第19話 喧嘩

「助けるから……!」


 メイネがルプスに手を伸ばす。


 しかし触れた時のことを思い出してその手を引いた。


 また脳内を掻き回される様な苦痛を味わうのは御免だ。


「これなら、どう!」


 メイネが二又の槍を振り下ろした。


 真っ白な人の形をした何かとルプスを繋ぐ白い管。


 それを断ち切ろうとしたが、


「ッ!?」


 それに触れることが出来なかった。


 白い管の表面に張られた障壁に弾かれてしまう。


「なんなの、これっ!」


 何度も何度も槍を叩きつけるが、管は切れない。


 硬質なものを叩き続けた反動で、メイネの手のひらが腫れて擦り切れていく。


「ちょっとロトナ! 落ち着きなさい!」


 魔力欠乏と疲労、傷だらけの体。


 アニカは体を動かすのも辛かったが、見ていられずにメイネの腕を押さえた。


「うるさいっ!」


「きゃっ!?」


 メイネはその手を振り払った。


 バランスを崩したアニカが尻もちをつく。


 アニカの悲鳴でメイネが我に返り、互いに戸惑った二人の視線が交差する。


「ご、ごめん……」


 気まずそうに謝るメイネ。


「いいわよ、別に」


 アニカはさっと立ち上がり、尻についた汚れを払う。


「ルーちゃん? が繋がれてるその白い人。さっきの木みたいな奴が天使って呼んでたわ。それが何かは分からないけれど、もう少し冷静に考えましょう」


 木人の言葉には知らない単語が多かった。


 だから慎重に整理した方がいいと告げる。


「サトギリ、天使、接続者、歪められた魂。考えたって、わからないよ」


 メイネが木人の言葉を思い返すが、それに関しての知識が全くない。


 そんな状態で考えたところで答えが出せる筈もない。


「サトギリは、魔戦狼人ワーウルフの村を襲ったか襲わせた奴の名前よね。後は……そうね、わからないことばかりだわ」


 ただ、とアニカは続ける。


「プテラのことを『結果として寄ってくる』って言っていたわよね。なら天使と接続者は、ホロウを出現させる原因の筈。下手に手を出したら何が起こるかわからないわ」


 木人の言葉からできる限りの推察を立てる。


 触れただけでメイネの体に異変が起きたことからも、迂闊なことは避けるべきだと結論付けた。


「じゃあ見捨てろって!?」


 メイネが怒鳴る。


「そうじゃない! 一旦戻って報告したら何か分かるかもしれない! それからでも遅くないって……」


「遅いよ! その間にあいつがルーちゃんに何かするかもしれない! こんな状態が続いたら死んじゃうかもしれない! 今なんとかしなきゃ助けられない!」


「ならロトナの手が動かなくなるまで叩き続けるの!? 今助ける方法が分からないんじゃない!」


「分からなくてもやるしかないじゃん! ……そんなにのんびりやりたいなら一人で帰ってよ! 私が何とか……!?」


 互いの主張がぶつかり、言い合いが加速する。


 そしてメイネが何か言いかけた時、アニカがその頬をはたいた。


「何でそうなるのよ!」


 アニカだってルプスを助けたい。


 けれどメイネのことも心配なのだ。


 だから、メイネが引き離す様な言葉を言い切る前に遮ってしまった。


 メイネは赤くなった頬に手を添える。


