列車

車内は薄暗く外は曇天だった。件の男を殺めるために乗り込んだ列車で私は早まる殺意を抑えきれず苦心した。日が暮れる前にどうしても殺さなければならなかったが、鄙びた田園の中を列車は走り続けていた。車両は二等だったが対面式の座席だった。私は窓側に腰かけていた。

途上、人気のない停車場に止まった。南蛮の女が乗り込んできて、私の前で荷物を解き始めた。背中には赤子が背負われていた。

「よろしいかしら、相席」

女は訛りのない言葉でそう言った。問題ないことを伝えたが、女は困ったような顔でこちらを見下ろすばかりで腰を下ろそうとしない。どうしたものかと見守っているとと、「窓側がよいのです」と言って私に席を譲るように迫った。私は不服であったが、ちょうど通りかかった車掌の男がこちらを睨んで大きな咳ばらいをしたので、仕方なく席を譲った。女は赤子を前に抱えて進行方向と反対側を向いて窓側に腰を下ろし、向かいの席に行李を置いた。つまらないので、別の席に移ろうと思ったが、どこも満席だったので、仕方なく私は赤子の隣の席に座ったままだった。

大きな隧道を抜けると海が見えた。どんよりとした空の下で鈍色にくすんでいた。遠くに一艘の船が見えた。浜辺には瓦礫が積み重なっていた。私は海中に件の男の姿を夢想した。海水に溺れる男の苦悶の表情を思い浮かべてそれでも憎しみは満たされなかった。徹底的に破壊しなければならないと思いながら、窓の外を通路側の席から眺めていた。

「つまらない人ですね」

女はわざとらしい声を出して席を立ち、抱きかかえた赤子を私に押し付けて、通路を抜けていった。二度と戻ってこないだろうと思った。なるほど私はつまらない人間だと知ったので、件の男を殺したら一緒に死んでしまおうと思った。赤子は殊勝にも泣きも叫びもせず私の腕の中で眠っていた。代わりに、隣に残された女の行李の中から何かしらの音がした。行李を開き中を探るといくつかの紙幣が手に触れたので何枚かを懐に収めることにした。すると先ほどまで黙っていた赤子がにわかに喚き始めた。仕方なく言葉をかけてやると、すぐに泣き止んだが、今度は意味の分からぬ言葉を呟き始めた。女が南蛮なのだから赤子も異邦のものであることに違和はない。しかしおかしなことに私はその言葉をだんだんと理解できるようになっていた。

「諸君はどこに行く?」

赤子は確かにそう言った。いつのまにか窓の外には南洋の国の景色に変わっていた。赤子は、かつて南洋で買った女との間にできた子である気がしてきた。そうなのかと尋ねると、赤子は不敵な笑みを浮かべるだけで何も答えない。それどこどろか、どんどんと醜い面へと変わっていき、しまいにはほとんど中年の装いで、おまけに痰を吐こうとしたので、私は車窓を引き揚げ隙間から赤子を放り投げた。大きな音が聞こえたような気がした。車内には列車の上げる粉塵が忍び込んで何人かが咽あがった。煙にむせびながら、いなくなったはずの女が戻ってきて私を睨んでいた。しかしそれは女ではなく、私が殺そうとした件の男だったが、それも見間違いで、いまは若い警官の男になって、赤子の行方を私に尋ねた。

「投げてしまいました」

「そうですか」と警官は呟いたかと思うと「この男が赤子を投げました」と大音声で車内いっぱいに聞こえるように叫んでみせた。

「なんということだ」

「恐ろしい」

「ここでみな死ぬのです」

車内は喧騒に包まれた。私は詫びもかねて死ぬことにした。窓から身を投げようとすると腕をつかまれて、見ればそれは警官でも件の男でもなく先ほどの女だった。赤子の顛末を話すと、女は興味のなさそうな表情で「そうですか」と言っただけでもつまらなさそうにしていた。

「よいのですが、あなたのせがれでしょう」

「あれは、困ったものでした」

私はそのとき女を殺そうと思った。赤子が不憫だと思った。袖口から手刀を抜き出して女を刺したが感触はなかった。気づけば女はいなかった。車内には私だけだった。窓の外を見ると、黒く厚い高層雲が列車を追いかけるように後ろから迫っていた。

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