餅つき

 餅をついている。知らない男が捏ねて、わたしが杵を振り下ろす。蒸しあがった餅米のいいにおいがあたりに広がる。この匂いが好きだから、餅が好きだった。

 あたりを大勢の人が取り囲んで、餅つきを見ていた。わたしは杵を振り下ろすしぐさをわざと大げさに見せたりした。そのたびに観客から歓声が上がった。

「やはり今年のつき手は違うな」

「あの腕っぷしを見てみろ、本物だ」

 わたしはますます大仰に餅をつく。表情を緩めることなく、真剣な表情でつく。鬼の形相でつく。そうすると評判がよいことを知っていた。人々がわたしを口々に褒めそやす。女の声も混じっていた。良いと思った。

 片膝をついて餅を捏ねる相方の男は、しかし、面白くない様子だった。わたしの浮ついた心持ちを見抜いていた。男はとうとう立ち上がった。わたしは振り上げた杵を持て余し、少し体勢を崩した。つき手を変われと、男は目も合わせずに口にした。わたしは不満だったが、仕方なく杵を男に譲り渡し、餅を捏ねる立場に転じた。男はわたし以上にわざとらしく大きく杵を振りかぶり、餅に痛烈な打撃を振り下ろしたが、わたしのときと同じような歓声はあがらなかった。男が不満を押し殺して餅をつき続けるのを、わたしはいちばん近くで見ていた。男が杵を持ち上げて、わたしは餅を捏ねる。男が餅をつく。わたしは餅を捏ねる。男がつく。わたしが捏ねる。

 いつのまにか捏ねる作業にも慣れていた。これも悪くないと思うようになっていた。餅を捏ねる感覚は、なんだか懐かしい。忘れていたけれど、わたしは幼いころから餅を捏ねてきたのだと気づいた。そのことを、男にだけ伝わるような小さな声で呟いたが、男は無言で餅をつき続けた。だんだんと、見物人たちから歓声が上がるようになっていた。男の餅つきも様になっていた。

 そのあたりから、わたしは変な感じを覚えていた。眠りに落ちるときのように、意識されることのない時間の連続の中で、いつのまにか持ち合わせていた感じであった。わたしの中にそれが芽生えてから、何年もの時間が流れた。あるいはそれは一瞬だったのかもしれない。男が餅をつく。わたしは餅を捏ねる。男が餅をつく。次第に、その違和は、ある疑念の確信へと変わっていく。

 わたしが捏ねているものは、餅ではなかった。人の肉だった。わたしは恐ろしくなって、捏ねる手を止めた。男が餅をついたが、誰も餅を捏ねない。ざわめきが起こり、男が何か文句を言った。答えるかわりに、わたしは降り下ろされた杵を掴んで、男からそれを奪い取った。杵を失った男は、何も言わずわたしを見つめていた。わたしは今度は全力で振りかぶり、杵を男の頭上に振り下ろした。鈍い音とともに、男はその場に倒れた。あたりの見物人たちは悲鳴を上げた。これは倫理的に許されない行為だと、恰幅のよい男が声高に叫んでいたりした。

 ざわめきはとまることがなかった。わたしは餅を早く食べたいと思っていた。せっかく作った餅だから、冷めないうちに食べないといけなかった。同じことを、群衆の中の誰かが言った。子どもの声だった。そうだそうだと他の誰かが言った。わたしの凶行に文句を垂れていた大人たちも、お腹が空いたのだろうか、はやく餅をよこせと論調を変えた。わたしは人々につきたての餅をふるまうことにした。トレーに盛りつけた餅に醤油をたらす者もいれば、みそ汁のうつわに入れてお雑煮にする者もいた。それぞれの楽しみ方があった。おいしい、おいしい。やはり正月はお持ちだね。嬉しい言葉が飛び交って、わたしはとても嬉しく思った。あなたも召し上がりなさいと、老人がわたしに勧めた。口にした餅は熱くてうまく食べられなかったが、嚥下するとそれは女のような味がした。

 人々は餅を食しながら、酔いもあったのか、しだいに踊りはじめた。はじめはひとりだけだったが、しだいに輪が広がり、いつのまにか老若男女あまねく人々が踊っていた。

「お餅だお餅だほーれほれ!」

 どこからか掛け声が起こる。

「お餅だお餅だほーれほれ!」

 野良猫たちも踊りだす。

「お餅だお餅だほーれほれ!」

 先ほどわたしが殴り殺した男も踊っていた。

 わたしはそれを温かい目で見守りながら、老人たちが喉に餅を詰まらせないか心配した。

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