フレディ・マクスウェルは小説の為に世界を救う作家である

テトラ+

第1章:小説家と冒険者

第1話 その出会いは必然である

 ――どこかの誰かが、俺と同じ人生を歩まないようにしよう。


 そう思って書き始めた俺の小説は、田舎町の本屋の片隅でホコリを被っていた。

 

 俺が実際に書いた小説は、まだ一つだけ。

 魔女の呪文書や得体の知れない禁書の隣に捻じ込まれた白い表紙の本が、俺の処女作。


 題名は――復讐は時間の無駄である、だ。


 この小説は、国同士の権力争いや魔族を滅ぼそうとしている王都が色々な話題を作っている時代に、それ等全ての行為が「無駄である」という事を説く内容だ。


 書いている時は、小説を書き始めた自分の夢が叶うと思って書いていたけど、いざ本屋に並んで売れ残っている様子を見て、すっかり自信を無くしてしまった。


 時間を巻き戻せるなら、自分の作品をこの世から消したい。誰にも読まれない黒歴史を消して、ペンを捨て、大昔に捨てた剣を拾いに戻りたい。


 その道を選んでいれば、俺は英雄に成れただろう。


「すみません。古い書物が置いてる棚はどこですか?」


 客として本屋に訪れ、本屋の奥で放置された自作品のホコリを払うのが日課だった俺の目に、変わった客の姿が映る。


「古い書物って、どれくらい古い書物だい?」

「今の人が知らないほど昔の本です。呪いとか、邪悪な怪物が載っているような」

「古文書の類なら、店の奥の棚にまとめてある。あーでも、翻訳されてないから、古代文字のままの物が多いよ? それでも良ければ、この通路を真っすぐ進んで右側だ」


 今の流行は、魔族を滅ぼす為に進化した魔法や、従来の魔法とは比べ物にならないほど省略化された魔導書。娯楽として楽しむ小説も、今も生きている人物を題材にした物語ばかりで、大抵は魔族と戦う王都が舞台。英雄の「もしも」の生活を描いているものが多い。


 そんな時代だというのに、俺の目に留まった少女は動物の革で作った書物を探していた。


「ありがとうございます」


 店主の老婆に礼儀正しくお礼を言った少女は、笑顔がよく似合う赤髪の美少女。


「すみません。ちょっと通ります」


 少女の腰には立派な剣。服装は、雪が降り積もるこの地域の気候に合ったもので、滑り止めが付いた長靴を履いている。

 恐らく、彼女は冒険者。狭い場所では腰の剣を外して持ち歩く作法まで身に付けているし、良い家の出なのは間違いない。


「ごめんなさい。一緒に見ても良いですか?」

「ああ、構わないよ」


 少女が俺の近くまで来た。


 見ても分からないのは、俺の前に来て同じ本棚を眺める少女の背中に、表で感じた温かさがない理由。

 少女の背中は、公演期間が過ぎた舞台の裏を見ているような気分になる。俗に言う、張りぼてだ。


「……ん? 何これ」


 息苦しさを感じるほどの沈黙の果てに、少女が一冊の本を手にする。

 

 年齢的に読めるはずのない書物が並ぶ本棚で、少女がその一冊を手に取ったのは、ある種の必然。


「復讐は時間の無駄である……?」


 少女の独り言の真意は分からない。古代文字で書かれた本が並ぶ本棚に現代文字の本が並んでいる事に対する言葉か、周りの本と明らかに種類が異なる書物が置いてある事か。他の書物の題名すら解読できない様子を考慮すれば、少女の独り言は前者かもしれない。


「ゲッ、バニス領土の硬貨で6700バニス……もしかして、ここにある本って全部高いの?」


 ――はっきりしているのは、俺の小説の価格を他と比べる少女の資金が乏しいこと。


 誰も買わない書物は、本屋にとって秘宝に近い。誰も買わないからこそ、それを求める客が現れた時に高値で売る事が出来るから、基本的には価値が下がらない。卑怯だけど賢い儲け方だ。


