔すんな。ほら、次行くぞ」

 

 次に行くところは、手が塞がっていたら楽しさ半分だからな。


 少し歩いて目的地に着いた。

 ここもゲーム知識で得た、ルナの行きたい場所の一つだ。

 

「ふーん……猫カフェ……」

 

 ルナは興味がなさそうな顔をしてそう呟く。

 だが、俺は知っている。動物と触れ合った事がなく、行きたくても行く決心がつかずに我慢していた事を。

 

「入るぞ」

「え、ちょ、待って」

「俺は猫と戯れたい気分なんだよ。お前も戯れろ。これは命令な」

「命令……」

 

 俺は戸惑うルナの手を引っ張って入店した。

 

「はわわ……」

 

 ルナは入店したと同時に、なんとか作っていたクールな態度が崩れる。

 原作でもルナは猫が大好きだからな。人懐こい猫に擦り寄らてご満悦な様子だ。


 案内された席に座る。

 向いに座ったルナは、どうすれば良いかわからずそわそわしていた。

 

「寄ってきた猫を撫でるぐらいはしていいぞ。あんまりしつこくするのはルール違反だけどな」

「う、うん……」

「さっさと戯れろ。これは命令だぞ」

 

 俺が冗談混じりにそう言うと、ルナはぱっと表情を華やがせた。

 

「命令なら仕方ない」

 

 ルナはおっかなびっくり猫を撫でる。

 細心の注意を払った優しい撫でが良かったのか、撫でられた猫はルナの膝で丸くなった。

 

「はわわ……」

 

 完全に猫の虜になっているルナの視界には、もう俺の姿は写っていない。

 俺が適当に注文している時も、ルナは夢中で猫を可愛がっている。

 

「お待たせいたしました」

 

 店員が注文の品を持ってきたところで、やっとルナの意識が俺に向く。

 

「はい、これはお前のな」

「オレンジジュースっ!」

 

 ルナはオレンジジュースが大好きだ。

 キャラクターのテキスト欄にわざわざ書いていたので、一番と言っても過言ではないだろう。

 

「後、猫の餌。あんまりあげすぎるなよ」

 

 カリカリのキャットフードをルナに渡す。

 ルナはきょとんとした顔をしてそれを受け取った。そして、次の瞬間――。

 

「はわ、はわわわ……」

 

 餌に群がる猫たち。

 ルナは再び、ルナと猫だけの世界にトリップした。

 

「か、可愛い……んにゃー」

 

 猫の鳴き真似をしたルナははっとした表情で俺を見る。

 その顔は少し赤くなっていた。自然に出た猫の鳴き真似が恥ずかしかったのだろう。

 

「何を恥ずかしがってるんだ? 猫カフェで猫の鳴き真似をするのは恥ずかしい事じゃない。寧ろ義務だ」

 

 無口な少女の鳴き真似というギャップを愛でたい俺は、もっとやれとの一心で意味のわからない言葉を並べる。

 

「ぎ、義務なの……?」

「ちっ、これだから素人は……猫たちも素人うぜえって思うにゃあ?」

 

 俺は羞恥を抑えながらにゃんにゃんした。

 全てはルナににゃんにゃんさせる為だ。

 

「義務なら仕方ない。これは義務だから仕方なくするだけだから。だってこれは義務。義務は果たさないといけない」

 

 物凄い早口でそう言ったルナは、猫に顔を近づけた。

 

「にゃあ」

「みゃぁ」

「んにゃー」

「にゃーん」

 

 俺が想像していたよりも、遥かに可愛らしい猫の鳴き声が響く。

 そして、俺達の席から人語が消えた。店を出るその時まで、延々とにゃんにゃんしていた。


「にゃあ……」

 

 日が沈んできたので店を出る。

 ルナは名残惜しそうに猫たちとお別れしていた。

 

「ほら、帰るぞ。送っていくよ」

「にゃあ……」

「そろそろにゃんにゃんするのをやめろ。そんなに気に入ったのなら、また連れてってやるから」

「にゃあ?!」

 

 ルナは驚いた顔で俺を見た。

 猫語は抜けていないが「本当に?!」と言っているのがなんとなくわかった。

 

「ああ……俺はあの店の常連だからな。一人より二人の方が入りやすいし、またついてこい」

 

 本当は初めての店だ。それに、俺自体はあまり猫カフェに興味はない。

 だが、ルナのにゃんにゃんを愛でれるなら、また訪れるのも良いなと思う。

 

「うんっ」

 

 ルナは満面の笑みで頷いた。

 カイルに見せるような恋する乙女な顔ではないが、見る者を幸せにするような邪気のない笑みだった。

 

「じゃあな、また学園で」

 

 ルナを家まで送った俺は、手を振って立ち去ろうとする。

 

「クオン……」

 

 ルナは先ほどまでとは打って変わって、表情を曇らせて俺の服の裾を掴んだ。

 

「なんだ?」

「……今日は楽しかった。ありがとう」

「そうか、それは良かったよ」

「だけどね……」

 

 ルナの困惑が見てとれた。

 ルナは少し間を開けて、ゆっくりと呟く。

 

「嫌いなの、クオンが」

「そうか……」

 

 やはり、ルナが俺に好意を抱く事はないのだろう。

 これは世界が決めた事だ。俺やルナが抗ったところで変わる事はない。

 

「ほら、これ見て?」

 

 ルナはいつもの恋愛ハウツー本をぱらぱらっと捲った。

 

「カッコいい容姿だと思うし、趣味も合う。それに、経済力だってあって、今日のデートは楽しかった……」

 

 本を閉じたルナは、泣きそうな顔でじっと俺を見つめた。

 

「なのに、嫌い……こんなのおかしいよ」

 

 俺は苦しそうなルナを黙って見ていることしかできなかった。

 

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