 そしてアニカを睨んだ。


「……どっか行ってよ……邪魔だから」


 メイネの声。


 熱くなっていたアニカの心に、すっと棘を刺す凍てついた声音。


 メイネを叩いた手を押さえていたアニカが目を見開く。


「ごめんなさい……違……」


 メイネのことを想って話していた。


 それなのに伝え方を間違ってしまった。


 叩いたのはアニカの筈なのに、その手が痛くて痛くて堪らない。


 棘が深くへ食い込み、やがて二人の築いてきた時間さえも両断してしまう様な気がして、怖かった。


「もういいから!」


 アニカの言葉に被せて、メイネが吐き捨てる。


「ルーちゃんのことは私が助けるから! そっちも好きな様にしなよ!」


 白い光が照らす洞窟の中に、メイネの声がこだまする。


 二人の間を沈黙が満たし、ルプスの口から溢れる白いドロドロしたものが床に落ちるびちゃびちゃとした音だけが響く。


「……わかったわ」


 沈黙を破ったのはアニカの声だった。


 俯きながらも、何かを決心した。


「けれど忘れないで。私だってその子を助けたいと思ってるから」


 アニカがメイネに背を向け、去っていく。


 メイネからは見えなくなったアニカの唇がきつく引結ばれていた。


 メイネはボロボロで弱々しい背中をじっと見つめていた。


 やがてアニカの姿が小さくなり、見えなくなった。


 その足音も聞こえなくなる。


「ごめんね、絶対、また来るから」


 メイネが呟く。


 まさに今、ルプスを助けると言って散々アニカと仲違いしていた筈だ。


 しかしメイネは幼馴染に誓いを立てて。


 洞窟を抜けた。


「……」


 入り口のすぐ側に、サブレとバリバリが着けていた筈の鞍とサドルバックが転がっていた。


 木人が逃げる際にアンデットを嗾けたのだろう。


 メイネはその側に座り、そっと鞍に触れた。






 それから数週間後。


 カノンにて、突然人がアンデット化する事件が起こり始めた。


 アンデット化した者には生前の記憶も無く、身近な人物すらも躊躇いなく殺めていった。


 一度のアンデット化事件で複数の死者が出る。


 領民はいつ誰がアンデット化するか分からぬ恐怖から疑心暗鬼に陥った。


 言い伝えにある悪しき死霊魔術師の再来だと騒ぎたてる者までおり、カノンには殺伐とした空気が流れていた。


 アニカは、増えるプテラ災害とアンデット化事件に奔走した。


 アニカが戦闘手段を手にしていなければ、とてもではないがカノンの戦力では対応しきれなかっただろう。


 更に洞窟での一件もある。


 時間を見つけては解決の糸口を探った。


 父であるリキに聞いても、サトギリという名や木人、天使については心当たりがないとのことだった。


 事態が一向に好転しない中、プテラ災害とアンデット化事件の双方に対応するため、ウェルス王国がある人物をカノンに派遣した。


「これが、アンデット化の原因だと?」


 銀の髪に紺の髪飾りを付けた女、イルティアが卓に提示された錠剤を訝しげに見る。


「ああ、うちの兵士が不審な人物を取り押さえたところ、この薬を持っていた。持っていた奴は自害しやがったが、死刑を控えた罪人に飲ませてみりゃ、アンデット化したって訳だ」