「…………買えないんじゃ、仕方ないわね」


 仕方ないと告げた少女から、後ろに立っている俺を気にしている視線を感じた。


「まぁいいわ。もうすぐ誕生日だし、叔父様にお小遣いを貰ってからにしよっと」


 少女が、下の棚から秘かに抜き取った別の本を棚に戻す。

 色が似ている本を選び、俺に気付かれないよう自然な動きで盗みを働いた少女からは、「慣れ」のような物を感じる。


「ごめんなさい。お邪魔しました」


 少女が振り返って立ち去る時には、盗んだ本が手元に無かった。


「おや、探し物は無かったかい?」

「はい、別の本屋を探してみます。ありがとうございました」


 ――以前の俺なら、確実に止めていたであろう少女の盗み。


 俺は、自分の小説が置かれていた本棚に代金を置き、少女の後を追う。


「おい、危ないだろ! 馬車の前に飛び出すな!!」


 店を出てすぐ、客を乗せて街中を移動する馬の悲鳴と、騎手の怒鳴り声が聞こえた。


「ご、ごめんなさい!」


 走行中の馬車の前に飛び出したのは、俺の本を盗んだ少女だった。


「……あ」


 馬車が走る為の車道を跨ぎ、反対側の歩道まで渡り切った少女と目が合う。


 俺に気付いた少女は、腰に下げていた剣を手に持って走り、人気のない路地に入っていく。


「おい待て! そっちは危ないぞ!?」


 俺は、少女が消えた路地に向かって叫んだ。

 ここは、良くも悪くも田舎町。盗賊のアジトもあるし、治安が良いとは言えない。


「……俺は何をやってるんだ」


 今になって、少女の盗みを止めなかった事を後悔した。後を追って少女を田舎町の路地裏に追い詰めるくらいなら、最初から止めてやるべきだったと。


「すいません! 通ります、ちょっと通して。止まって。失礼、失礼します。おい、待ってくれ!」


 馬車の通行を妨げながら車道を横断し、物言わぬ少女の背中を追いながら考える。

 

 ――追っているのは俺か、それとも彼女か。


 俺は、この世界の事をよく知っている。よく知っているから、誰かに知ってもらおうとした。

 この世界には、踏み入ってはいけない領域が沢山ある。魔族以外にも危険なものが沢山あって、魔族は世界の裏側から弾かれた一部の種族に過ぎない。

 人類は、魔法を手にするべきではなかった。亜人との共存も、今となっては行き過ぎた交流。人間の良いところを学ぶ分には問題が無かったけど、悪い所まで病のように移ってしまった。


 この広大な世界には、出会って後悔する存在と、そうでない存在が潜んでいる。


「おやおや、これはこれはこれは。赤毛のお嬢さん、田舎町の路地裏に入っちゃいけないって、ママやパパに教わらなかったのかな? ん?」


 今となってはどこにでも湧く、神器や魔導具を手にした賊。


「フッフッフッ。お兄さんもどう? お姉さんと遊ばない?」


 少女の逃げ道を塞ぐように現れた賊達が、後を追っていた俺の後ろにも現れる。

 右の通路も左の通路も賊だらけ。無人都市のグールのように賊が出てくる。


 性別を問わず、種族を問わず、相手の目的を問わず、どこかの誰かが考えた筋書き通りの事が起きる世界の現状。


「賊…………丁度良かったわ。あんた達に聞きたい事があったの」


 そんな世界で、俺の処女作を盗んだ少女は「賊」を探していた。


「ほぉ、聞きたい事か。言ってみな、答えるかは報酬次第だがなぁ、ヘッヘッヘッ」


 追っていた俺を気にも留めない少女が、路地裏に放置された貼り紙や酒瓶が浮く程の魔力を放つ。

 肉眼で確認出来る程の魔力量を誇る少女の魔力色は、その髪色と同じ赤。髪が逆立ち、報酬を期待していた賊の顔を青くする程の怒り。


「あんたの仲間に、凍った剣の形を模した『神器』を持ってる奴は居る?」


 誰かが止めないと、誰かが辞める事を選択しないと永遠に続く復讐劇。その悲劇が起きた世界の跡地で、少女は誰かの仇討ちをしていた。


 全身から滲み出る少女の強さは、探している相手の強さを物語っている。


「し、知らねぇな……俺達の仲間に、剣の形をした神器を持ってる奴は居ねぇ」


 ――今はもう、じゃない。


「そう……なら死になさい!」


 赤い魔力は、その先にある物を封じる為の蓋だった。そう思えて仕方がないほどの黒い魔力が少女の体から噴き出す。


 噴き出た黒い魔力は、少女が手にしている剣に宿り、質問に答えた賊の男に襲い掛かる。


「来い、オプティマス」


 ――君には、自分にとって最善の選択をし続けて欲しい。そう言い残してこの世を去った無名の神から託された剣を呼び出す。


 純白の剣を手にした俺は、地面に剣を突き刺し、少女の背後から告げる。


聖域指定リージョンロック


 剣を刺したこの地が聖域である事を告げると、賊の男に襲い掛かる黒い炎を始め、少女の体から溢れていた魔力や、賊が身に着けていた魔導具の類が光を失う。街灯の灯りも消え、田舎町の路地裏は魔法が使えなかった時代の明るさを取り戻す。


