2.深層少女

 深く、深く潜る。

 


 下へ、下へと下降する。



 層の下の更に下。



 最下層の下の深層へ潜る、下降する。



 そこは息をすることができる水の中。



 不思議な水の中。



 息が泡となってどこかへ登っていく。



 クロールで泳ぎ、水の抵抗を感じて、そして円柱のガラスケースにふれる。



 手が当たる。



 深層。



 その奥深くに彼女はいた。



 衣服を纏わないで、膝を抱えて、目を閉じて。



 言うならばそれは深層少女。






 ※ ※ ※






 目が覚めた。僕は辺りを見回す。



 古い木の匂い。



 使い古されたバンドハウスに寝泊まりしていたことを思い出した僕は、起きがけに何か飲み物がないか探し、ミネラルウォーターとオレンジジュースで迷った挙げ句ミネラルウォーターにした。



 変な夢を見ていた気がする。心の奥へ潜る夢。僕か、または別の誰かの。ただ、それだけの夢。なのに、なぜ僕はまた泣いているのだろう。静かに流した涙に意味はあるのだろうか。夢を見たことに意味はあるのだろうか。わからない。わからないけど、心は哀しみに包まれている。それだけは確かだった。



 穴から出た。笛はポケットに突っ込んだまま。使うかどうかは状況次第で決めよう。状況? 一体何の。



 僕が今ここにいる意味。ここで何をするのか。したいのか。するべきなのか。それは僕にはわからない。考えてみよう。どうしてこの街に来たのかを。この街で何をするつもりだったのかを。記憶がないんじゃない。忘れているだけで、思い出せば記憶喪失にはならない。いまは消失に近い。記憶消失。消えて無くなったのならば探して拾い直せばいい。そう。それだけのこと。だから考える。この街で何を、僕は、何を。



「いちに、いちに、いちに…………」



 校庭を生徒が集団になって走っている。この熱い中ご苦労さまだ。僕はなんとなくその走る姿を目で追っていた。僕は男の子だ。だからだろうか。女の子のお尻を見てしまった。走るたびに揺れる。その後ろ姿。シャツがチラチラと揺れる。砂埃が舞っている。胸は見れない。顔が近くて、目線があったらと思うと見られない。だからお尻を見ている。ジャージのピタッとしたラインを見て、追いかける。



「何してるのかな、な?」



 ドキッとした。黄金色の髪をした少女が話しかけてきた。どうやら走っている集団の一人だったらしく、やや息があがっている。



「いや、べつになにも……」



 ごまかす他になかった。正直にお尻を追いかけていましたなんて口が裂けても言えない。言えるわけがない。あゝ、なぜ僕はこんなことをしているのだろう。暇だったから? 目についたから? おそらくそうであり、そうではないのだろう。何をしているんだといえば全くそのとおりであり、なんでしているんだと言われればそれは本当にりゆうがない。気の迷い。一時の恥。隠された性欲本能。なにかそういうことばにできないなにかであることはこの際、間違いがない。



 そうだ、笛。



「え?」



 女の子が驚くのも無理はない。話しかけた次の途端に笛をピーッと吹き出したのだから。男は取り出した小さな笛を必死に、ただの一度だけ鳴らした。



 死神は瞬く間に、刹那の時の後に現れた。



 音もなく、風のようにふっと。来たと言うより現れた。黒いジャケットをマントのようにふわりとさせ、鉄塊のような刀を肩にやって現れた。僕と彼女の間。そこに死神は宣言通りに現れたのだ。



「てやっ!」


「うわあぁ! それは聞いてないの、の!!!!」



 鬼ごっこが始まった。ものすごい速度で漫画のように走り逃げ去る女の子。対して瞬間移動のように背後を取り続ける死神。その二人の追いかけっこ。校庭には体育で走り続ける集団もいる。それを見ている教師は腕を組んで満足そうに見ているだけ。なかなか混沌としている状況だった。



「はっ、はぁっ、はぁ、はぁっ……ちょっとタンマ……」


「はい」



 ふたりが僕の方に戻ってきた。片方は息を切らし、片方は整然として。



「少し待とう」



 え、いいのか? 待つのか死神。というか何故追いかけた。



「彼女は透明少女だからだ。死神はそれを阻止するために存在している」


「透明少女?」


「透明、つまり存在していない存在という意味だ。この世界は普通に生きれなかった人間が普通に生きるための世界。それに抗うのが透明少女。死神は世界の秩序を保つ存在。つまり相対すれば必然とこうなる」


「息整うのを待ってあげることが?」


「それは昔のよしみで。割と長い付き合いだからね」


「……へぇ、そうなんですね」


「君は世界の真相を知りたいのかな、かな?」


「僕?」


「うん。あたし戀風祈鈴です。難しい戀に風、お祈りの祈りにりんりんの鈴をつけて祈鈴です。よろしくねっ、ね?」


「はい。種田霖です。ええと、漢字は……」


「霖くん! それじゃあね、追いかけられてるから、またね!」


「あっ、はい」



 戀風祈鈴はそう言うと、瞬く間にぴゅーっといなくなった。死神はその後を追うように姿を消した。跡には僕だけが残った。僕は周りを見る。「いちに、いちに」の声はまだ続いている。そしてその向こうにあの二人がいて、視点を校門にずらすとそこにも人がいて。僕はそちらへ行くべきなんだろうと何故か思い、校門へ足を向けるべく立ち上がった。




 ※ ※ ※




「こんにちは。あなたが今回の主人公?」


「? 主人公って?」


「まあ、いいや。あたしは神北水桜。神様の神に方角の北。水に桜でミオ。祈鈴の仲間さ。よろしく」


「種田霖です。霖は雨冠に林でリンと読みます。意味は長い雨だそうです。おねがいします」



 ところで、



「なに?」


「ここはどこなんですか?」


「そうね。死神の言葉を丸借りするなら『死後の世界』。『自殺者限定』のね」



 自殺者の死後の世界



「そう。普通に生きられなかった人が普通の人生を送りなおすための世界。だからここには理不尽とか社会とか世間とかそういう窮屈なのが存在しない。代わりに死神がいる」



 あの男性



「そう。最初は仲間だったんだけどね。なんか上手くいかなくて敵になっちゃった。あたしは今からでもやり直せると思ってるんだけど」


 

 死神というのは



「彼らも同じ自殺者。死後の世界で世界側に就職したエリートたち……っていうと聞こえはいいけど、実のところはよくわからない。あたしたちを『透明少女』って呼んで目の敵にしてるけど」



 それもさっき聞きました。透明少女。



「こればっかりは死神たちの言葉だからなんともね。言葉に直すなら、普通の生活を送りなおすための世界から出たがっている人ってとこかな。世界に反抗している人、普通ではない人。異端者? なんでもいいけどね、呼び方なんて」



 あの龍と関係が?

 


「あれはこの世界の創造主。それこそ神様よ。なんのために『自殺者』が『普通に生きる』ための『世界』を作ったのかは、それこそ神のみぞ知るところなんだろうけど。あたしみたいな人間にはさっぱり」



 来る? あたしたちのところ。



 神北は僕を誘う。



 はい。よろしくおねがいします。

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