第三話

ナナナフシギその1


 その日、睛明館学園は騒然とした。

 不登校により出席日数が足りず留年認定された生徒、蓬莱縁樹がついに登校したのだ。

 ボサボサで伸び放題だった澄んだ黒髪をショートボブに切り揃えた彼女は、やはりどこから見ても見惚れてしまう美少女だった。

 颯爽と風を切って歩くその姿、背筋を伸ばした華奢な身体にしゃんと金属的な音が立つようで、留年生徒というの負い目を感じさせない堂々とした登校っぷりだった。

 誰かがぼそっとつぶやいた。


「一年生二周目の女子高生は無敵だ」


 軽い戯れ言のようでもあり、決して羨ましむものではない皮肉に満ちた台詞にも聞こえる。

 縁樹さんは無視した。それでいい。私はそう思った。

 彼女が何故不登校になったのか、その理由は誰も知らない。縁樹さんをいじめた子と縁樹さん自身の問題だ。誰が何を言おうと気にかける必要などない。

 そして、どこの誰とも知れない縁樹さんをいじめたそいつがまだ学園内にいるということも、また知られていない。学園の生徒なのか、はたまた人間なのかすら、私たちは知らない。




 人類で最も噂話が好きな種族は女子高生だ。知らんけど。

 その噂の主が学園で一番の美少女ともなれば、噂に高価な金魚みたいな派手な尾鰭がくっついてそれはそれは優雅に泳ぎ出すというものだ。知らんけど。

 約六ヶ月ぶりに登校した縁樹さんは、教室の自分の席に座っているだけで学園中の耳目を集めまくる渦中の人となった。

 まるで客寄せのパンダだ。よくもまあ学年というフロアを越境してまで見物にくるものだ。

 あれが件の蓬莱縁樹か。新入生だけでなく、元同級生に当たる二年生の先輩方まで教室を覗きにくる。暇なのか。暇なんだな。


 再登校初日の今日だけで聞こえてきた蓬莱縁樹の噂。


 ・学校辞めたんじゃなかったんだ。

 ・あれでしょ。遊び呆けて学校来なくなっちゃったんでしょ。

 ・身体弱そうだもんねー。病気で引きこもってたんでしょ。

 ・授業についていけなかった落ちこぼれでしょ。


 ここら辺はまだかわいい部類だ。事情を知らない奴がどーたらこーたら言う分には許してやらなくもない。


 ・二階の窓から転落して正門前ソテツの樹にぶら下がってた子よね。

 ・某先生の秘密を知っちゃって命を狙われて隠れていたんでしょ。その刺客が新任のツラシロ先生だとか。

 ・あの子もう◯んでて、実は幽霊なんじゃない?


 ここまでくるともはや学園七不思議を一人で実証しちゃうレベルだ。噂話にしては度が過ぎる。

 余談だが、数ある噂話にこっそり真実を混ぜてやれば意外と浸透して後で答え合わせする時にごまかしが効く、らしい。泉子さんが小鼻を膨らませて言っていた。


「私の噂流したのって、泉子ね。きっと」


 縁樹さんは困ったような笑顔で言った。船形泉子という人物を熟知している幼馴染ならではの読みだ。図らずも一年先輩とクラスメイトとなった私は、そうだねーと愛想笑いするしかない。


「変な噂流される前に良くも悪くも想定される範囲で先に手を打っておく。あいつならやりかねないよ」


「しれっと微妙に真実を混入させちゃってるし」


「そうそうそれそれ。それが効果的なデマの予防策だってわかるけど、もうちょっとねえ、さりげない優しさが欲しいわあ」


「ガチでほんとのこと噂しないのが泉子さんなりのSっ気な優しさだよね」


 縁樹さんはよく喋った。学校に来なかった半年分を取り返す勢いで喋った。普通の女子高生のようにクラスメイトといっぱいおしゃべりしたかったんだろうし、私と喋ることにより他の野次馬女子高生から身を守ることもできるし。私ってば一石二鳥だ。この調子で三鳥目も狙おう。


「でさ、縁樹さんってほんとに『視える』子なの?」


 周囲に聞こえないよう声を顰める。私の急なトークテーマ変更にも縁樹さんは嫌な顔もせず、むしろ食い気味に返してくる。


「それが問題なのよ。一般で言う霊能力とか、霊視とか。何にも出来ないよ、私って」


 縁樹さんは廊下の方へチラチラと視線を流しながら言った。

 休み時間。教室移動か、ぽつぽつと歩いている子はいる。ここは一年生のフロアなのに二年生カラーのリボンタイの人もいる。縁樹さんを野次馬しに来た先輩方か。その群れの中に気になる人物はいなかったらしく、私に向き直ってさらなる小声で言う。


「時々思うの。私が『視える』んじゃなくて、他の人が『視えない』だけなんじゃないかなって」


「なにその謎理論」


「それくらいに視えるか視えないかは個人差ってこと。そりゃあ私も泉子に負けないくらい妖怪とか化け物とか好きよ。泉子と同じく、まだ妖怪は見たことないけど」


 泉子さんは幽霊肯定派だ。当然か。怪談師になるって宣言するくらいにガチ幽霊派だ。困ったことに縁樹さんは幽霊否定的妖怪派だった。何が困るって、部内派閥の数的優位性が、だ。真夜もどちらかと言えば幽霊肯定的妖怪派。で、私はオカルト全般、超常現象探求派だ。多数派として妖怪派に優位なヒエラルキーが成立してしまう。ちなみにキミッチ先生は幽霊否定妖怪否定ロマンは認める派だとか。


「人によって視えてる世界は違うと思うよ。視えない何かを幽霊と呼ぶか、視える何かを妖怪と呼ぶか。知らない事象に対する価値観の相違って奴ね」


「私はまだ何にも見たことも感じたこともないからわかんない世界だなー」


「それでいいんだよ。メグルちゃんにしか視えていないモノだってきっとあるはず」


 おしゃべりしててわかった。縁樹さんはいわゆる『無自覚不思議ちゃん』なのかもしれない。縁樹さん本人も泉子さんも幽霊が視えるとは一言も言っていない。ただ『視える』子なのだ、と。

 同じ女の子でも振り返るとびきりの美少女で、自称何かが『視える』不思議ちゃんで、頭脳明晰、人当たりも良くて、恵まれた家庭環境。

 そりゃあ面白くないって感じる子もいるかもね。いじめてやるって気になる奴だって出てきそうだ。

 たしかに、縁樹さんを守るために、彼女の居場所を作る必要はありそうだ。

 泉子さんはそれをさらっとクリアしてみせた。民俗資料研究会部室を確保して、いわば私たちの城を建てたのだ。その安全な場所で、縁樹さんはゆっくりと学園に復帰していけばいい。

 それなのに。泉子さんの狙いはいつも斜め上を向いている。


「それなのに、泉子は幽霊を探すって言ってるんでしょ? 部活の活動内容として!」


 縁樹さんが綺麗に整った眉をきゅっと寄せた。


「それだけじゃなく、学園幽霊を捕まえて、元生徒だったらそいつを五人目の部員にしてやるとか言い出しちゃって!」


 私もついつい声が大きくなる。慌てて口を塞ぐ私と縁樹さん。


「どっちが無敵の女子高生よ!」


「無謀極まりなし!」


 私たちは泉子さんがこの場にいないのをいいことに思い切りつっこんでやった。縁樹さんもツッコミセンスありそうだし、真夜とトリオ組めるかも、なんて思ったりして。

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