 聖域の宣告は、無名の神から託された剣「オプティマス」の力を応用した技。剣が地面に刺さっている限り、この場に居合わせた賊や少女には、オプティマス製造後の時代で生まれた異能が使えない。


「なっ!? 魔力が消えた……どうなって――」


 魔力が消え、魔法が使えない事に驚いた少女が、振り返ってオプティマスを見る。


「それは、剣の形をした神器…………!?」


 命を奪う「武器」の形を得ている神器は数に限りがある。

 

 少女が探している「凍った剣の神器」は、刀身が白い事以外に目立った特徴がないオプティマスよりも古い武器。人の身では扱い切れない代物、聖戦時代に神が自らの手で振るっていた正真正銘の神器だ。


 怪物を見るような目で俺を睨みつける少女は、武器の形をした神器の持ち主が、どういう存在か知っている様子。


 ――誰かから聞いた訳じゃなく、実際に被害に遭った顔をしている。


「あんたが私の両親を……!!」

「落ち着け。俺は君の事を知らないし、この剣を人に向けて使った事は一度もない」

「なら、どうして聖剣それを持ってるのよ。あんたもあいつ等の仲間じゃないの……?」


 あいつ等、か……。


「君が誰の事を言っているのか知らないが、俺はただの小説家だ。君がさっき本屋で盗んだ白い本を書いた」


 死に掛けて腰を抜かした賊を気にせず、恥を覚悟で少女に告げた自分の職業。誰にも読まれないと思っていた作品が初めて認知されて感じたのは、剣の形をした神器を持ちながら、世界を救わず小説を書いていた事に対する後悔。


 俺は、相手に恐怖を刻み込む剣ではなく、相手に意志を伝えるペンを選んだ。


「ま、まさかお前、本物の勇者なのか……!?」


 俺は、異能を封じた剣に驚く賊の言葉を否定する。

 さっきも言った通り、俺はただの小説家。魔族と戦う勇敢な者ではなく、魔族や人間の立場に立って時代の変化を見て来た観測者に過ぎない。

 ただ長生きしているだけで、誇れるような事は何一つして来なかった。称えられる事も無く、人里離れた森の中に屋敷を建て、そこで息を潜めて生活している。


 後悔はあれど、「勇者」として生きる気は今も無い。


「あいつ等の仲間じゃないなら、どうして私を追って来たの……?」


 俺は、剣を構える少女の質問に答える。


「それは……危険を冒してまで、君がその本を盗んだ理由を知りたかったからだ」


 少し考えてから答えると、少女が困った様子で周りの賊と目を合わせる。

 少女と同じく俺の答えに戸惑う賊は、誰一人として俺が少女を追っていた理由に納得がいかないらしい。


「ごめん、もう一度言ってくれる? どうして私を追って来たの?」


 もう一度言うと、俺の後ろで道を塞いでいた賊の女が答える。


「あの、お兄さん? あの子が聞きたがってるのは、勇者のあなたが、どうして自分を追いかけていたのかって事だと思うだけど……」


 は?


「お前は何を言ってるんだ? いいか、俺は。さっきから何度もそう言ってるだろ!?」


 声を張ってハッキリ喋ると、話していた賊の女が木箱で尻を打つほど退いて怯える。


「フレディ・マクスウェル……」


 突然、少女が俺の名前を口にした。


「……何で俺の名前を知ってる?」


 少女の方に振り返って質問すると、下を向いてボーっとしていた少女が俺の目を見る。恐らく、名前を呼んだのは無意識だろう。


「あ……少し前に、冒険者ギルドでそう名乗っている男の話を聞いたの。どうして五人パーティーに拘るんだとか、男女比を考えてパーティーを組む方が無難じゃないかとか。変な事ばかり聞かれて気味が悪かったって。それで、もしも会ったら、すぐに逃げた方が良いって忠告されたわ……」


