第8話 三か月後・後

 一時間くらいして、ハチスがやってきた。

 彼は走って来たのか、いっちょ前に息を切らしている。髪も何も付けずに流して、こっちのほうが見慣れていてホッとする俺。……なんかキモいな。

「お待たせしました」

 俺は手を振る。

「お疲れさん。そんなに急がなくてもよかったのに」

「いえ、お待たせさせるわけにはいきません。それに早く会いたかったですし」

「……」

「本当ですよ」

「ありがとな。とりあえず座ろうぜ。ずっと立ってると疲れるだろ」

「はい。失礼します」

 ハチスが隣に座った。その瞬間、ふわりと温かい気持ちになった。天使からはセロトニンでも発せられているのだろうか。

「あのな、ハチス。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「何でしょう?」

 俺は微妙に顔を近づけた。

「最近、変な視線を感じたりしないか?」

「視線、ですか……」

「そう。誰かに見られているような感じ」

 彼は首を傾げた。サラリと髪も流れる。

「教会では、常に誰かの気配を感じます。働く方も、信徒の方も……視線を意識したことはありません」

「そうかぁ」

 天使の感覚だとそんなものらしい。絶対ハチス目当ての奴がいると思うんだが、こいつなら全部好意として受け取るだろう。厄介。

 俺は彼の背中に垂れた毛先を摘んだ。

「ところでさ、あの髪留め……バレッタっていうの? 可愛いよな」

「今日付けていたものですか? あれは、信徒の方が贈ってくださったものなんですよ。私のために選んでくださったそうです」

 やっぱりか。

「へぇー、そうなの。嬉しい?」

「はい! とても!」

 ハチスは目を輝かせて言う。嘘偽りのない言葉だというのはわかるが、それでもムッとした。

「あっそ。俺よりも?」

 思わず拗ねた口調になる。

「比べることではありませんが、あなたの次に大切です」

「そっか。ならいいんだ」

 俺は彼の頬を軽くつねる。

「痛っ。いきなり何をするんですか」

「いや、何でもない」

「もう……。そういえば、先ほどはどうして私のお尻を触ったんですか?」

「え? ああ、そうそう。つい、な。お前のケツって触り心地いいから」

 嘘は言っていない。が、正直何で触ったか自分でもよくわかってない。というか、常に人の気配がしているってことはあれも誰かに見られたかもしれないな。

「そうですか? 自分じゃよくわからないです」

「うん。いいんだよ。わかってるのは、俺だけで」

 ハチスは不思議そうにしている。そりゃそうだ。

「さて、帰るか」

 俺は立ち上がる。

「はい」

 初めて会った日の時のように、ハチスが手をつないでくる。まだ夕方だし、このままデートでもしたい気分だ。が、さっき献金の時に持ってきていた五千円札を使ってしまったから手持ちがないのだった。畜生。あれで徳を積んだことにならないかな。

「なあハチス、何か欲しいものある?」

「特にありません」

 即答やめろ。

「いや、なんかあるだろ」

「本当に思いつかないんです。それより、あなたが元気で過ごしていただければ十分です」

 俺にそんな甘いこと言っていいのかな。今でも甘々に甘え切ってるけど、まだ足りないっていうのか天使め。神の社畜だろこれ。神蓄。

「でもさ、しんどくなったら休めよ」

「天使は休まなくても平気です。これからも、頑張ります。あなたのお役に立てるよう」

 俺はため息をつく。

 それから家に帰るまで、ずっと手をつないだままだった。

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