6-4◆渡会 楓の憂鬱

 答案の返却で一喜一憂いっきいちゆうして過ごす五日間が、今日から始まる。たぶん成績は下がっている。取り戻さなくては、祥子しょうこさんに心配をかけることになる。


 しかし、まずは優亜ゆあだ。『二人で話せないかな』と送ったが、返信はない。あんなに怒っていたし、やはり直接捕まえるしかなさそうだ。


 放課後、優亜のクラスに行ってみることにした。先生が教室を出て、ざわつき始めた頃合いを見て、中に入る。優亜の席は空いていた。

「あの、須藤さんって今日来てる?」


 優亜の席の隣に座っている女子に声を掛ける。

「ううん。今日も休みだよ」

「そうなんだ……ありがと」

 具合が悪いのだろうか。そんなときに私から話したいと連絡が来たら、返信が来ないのは当たり前か。また明日、クラスをのぞいてみよう。



翌日、放課後にクラスを訪ねたが優亜はまだ休みだった。昨日送ったメッセージには既読がついている。けれど昼に送ったメッセージは、まだ既読が付いていなかった。優亜のクラスを出て、そのまま部室に向かおうと廊下を歩いていると、後ろから呼び止められた。

渡会わたらいさん! ちょっ……ちょっと待って」


 振り向くと、永山さんがこちらに手を振って走ってくる。クラスも違うし、話したことはないが、目立つ子でなので名前は知っている。優亜と一緒にいるところを何回か見かけた。永山さんはダークブラウンの長い髪を緩やかに流して、左耳に付けた三つのピアスをきらきらと光らせながら私の前で止まる。


「ねぇ、ちょっと今から梨花と一緒に来てほしいんだけど」

「え? どうしたの?」

 突然の申し出に、驚いてしまう。眉を寄せて私を見る表情は、思いつめた様子だ。


「何か、予定とかあるかもだけど……一〇分かかんないから」

「うん……、どこに行くの?」

「裏門。良平が来てるんだ」


 永山さんは、私の腕を絡め取って歩き始める。リョウヘイとは誰の事だろうか。全く分からないが、永山さんの勢いに押されて、一緒についていく。

「実はさ……優亜と連絡が取れなくて」

 永山さんが歩きながら話し出す。


「一昨日から休みみたいだけど……具合、相当悪いのかな?」

「違うよ、いなくなったの。家にも帰ってないみたい。優亜のママから電話あってさ、心当たりないかって……」

「いなくなった……?」


 学校を休んでいた理由は、病気ではなかった。ふと先生のことが過った。永山さんは話すのをやめて早足で私について来るようにうながす。北校舎を回り込むと、裏門が見える。そこに背の高い男子が立っている。制服が違う。ズボンの柄が見える距離まで近づいて、どきりとした。


 北高の制服だ。更に近づいて顔を見ると血の気が引いた。タニだ……良平とは、小谷良平のことだったのだ。小学生のころまではよく遊んだりしていた。中学に入ってからは疎遠そえんになったが、あの頃から更に背が伸びている。だが、顔はあまり変わっていない。


「良平、この子だよ。優亜とトイレで言い争ってたの」

 タニが驚いた様に私を見つめる。私は何も言えずただ、タニの顔を見返していた。

「ごめんね。別に渡会さんが優亜に、何かしたって思ってるわけじゃないよ。優亜いなくなったって聞いて、良平のとこかなって連絡したの。したら良平も知らなくて……けど探すの手伝うって言ってくれて……」


 永山さんの説明がほとんど入ってこない。この状況をどう乗り切れば良いか、考えていた。優亜とタニが知り合いなら、私のことが優亜に伝わるのは時間の問題だ。あるいは既に……。私は怖くてタニの顔から目を逸らし、俯いて縮こまっている。


「あの……オレ……小谷っていうんだけど。知りたいのは、優亜ちゃんと……喧嘩してた内容だけだから」

 顔を上げると、タニが私の目を見て、少し眉を上げながら小さくうなずく。どうやら、私との関係はここで話さなくてよい、という合図のようだ。


「なに? 良平緊張してんの? トイレで、渡会さんと優亜が深刻そうな感じなの、見たって子がいてさ……何があったか教えてくれない?」


 永山さんがタニをじろりと見て、私の方に向き直る。おそらく優亜が私と先生の関係に気づいて、怒っていた時のことだ。あの内容をそのまま話すと、先生に迷惑がかかる。


「あれは……その……優亜が、私のことずるいっていうから、私もちょっと頭にきて喧嘩になって……」

「ずるい?」

「私の……通院の送り迎えを先生がしてたから、そういうの良くないって……」

 永山さんが、急に頬をゆるめて、にやにやと笑う。


「優亜、直接カラんできてたんだ。渡会さんのこと、相当意識してたからねぇ……本当はもっとキツイ言い方されたでしょ?」

 優亜は私のことをあまり良く思っていなかったのだろうか?