 少女の言う「少し前」がいつ頃なのか分からないけど、取材の一環で冒険者を調べていた時に、依頼を手伝う代わりに取材をさせて欲しいと頼んだ事は覚えている。


 たしか、パーティーメンバーの前衛がヒュドラの毒を受けて死に掛けていた時、解毒薬が効かない事に焦っていた神官の女性に「今の心境を話して欲しい」と頼んで、頬を叩かれたんだ。


「その男の話なら俺も知ってるぞ……そいつは、目の前で魔王軍の幹部が人間を食べていても、魔族のテーブルマナーを手帳に記録し続けた奴だ。子供が喰われても、『子供を食べる事に罪悪感はないのか?』と聞くだけで止めなかったって話だ。まともじゃねぇ…………」


 賊とはいえ、食物連鎖の事を正しく理解していない者の言葉は残酷だ。物理的に叩かれるよりも深い場所に痛みを届ける。


 これ以上の誤解が生まれる前に、ちゃんと話しておこう。


「お前達がどこの誰から俺の話を聞かされたのか知らないが、酷い誤解だ。俺は事前に取材の許可を取ってあるし、何が起きてもペンを止める事はないと事前に伝える常識人だ。血も涙もない怪物みたいな物言いは辞めてくれ。変な噂が広がって取材が出来なくなったら、人権侵害で訴えるぞ!?」


 これで誤解が解けるはずなのに、少女や賊の俺を見る眼が「噂通りの人物だ」と言いたそうな表情のまま変わらない。


 これは、物事を一つの視点からしか見れない人間の悪い例だ。自分の事しか見ていない、考えていない。


「とにかく、その子には手を出すな。俺の小説を盗んだその子には用がある。分かったら失せろ。生い立ち不足の賊に用はない」


 俺が求めているのは、少女が俺の小説を盗んだ理由。何に惹かれて手にしたのか、それが知りたい。中身の感想も、唯一の読者が死んでしまう前に聞いておきたい。


「……お前達、退くぞ。こいつとは関わらない方が良い」


 賊の男が仲間に撤退する指示を伝えると、少女が慌てた様子で賊の男の服を掴んで引き留める。


「おい、何をする。放せ、面倒はごめんだ」

「そっちが絡んで来たんでしょ!? 最後まで責任持って私を連れ去りなさいよ!」

「連れ去れだぁ!? 冗談だろ。数分前まで俺達を殺そうとした嬢ちゃんを、どうして俺達が庇わなきゃいけないんだ。さっさと放せっ!」


 服が伸びる程の力で賊を引き留める少女は、背後に居る俺をひと目見て、もう一度賊の男に視線を戻す。


「ねぇお願い! 殺そうとした事は謝るから、私を助けてよ!! あなたにも良心があるでしょ!? か弱い少女をあんな奴とここに置いて行ったら、きっと夢見が悪いわよ?」

「悪いな嬢ちゃん、あの先生は嬢ちゃんをご所望だ。人の役に立てて俺は幸せだし、そのおかげで今夜はぐっすり寝れる、心配無用ってやつさ。分かったら大人しくこの手を放しやがれ!」


 魔法が使えなければ、復讐の鬼と化した少女もただの少女。


 賊に手を払われた少女が地面に倒れ、服を整える賊を下から睨みつける。


「フゥ……盗むなら食べ物にしておくべきだったな? どこの誰が何の為に書いたか分からない本を盗むからこうなるんだ。恨むなら、自分を恨みな」


 賊の言葉を聞いた少女が、落した自分の剣に手を伸ばす。


「――おい」


 俺は、少女が手にした剣を足で踏み、鋭い目をした少女に横から忠告する。


「時間の無駄遣いは辞めろ。こいつ等は、君の両親の仇じゃないだろ」


 少女の事情は知らないけど、怒りに身を任せて剣を振る者の末路を、俺はよく知っている。


 少女を置いて無言で立ち去る賊も、これが最善の選択だったと頭では理解出来ているだろう。


「……頭を冷やせ。風邪を引く前に」


 正午に雪が降る事も多いこの季節は、少女の怒りも容易に冷やす。


「……剣、踏まないでよ。高かったんだから」


 足を退けると、少女が剣を鞘に納めてその場に座り込んだ。


「で、用って何なの?」

「その前に、場所を変えよう。ここは寒い」

「……寒さを感じるの?」

「俺にだって良心は在る」

「…………なら、ついでに暖かい食べ物も食べさせてよ」

「分かってる」


 ――俺は、俺の物語に興味を持ったかもしれない少女と出会う事が出来た。

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