少年少女少女編

01神北 水桜 01

「はっ……はぁっ、はっ…………はぁっ、はぁっ……!」



 あのときもこんなだった。



「……はっ、はっ……っ……はっ……はぁっ……!!」



 こんなふうに追いかけられていた。



「はっ……はぁっ、はっ…………はぁっ、はぁっ……!」



 今回は死神。前回はクラスメイト。



 違うのは相手で、状況は同じ。



 私は髪が長く、前髪を長くして表情を隠しつつ読書のためにいつも眼鏡をかけている大人しい子だった。



 朝の時間も、昼休みも、科目間の休憩時間もいつも文庫本を開いていて、誰ともおしゃべりしなかった。いつも一人だった。それはいじめられる前からだし、いじめられてからもずっと一人だった。



 一人で本を読んでいた。



 文庫本にはいたずらされなかったので、他にすることも物も無いのであたしはずっと読書をしていた。一方で教科書の方は落書きがひどく、悪口とかが書かれて読みにくい状況だった。しかし幸いにも破かれてはいなかったので授業には困らなかった。上履きも二年性を示す赤色から油性の黒色に変えられてしまっていたけど、隠されたりすることはなかったので授業には困らなかった。机も椅子もきれいなもので、小さく「死ね」「犯人」と二つだけ刻まれていたけど、大方傍から見る限りは特に異常はないように見えた。だから当事者以外は誰もわからなかった。



 わからないふりをすることができた。



 彼女らは人目につくようなことはしなかった。物を隠すことよりも隠して問題になることを恐れた。だから私物を盗まれたりすることはなかった。少しだけ、少しだけあちらこちらいじられて変わっていた。それだけだった。他人からは見えないようなところで、普段の生活には支障のないところでいじめられている。そんな学生生活だった。



 誰とも話さないとは言ったが、祈鈴とだけは話をした。しかし残念なことにクラスが違った。だから話ができたのは登校のときだけ。下校時はあたしが帰りたくて仕方なかったので、いつも先に帰ってしまい、一緒に帰ることはあまりなかった。登校のときだけ、祈鈴が時間を合わせてくれるように毎日声をかけてくれた。それは救いの一つだった。



「また会えたね、ね? おはよう水桜ちゃん?」



 私は彼女には何か他人と違うところがあるのだろうというのを感じていた。リュックサックはズタボロだったし、服は汚いままだったし、目に見える怪我が足や腕に見えたから、他人とは違うのだろうと感じていた。それでも彼女はそのことを一度も口にしないで、ただずっとおはようを言い続けてくれた。だから私も何も言わないでおはようとだけ返した。お互い共通の趣味もないので挨拶以外に話すことはなかったけど、それだけで良かった。すくなくとも私はそれで良かった。見えないところでやられる私と見えるところでやられる祈鈴。きっと私よりも家庭がひどい状況なのだろうことは考えるまでもなかったけど、誰も助けないものなのだろうかと思ったほどだけれども、でも私はそれでも話かけてくれる彼女が大切で、好きだった。だからこの世界に迷い込み、宛もなくふらついていたときに祈鈴に会えた事が、その時どれほど嬉しかったことかわからない。



「はっ……はぁっ、はっ…………はぁっ、はぁっ……!」



 だから初めて目に見えるところでやられたときはひどいショックだった。その日は文庫本が見当たらなくて探していた。いじめっ子に場所を知っているから放課後に来てと呼び出された日だった。場所を知っているからという、考えればおかしな言葉に何一つ疑問を持たなかった自分が馬鹿だとはたしかに今になってみれば思う。でもあのときは大切な本が帰ってくる、その場所を誰かが知ってくれているというだけで安心してしまっていたのも事実だった。



 本は目の前で燃やされた。



 理科の実験で使ったマッチ棒を隠し持っていた女の子が擦って火をつけた。燃えるのを数人が歓声あげながら見ていて、そして私にそれが投げられた。私は何とか火を消そうとしたけど熱くて、上手くいかなくて、上から水をかけられることで消化させられた。



 ビショビショになった私は相手の方を見やったけど視界が濡れていてよく見えなかった。もう誰がどうやったとかどうでも良かった。なんで。どうして。そればっかりだった。私の中に巡る言葉は『なんで』と『どうして』の二言のみ。刃物が見えたときはそれはすごく怖くて、息が急に上がってきて、逃げ出した。相手は全員が笑っているように思えた。中には笑っていなかったひとがいたかもしれない。やめようとか言ったのがいたひとがいたかもしれない。でも私には全員が笑って追いかけて来ているように思えた。



「はっ……はぁっ、はっ…………はぁっ、はぁっ……!」



 逃げた。



 足元がおぼつかなくて何度も転んで、回転して、よろけて、笑われて。ナイフが飛んできてすぐ隣に刺さったときには怖くて仕方なかった。私はまた目をつぶってまたひとり走り出した。後ろからは「惜しい」という言葉が聞こえたようにも思えた。でもそんなことよりも逃げることが大事で、頭上げて顔を上げながら体を前に進ませるようにし、足をあとから追いつかせるようにして走った。息で詰まって苦しくて、泣いているのがわかるほどに顔がぐちゃぐちゃで。走るほどに涙と浴びた水が乾いて寒くて。でもずっと追いかけてくるから逃げないと。逃げろ。逃げろ。



「逃げろ!」



 今も昔と同じ。追いかけられている。死神は音もなく静かに移動してくる。あれが知っている青宿という男だとは思えなかった。だけど知り合いに裏切られて追いかけられるのは二度目だということを、逃げている今になって思い出したのだ。そうだ私は以前も同じように逃げたことがある。それは生きていた時のこと。生前の記憶。 



 私はどうやって死んだんだっけ。





 ※ ※ ※




 

 私は普通に生きていたい。ただそれだけだった。それだけだったのに、しかしそれは心無い刃にて崩れ去った。死神が言うには私は逃げた先で待ち伏せていた別のいじめっ子に羽交い締めにされ、ナイフで切る遊びをさせられたのだという。私はもみ合いになる中でナイフを掴み、それを奪い取った。そして全員が見ている目の前で頸動脈にそれを当てて失血した。死因は出血性ショック死。ナイフを手にしたときに何か思うことがあったのかもしれない。思い詰めていたのが切れたのかもしれない。簡単なことだとわかってしまったのかもしれない。いずれにしても、あたしは追い詰められた果てに自分を追い詰めて自殺した。



「そうかあたしはそうやって死んだんだ」


「ああ。この死神の本に書かれている。間違いない」


「そっか。ありがとうね」


「私はやはり神北を殺さないといけない」


「同じナイフで?」


「いや、今度はこの大剣だ。名をリトルバスターソードという」


「ふうん」


 

 ねえ。



「なんだ」


「なんで今すぐにそれをやらないの?」


「俺の意志に反しているからだ」


「青宿の?」 


「ああ。青宿悠人としての意志に反している。だが死神としてはそうではない」


「死神にとって、あたしたち四人は抹殺の対象」


「そうだ。しかし青宿個人としてはそれは望むべきことではない。死神に成り果てる前のループとはいえ、共に過ごした時間はとても楽しかった。だから全員の命を大切にしたいのだ。せめての抗いとして殺すことを後回しにしている」


「……ふーん。そっか」



 ああ。



「神北の作ってくれたしょうゆラーメンの味はまだ忘れていない。あれはとても美味だった。私が旅人で、にんげんであったことの大切な思い出だ。今のままでは神北が最初のターゲットになってしまう。逃げろ。頼むから言うとおりにしてくれ」



 逃げろ。この私から。

 

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