1 - 2 響野

 気付けば終電がなくなっていた。バイクの後ろに清一を乗せて、彼を自宅まで送った。同居している育ての親は今夜は留守のようだった。

「響野くん、あの店の話も記事にするん?」

「ああ、まあ、たぶん」

「俺が言うのもアレかもしれんけど、フェイクっていうか……そこそこ嘘入れて書いた方がええと思うよ」

「分かってる」

 オートロック付きマンションの入り口で、清一は少し神妙な顔をして言った。

 響野は「分かってる」と繰り返し、

「まあ、おまえに謎解きしてもらうと全部『井戸と桜』になっちゃうからさ。そこはそれ、多少は演出入れないと編集長にまたかよ!って言われるし、俺も」

 冗談めかした台詞に「せやな」と聖一は笑った。

「ほな、おやすみ、響野くん」

「ああ。今度はふつうに遊ぼうぜ」

「うん」

 年若い友人がエレベーターホールに消えて行くのを見送り、響野は小さく息を吐いた。さて、今回はどういう『演出』を入れようか。


 関西圏で仕事をしていた頃、響野は『週刊ファイヤー』という雑誌の記者だった。『週刊』と冠してはいるものの実際は不定期刊行の不審なシロモノで、大昔に人気を博したというカストリ雑誌に近い性質の雑誌だった。当時の社長が思い付きで始めたという出版社は驚くほどの弱小企業で、社長は他にも事業を色々やっている──思えば社長本人もカストリ雑誌と同じぐらい胡乱な存在だった。社長が手がけている他の事業の売り上げだけで維持されている出版社は色々な書籍や雑誌を刊行していたが、中でも、比較的売れているのが週刊ファイヤーだった。響野は幾つもの名義を使い分けて様々な記事を書いたが、得意分野はいわゆる反社会勢力に関する記事だった。響野憲造は独自の取材ルートを持っていた。だから、反社会勢力についての記事を書く際には本名を使った。間違いなく取材相手のチェックが入るからだ。余計なことを書くなと詰められたこともあるし、法律が変わって色々面倒臭いから世間の印象が良くなるような内容を載せてくれと袖の下を渡されたこともある。響野は、彼らについて特に本当のことを書く必要があるとは思っていなかったし、週刊ファイヤーのような胡散臭い雑誌を好んで読む読者もまた真実を必要とはしていなかった。面白ければいいのだ。自分が面白いと思う記事だけを書いた。別の名前では風俗店の体験レポートや、素人(ということになっている)女性の性体験についての記事、更には根も葉もない怪奇現象や幽霊についての記事も書いた。なんでも書いた。社長が編集長を兼任していたのだが、ダメ出しをされたことはほとんどなかった。「おもろければええんや」が彼の口癖だった。

 短大卒の響野が入社した時点で、会社は傾いていた。傾いていたが、仕事は楽しかった。入社してから4年で会社は倒れた。倒れるという予告を受けていたので、響野を含めた社員たちは全員転職活動をしていた。次の職場も決まった──そんなタイミングで、突然のミーティングが行われた。

 小さな自社ビルの2階にある会議室に社員全員を集めて、社長が言った。この会社を丸ごと買い取りたいという企業が現れた、というのである。関東に本社を持つ有名出版社で、社員たちは皆俄には信じ難いという顔をしていた。

「行き場が決まっとるやつはそっち行け。決まっとらんやつは、東京に行ったらええ」

 社長は関西に居残るという話だった。出版業以外にも色々と忙しい人だ。そう簡単には移動できまい。

 響野は、一応は次の仕事の内定を貰っていたのだが、社長の言葉を聞いて気が変わった。


「東京でも『週刊ファイヤー』やらしてくれるらしいで」


 本気か? とは思ったが、響野はこの胡乱な社長と共に作り上げた胡乱な雑誌を気に入っていた。雑誌の性質を変えずに続けさせてくれるというのなら──その船に乗らない手はない。


 斯くして響野と数名の同僚たちは東京に本社がある大手出版社・鵬額ほうがく社に移籍した。15階建の巨大なビル。無数にあるエレベーター。社内には広い食堂もある。元『週刊ファイヤー』の編集部に所属していたメンバーと、一般書籍の編集部に所属していた面々は、鵬額社文芸編集部の一角に作られた『元週刊ファイヤー編集部』に十把一絡げに放り込まれた。週刊ファイヤーの名前は生き残るが、雑誌という形式は失われる。響野たちの仕事は、鵬額社が刊行している月刊誌や週刊誌の片隅に乗る『息抜き』の記事を書くことだった。仕事の内容に不満を抱いて退職する者もいた。関西に戻る者も。だが、響野は鵬額社に居座った。雑誌を出せないのは残念だが、元週刊ファイヤーの切込隊長としてやれることをやってやろうと思ったのだ。自身の書いた記事が載った雑誌はすべて以前の社長に送った。社長はその度に「もっと派手にやれ」「読んだ人間が『こいつにはもう書かせたくない』と思うぐらい書け」と電話を寄越してきた。

 鵬額社で働くようになって意外に思ったのは、書籍は純文学寄り、雑誌も全体的に硬派な内容が多い会社であるにも関わらず、心霊関係や、反社会勢力についての情報提供が多い、ということだった。

「こういうの、送られてきても困ってたんだけどね」

 と月刊誌の編集長と元週刊ファイヤー編集部の見守り役を兼ねている社員・草凪くさなぎは言った。

「きみらファイヤー組が来てくれたお陰で助かるよ。得意だろ? 調査とか」

 草凪の態度に立腹して辞表を出した者も少なからずいる。しかし響野は、草凪が雑に投げて寄越す「幽霊を見た」「反社会勢力がクスリを売り捌いている現場を見た」という情報を丹念に調べた。調べ上げた上で記事にした。本当のことを書いた。だが、草凪は、本当のことは書くなと言う。

「分かってると思うけど、きみらに頼んでるのは賑やかしの記事だから。別に事実である必要はないんだよ」

 ならば、虚実を混ぜこぜにしてしまえばいい。本当のことばかり書いてヤクザに叱られていた頃に較べればよっぽど気楽だ。筆名を使って記事を書いた。だが、文体で響野であるということを見抜いて、連絡を寄越してくるヤクザもいた。

「らしくない仕事しとんな」

 関西時代に知り合ったヤクザから電話がかかってきた時には笑ってしまった。

「なんで分かったんすか?」

「匂うんや、おまえの文章」

「臭いです?」

「ああ、臭いなぁ。ほんまのこと書いとった方がおもろかったで」

 本当のことは、個人的な日記にしたためてある。いつか──機会があったら、全部まとめて表に出すために。

 そういった理由で、響野憲造はXビルに出る幽霊の調査を行うことになったのだった。

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