第22話 いい一日

 それからどれだけの時間が過ぎたのだろう。日は傾いて、地平線の向こうに沈みかけている。私たちは波打ち際で砂のお城を作っていた。お城の地下にトンネルを掘りながら、未来はつげる。


「結局泳げるようにならなかったね」

「また来ればいいよ。泳げるようになるまで」

「それもやまやまだけど、海だけじゃなくて他の場所にも行ってみたいな」


 未来は切なげに笑った。残されている時間は少ないのだ。たったの一年しかない。私は未来に問いかける。


「どこ行きたい?」

「んー。いったん保留で。とりあえずは夏休みの課題を終わらせないと」

「課題?」


 課題なんて踏み倒せばいいと思う。残り少しの寿命をそんなのに使うなんて、もったいない。そう思っていると、未来はつぶやいた。


「課題なんてこれまでずっと嫌ってた。だからやらなくてもいいかも、とは思ってたんだ。でもやらないとなんだか落ち着かないんだよね。夏休みを楽しめない気がする」


 これまで十回も夏休みを経験したせいで、課題をこなさないと落ち着かない体質になってしまっているのだろう。それならさっさとこなしたほうがいいかもしれない。


 私は未来に提案する。


「だったら明日は二人で家で勉強しない?」

「二人でかぁ……。流石に姫野と加藤に悪いなぁ。実は昨日も今日も断ってたんだよね。遊ばない? って誘い」

「それなら別に四人でもいいよ」


 未来と二人きりじゃないのはちょっと嫌だけど、未来と一緒にいられないのはもっと嫌だ。でも未来は複雑な表情をしていた。


「大丈夫。言わないよ。付き合ってることなんて」

「そういうことじゃなくて……」


 未来は顎に手を当てて、じっと考え込んでいた。でもやがてなにかを決心したような力強い表情でつぶやく。


「いいよ。明日、勉強しよう。四人で」

「さっさと終わらせようね。課題」


 私が微笑むと、未来も小さく微笑んでくれた。さざ波の音が響く。美しい夕日が沈んでいく。潮の匂いはもう慣れたけれど、もうすぐ帰ることを思うとなんだか恋しかった。


「さて。立派な砂のお城もできたことだし、そろそろ帰ろっか。詩子」


 未来は私の手を引っ張って立ち上がった。私たちは二人で更衣室脇のシャワーに向かう。振り返ると二人分の足あとが並んでいた。でもその足跡もやがては消えてしまうのだろう。そう思うと、なんだか寂しい。


「ねぇ未来。二人で写真撮らない?」


 私はシャワーを浴びながら、同じく真水に打たれている未来に問いかける。


「着替えてからね。水着姿っていくら露出が少なくても恥ずかしいし」

「了解」

「にしても詩子が写真って珍しいね。嫌いじゃなかったの?」

「あんまり好きではないかな。プライベートじゃない学校の写真とかは。自分がいないところで自分の姿を親しくもない他人にみられるって、なんだか嫌じゃない?」

「ちょっとわかるかも。詩子らしいね」


 シャワーの真下、未来は目を閉じたまま、髪の毛を解いた。長い後ろ髪もその横顔もあまりにも綺麗で、胸が高鳴った。からかわれそうだから黙っておくけれど女神みたいだったのだ。


 シャワーを浴びるのを終えて、更衣室に入る。私たちはそれぞれパーテーションの向こう側で体を拭き、私服に着替える。化粧水で肌をケアしてから出ると、空気が抜けてふにゃふにゃになったイルカが青い椅子の上に横たわっていた。


「また使う日は来るのかな」

「きっと来るよ」


 私はそっと、イルカをカバンの中にしまった。


 荷物を持って、未来と二人で外に出る。そして砂のお城に近づいて、その両脇に二人でしゃがみ込んだ。


「こういう時に自撮り棒って欲しくなるよね。詩子は自撮りとかする?」

「しないよ。可愛いのは十二分に自覚してるから」

「うわー。女子に嫌われそうな発言」

「……実際、今の私のまま学校生活を送ったら嫌われるだろうね」


 そうつぶやくと、未来は寂しそうに私をみつめた。


「詩子も私と同じような感じなんだっけ」

「私はなんていうか、周りに求められる自分を演じてるうちに、気付けばそっちが本物にすり替わっちゃってたというか」

「そうなんだ。私は偽物だと自覚して、演じてたって感じかな」

「……夏休み終わったらどうしようかな」


 ぼうっと虚空をみつめていると未来は突然、スマホのシャッターを切った。そして私に画面をみせつけた。そこには周りに媚びた表情を浮かべていない、ありのままの私が写っていた。未来は満面の笑みでつげる。


「詩子が望むようにすればいいよ。でも私はこの詩子の方が好きかな。いや、でもそうなれってわけじゃないよ? 独り占めできるってのも悪くはないし。けどやっぱり窮屈な思いはして欲しくないかな……」

「的を射ない発言だね」

「コンプライアンスを重視した結果こうなったの!」


 未来は不服そうに私をみつめている。でも私がくすりと笑い声を漏らすと、柔らかな表情に変わった。


「そういうわけだからさ、私はどんな詩子でも味方だから」

「ありがとう。私も未来の味方だよ。というか、いきなり水中でエロいキスしてくる変態を受け入れられるのなんて、器の大きな私だけだよね」

「……忘れてよ」

「一生忘れられないよ。あんなの」

「……もう」


 未来は恥ずかしそうに頬を染めた。私はここぞとばかりにスマホのシャッターを切った。画面に可愛い未来が保存される。


「あ、勝手にとらないで」


 私が写真を見せびらかすと、未来はますます恥ずかしそうにしていた。


「な、なんでよりにもよってそんな表情を……」

「可愛かったからね。毎晩寝る前にはこの写真をみるようにするよ」

「他の人には見せないでよね」


 未来がジト目でみつめてくるから、私は真剣な表情で否定する。


「見せるわけないでしょ。私だけの宝物にするよ」

「……それなら、まぁ」


 未来は照れくさそうだけれど、嬉しそうに微笑んだ。


 そんなやり取りをしている間にも、砂浜は暗くなっていく。思ったよりもスマホのカメラの視野角が狭かったから、私たちは砂の城の前で、体を寄せ合った。私と未来との間で夕日が輝いている。


「はいチーズ」

「チーズって何なんだろうね?」

「そんなのどうでもいいから……。ほら、笑ってよ」

「はいはい」


 カシャリ、とシャッター音が鳴る瞬間に、私は未来の頬にキスをした。


「ちょっと?」


 未来はジト目で私をみつめてくる。けれどちょっとだけ嬉しそうだった。


「寝る前にみるつもりでしょ」


 ニヤニヤしながら視線を送ると、詩子は「そうですけど? なにか文句でも?」と唇を尖らせながら、スマホを胸に抱えていた。


「後で私にも送ってね」

「もちろん。二人の思い出だもん。今日はいい一日だったね」

「本当にね」


 私たちは手を繋いで、微笑み合いながら砂浜を歩いていく。薄暗い砂浜に人はおらず、閑散としていた。さざ波の寄せる音が遠くなっていく。いつか今日も思い出になってしまうのかな、なんて感傷に浸りながら、私たちは無人の小さな駅で電車が来るのを待った。

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