消えない雨の足音で

雨乃よるる

1

 ユウは、雨の音で目を覚ました。窓の外から、胸につかえた汚れを取ってくれるような清い雨音が聴こえてくる。かなり激しく降っているみたいだ。

 窓からは明るい光がさしこんだ。おかしい。空が、晴れている。鳥のにぎやかな声に混じって、雨がさあさあと降る音。布団をはねのけて窓のそばへ。窓を開けて地面をのぞき込むが、からんと乾いて土ぼこりが舞っている。雨の音は、どこから来るんだろう。太陽の高さからして、かなり寝坊してしまったらしい。

 寝室を出るが、居間にも台所にも洗面所にも誰もいなかった。父がいないのはわかる。母も、多分買い物だろう。でも、姉のハルカが休日のこの時間帯に家にいないのは、珍しかった。家の中のどこへ行っても雨の音は同じ強さで続いている。ユウはてきとうな昼食を作って食べ、家の外へ出た。

 強い初夏の日差しが肌を刺す。太陽がほぼ南中している。水田が陽光を反射して光り、田植えを終えたばかりの稲穂がそよ風に揺れる。まだ、雨の音は続く。目を閉じると曇天から落ちる土砂降りの雨とぐちゃぐちゃの地面が脳裏浮かぶほどだ。ユウは耳を澄まして、雨の音がする方角を探す。右。西の方角からだ。ちょうどそのとき東から風が吹いて、ユウの背中を押した。土の匂いに混じって、ほんのり雨の匂いがした。

 あちらの方角には、塔がある。村全体を見渡せる塔で、大きな鐘がついている。村の人たちは交代で、一時間ごとに鐘を鳴らす。そろそろ正午だから、塔には当番がいるはずだ。曲がりくねった坂道をしばらく登る。足元の雑草が、時にはひざ下まで伸びている。小さなバッタが草と草の間を行き来し、蚊が足や腕を容赦なく刺す。雨の音が、より激しさを増したような気がした。

 塔の上に一人誰かがいた。遠くからだとわからないが、若者だろう。女性かもしれない。鐘の当番は、ふつう大人の男性がやるものなのに。歩くにつれて、雨の音が、だんだん近づいてくる。

 塔の上にいるのは、姉のハルカだった。怪訝に思っているとハルカが塔の上から手を振った。軽く振り返して足を速め、階段を二段飛ばしで塔の上まで登る。肩で息をしながら、ユウはハルカの顔を見た。笑っていた。何を言えばいいのかもわからず、ユウはハルカにおそるおそる近づく。雨の音は、まるで目の前に滝があるかのように激しくなり、その音はハルカが発しているようだった。

 ずっとそのままの状態で時間が過ぎた。気がつくと、ハルカの髪の毛が濡れていた。その様子は、土砂降りの雨に打たれたよう。そのうちに肩が濡れ、体全体が水に浸かったようになっていく。

 唐突にハルカは撞木しゅもくに手を伸ばして鐘を突いた。晴れた空に十二回、厳かで神聖な音が響く。鳴らし終えたハルカは、一瞬にして消えた。まるで水たまりが瞬きの間に蒸発してしまったかのように。

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