第6話 真夜中のチャイム

 エレベーターの中はこれでもかというほど気まずい空気で満たされており、気を抜くとすぐにでも窒息死してしまいそうだ。

 隣に立つ部長は土砂降りの雨の中に放置された捨て犬のような悲壮感を漂わせている。

 それもまあ仕方の無いことだ。自身の念願が叶う一歩手前のところであれほど強烈な拒絶を受ければ、いくら変人である部長でもかなりの精神的ダメージを受けるのだろう。


 俺たちは女神様に色々と注意を受けた後、もとのエレベーターに乗って帰るように言われた。知らぬ間に俺たちが無事に元の世界へ帰れるよう調整してくれたらしい。また、今回は向こう側の不手際だったため、本来なら記憶消去などの物騒な処置を施すらしいのだが、今回は免除してくれた。もちろん一切の他言は無用だが。


『1階です』


 という無機質なアナウンスが流れた。この音声に安堵感を覚える日が来るとは思ってもみなかった。

 そのままエレベーターを降り、ふと振り返って部長の顔を見ると少し俯いてなにやら考え事をしている風だった。


「どうしたんですか部長?」


「……いやあ、ボクは実に単純なことを見落としていたよ」


「?」


 いつもの口調に戻っている部長に俺は眉をひそめる。あんなことがあった後で一体どんな阿呆なことを言うつもりなのだろうと身構えていたのだ。

 そして部長は言った。


「やはりパジャマは失礼過ぎたよな。女神様も怒るわけだ」


 ……すっかり元の部長に戻ったことに安心した俺は無言でその場を立ち去った。

 未だにひりひりと痛む頬が今までの出来事が夢ではないのだと教えてくれた。


 〇


 先の事件から一週間ほど、オカ研の活動は休止状態になっていた。

 部長から某メッセージアプリで『しばらく部活は休みにする。存分に英気を養うように!』と言われたからだ。

 すぐに元気を取り戻したと思っていた部長だが実際は休養が必要なほどに凹んでいたのかもしれない、と勝手に想像してみる。

 どちらにせよ、部活動の休止は俺にとって好機だった。なんの好機かというと、オカ研の活動とそれに付随する疲労のせいで滞っていた高校の提出課題に取り組む好機だ。

 いざ取り組んでみると面白いように作業が捗り、やはりオカ研での活動は健全な学生生活には悪影響しかないものだと実感した。

 今日も数学の問題集をそれなりに進め、時刻が夜の十二時を回ったのを確認すると筆記用具を雑に片づけ、就寝した。



 すっかり眠りについてどれほど経過しただろうか。それでもまだ周囲が真っ暗な時間に目が覚めた。


 ピンポーン……ピンポーン……ピンポーン……ピンポーン…………。


 玄関のチャイムが絶え間なく鳴り続けていたのだ。


 正直言ってゾッとした。エレベーターが止まらなくなった時と同じような感覚だ。

 こんな時間帯に呼び鈴を鳴らすなど一体誰の仕業だろうか。少なくともまともな人間でないのは確かだろう。

 できればあまり確認したくないが、そうもいかない。このままではご近所さんの迷惑になってしまう。


 意を決してベッドから降り、玄関へ向かう。

 その途中、少し落ち着いた頭で考えるとなんとなく犯人が誰か想像がついた。

 部長だ。深夜に他人の家を訪ねるような常識知らずはあの人ぐらいしかいない。

 そう思うと少し恐怖も和らぎ足取りも軽くなる。


 短い廊下を渡って玄関に到着。下靴をかかとの部分を踏んだ状態で履く。

 そして、だいたい予想はついているものの一応のぞき穴から外の様子を伺うことにした。

 俺は左目を閉じて右目でそっと穴を覗き込んだ。


「うわまぶしっっ」


 反射的に体がのけ反った。

 おかしい。明らかに外から鮮烈な光を注ぎ込まれた。

 起き上がる際に時刻を確認したがまだ深夜三時過ぎだった。朝日が昇るには早すぎる。

 俺は可能な限り目を細めて再びのぞき穴から外を見る。目が慣れたのか先ほどよりは眩しくなかった。


「……は、なんで……?」


 そして俺は愕然とした。

 見間違いではないかと何度も確認するが、のぞき穴から見える景色に変化はない。


 そとにはある人物が立っていた。

 決して見間違いではない。というか見間違えるはずがなかった。


 ボロアパートの扉一枚を隔てた先で、目が眩むほどの存在感を放っている人物。


 出会ってからコンマ1秒でその容貌が俺の脳裏に鮮明に焼き付いていたその人物は。



 そう、先日あの真っ白な異空間で邂逅した、であった。

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