「いや、そんな……。私も送り迎えしてもらってるだけだから、関係ないとか言っちゃったから……」

 先生と優亜に特別な関係があったかは、分からない。けれどこの内容ならタニの知りたいこととあまり遠くないはずだ。永山さんの様子からして、優亜は私との関係を、詳しく永山さんに話していないということだろう。


「それだけ?」

 タニが私を見て訊ねる。


「そう。私の言い方もよくなかったから、今日は謝りに行こうと思って……」

「送り迎えをしてた先生って? なんで優亜ちゃんがそんなこと責めるんだ?」

 タニが不思議そうに永山さんを見る。


「あー、良平知らないだろうけど……。優亜が狙ってる先生がいてさ。渡会さん、中田のことだよね? あの優亜が、全っ然相手にされないって、もう怒りまくっててさ。たぶん八つ当たりだよ。渡会さんも気にしなくていいよ」


 それで、優亜はあんなに怒っていたのか。やっぱり優亜は、先生のことが好きだったのだ。あの時優亜から感じたものは本当だった。だとすると、先生にはひどいことを言った。


「よく二人で話してるの見たんだけど、通院かぁ……。梨花りか、二人で良い感じに話してるとか言って、あおっちゃったから、ごめんね。けど、また手がかりなしだよ?」

 永山さんが、タニを見上げる。タニは私の顔を見てからずっと、何かを考えているようで、永山さんの話にあまり反応しない。


「あの、優亜のこと……警察とか、そういうとこに話した方が、良いと思うけど」

 タニと永山さんは二人だけで探そうとしているのだろうか。永山さんが、困ったように眉を寄せて私を見る。


「もうなんか届? みたいなの出してるらしいけど。中学の時にも家出したことあったらしくてさ。それでちゃんと探しくれてないんだって。優亜のママは連絡つかないことは、それ以来なかったって言ってて。心配して色々な人に連絡してるみたい。梨花も何か変だと思う。一日以上連絡取れないとか、今までなかったし。優亜の行きそうなところなら、梨花の方が詳しいから」

 そう言って目を伏せる永山さんは、本当に優亜のことが心配なのだろう。


「カ……渡会さん。ユウタって知ってる?」

 突然タニが私に質問をした。優亜に何か関係がある人なのだろうか。

「え? ユウタ? ……知らないけど」

 名前だけ言われて、思いつく人物はいない。タニは私の反応を確かめるように、じっとこちらを見ている。


「ちょっと、ユウタって優亜のこと拉致らちろうとしたやつのこと? なんであいつのこと知ってるの?」

 永山さんがタニのことを睨む。

「クラブで起きたこと、優亜ちゃんから聞いたから」

 良平は憮然ぶぜんとして答える。拉致とかクラブとか、どうもただ事ではなさそうだ。


「あの……、ユウタって人が、優亜がいなくなったことに、関係してるの?」

 二人の顔を交互に見つめる。永山さんは困った様子でタニを見上げる。

「あー……、もしかして優亜ちゃんが変な男に付きまとわれて困ってるとか、話してなかったかなと思って。録音聞いた時、何かあいつ、優亜ちゃんに執着してる感じしたから」


 それなら私に聞くよりも、永山さんに聞く方が、情報がありそうに思える。そんな怪しい人物がいるなら、警察に伝える方が先だ。

「その人のこと、一応警察にも伝えてみたら?」


「まさか! あれ以来会ってないし。ストーカーされてたら、あたしが気づいてる」

 タニは、そうかと言って申し訳なさそうに笑う。

「ごめん、あともう一つ。飯島浩太いいじまこうたは、知ってる?」

 初めて聞く名前に首を捻る。タニは何を確認したいのだろうか。

「知らない……」

「オレは?」


 ぎょっとして息が詰まる。なぜ今更バラそうとしてくるのだろうか。どう答えていいかすぐに言葉が出てこない。唇を噛んで考えを巡らせる。

「今日が初対面だよな。ありがと、渡会さん。優亜ちゃんのことで何か、思いあたることあったら連絡してよ。とりあえず連絡先交換していい?」

 あまりにあっさり引き下がるので、呆然ぼうぜんとする。


「うん。……もし、私で力になれることあったら、協力したいから、教えて」

 もしかして、最後の質問は、私が嘘をいていないか、確認したかったのではないだろうか。私がその二人と知り合いだと、何かあるのだろうか。


「ありがと……今のとこはないけど。何かあったら連絡する」

 永山さんが笑って私を見送る。私はタニに目だけで感謝を告げて、その場を後にした。

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