 カノンの領主、リキが説明する。


 ウェルス王国には懲役刑が存在せず、重罪を犯した者は処刑される。


 事態は急を要するため、やむ無く強行策をとった様だ。


「カノンへ出入りする人間の所持品に関しては、全て確認させてる。だがアンデット化は収まらねえ。これを持ち込む経路が不明ってのが現状でな……」


 苛立っているのか人差し指でトントンと卓を叩く。


 では犯人はどうやって薬を持ち込んでいるのか。


 考えれども答えはです、その間にも新たな被害が出る。


「薬が持ち込まれていないにも関わらずアンデット化が続くのであれば、薬自体がフェイクの可能性は?」


 イルティアが私見を述べる。


 アンデット化させる薬は存在するが、今カノンで起きているアンデット化はそれとは別の方法で行われているんじゃないか。


 そう考えば、一応の説明はつくが。


「あ? だとしたら薬に目を向けさせる理由は何だ? んな回りくどいことする必要がどこにある?」


 そんなことをしなくても、残念ながらカノンは犯人の痕跡を掴めていない。


 それ程巧妙な手口を思い付くのであれば、態々薬を作る意味がリキにはわからない。


「それは、私にも分かりかねるが……」


 自分から言い出したイルティアだが、言葉を濁す。


 アンデット化事件ときてイルティアの頭に浮かぶ犯人は一人。


 四年前に出会った魔戦狼人ワーウルフの少女だ。


 だからこそ、アンデット化させる薬、というものの存在に違和感を覚えた。


 彼女が言い伝えに残る死霊魔術師だとするなら、恐らくそんなものは必要ない。


「だがその視点は無かった。頭ん中に入れとくか」


 リキも手詰まりだったので、少しでも可能性があるなら考える必要がある。


「お前さんはこの領で好きに動いてくれて構わない。そういう条件で来てもらったからな」


「わかった。何か分かれば伝える」


「よろしく頼む」


 リキの言葉を聞いて、イルティアが部屋を出て行った。






 カノンの街の路地裏。


 陽も差し込まぬ暗がりを、フードを目深に被ったローブ姿の人物が歩く。


 その人物の背後には、兵士が倒れていた。


「なるほどね」


 兵士から領内の情報を吐き出させたローブ姿の人物、メイネが呟く。


 警戒が高まり、緊張した雰囲気のカノン。


 原因は領民がアンデット化してしまうという事件にあった様だ。


 あらかた把握したメイネ。


「アンデット化の薬、所持品検査にも引っかからないルート……」


 ぽつぽつと声に出して、整理する。


 そして考えていくと怪しい場所に一つ、心当たりがあった。


「教会……」


 メイネが瞳に決意を宿し、教会へ向かおうとすると、


「ねぇ、ちょっといいかな?」


 背後から声をかけられた。


 メイネが警戒し、跳んで距離を取りながら振り向いた。


 そして声をかけてきた人物を見て、背筋が凍る。


 本能が危険だと訴えてきた。


 鼓動がうるさい。


 一歩間違えれば死ぬかもしれない。


 以前とは違い、今のメイネはここで死ぬわけにはいかない。


 戦う理由があるから。


 だというのに、目の前の存在はそれを許してくれるか分からない。


 黒い布で目を隠した、色素の薄い金髪の少女。


 黒の首飾りに肩の空いた白いドレス。


 腹部にはたれの長いリボンが付いており、高さのあるヒールが足元を上品に飾り立てる。


 触れれば壊れてしまいそうな、儚い印象の少女。


 その後方には頭にバンダナを巻いた栗色の髪の女が控える。


 ワンショルダーで胸元のみを覆うインナーに、バックルの付いた指抜きグローブ。


 だぼっとしたハーフパンツに革のブーツを履いた、露出の多い粗野な女だった。


 メイネが危険視しているのは、その女たちの魂の強大さ故だ。


 粗野な女のそれは、アイアール大森林の奥地で出会ったシュレヴにも匹敵する程。


 明らかに普通の人間ではなかった。


 しかし、更に警戒しなければならないのは少女の方だった。


 強大でありながら洗練され、一つ上の次元の生き物だと言われても納得できてしまうくらいに格の違う魂の輝き。


 メイネは、シュレヴよりも格上に感じる魂なんてこの世に存在しないとさえ思っていた。


 だが、今それが目の前に立っている。


 更におかしなことに、少女からはシュレヴや粗野な女と同格の魂が複数感じられる。


 戦いになれば、確実に殺される。


 己の一挙手一投足が、死に直結すると考えなければならない。


「……なに?」


 メイネが、いつ動かれても反応できる様に強い眼差しを向けて返事をする。


「ふふっ、そんなに警戒しなくていいのに」


 まるで見えているかの様に、目隠しした少女が微笑む。


 薄い唇とキュッと上がった口角。


 形よく整った白い歯。


 口元だけでも目を惹きつける可憐な笑みだった。


「私はアリス。でこの子はバリヒネ。聞きたいんだけど、君が見たことのある一番強い魔物ってどんな感じだった?」


 少女の方がアリスで、栗色の髪の女はバリヒネというらしい。


 自己紹介を終えると、何とも曖昧な質問をした。


 それを受けたメイネが、少女を指差す。


「あなた」


 すると少女は目を丸くした。


「確かに、母ちゃんよりやべぇ訳ねぇな!」


 バリヒネが腹を抱えて笑う。


「そんなに笑わなくてもいいでしょ! それに私は魔物じゃない!」


 笑われたアリスは頬を膨らませる。


 程よい弾力の肌が朱に染まっていた。


 こほんと咳払いをして、気持ちを切り替える。


「質問の仕方を変えよっか。バリヒネと同じくらいの強さの魔物を見たことある?」


 メイネがチラッとバリヒネに目を向ける。


「それを知って、どうするの?」


 シュレヴとはほんの小一時間会話をしただけの仲だが、もしアリアたちが命を狙っているなら教えたくはなかった。


「助けてってお願いしようと思って」


 アリスに取り繕った様子はない。


 しかしメイネは目を細めて、探るように見つめる。


 とても助けが必要には見えなかった。


 この二人なら、何でも解決できてしまいそうだから。


「何から?」


「うーん、そう言われると難しいかな」


 アリスが人差し指を顎に当てて考えている。


「あ、でもなら答えられるよ」


 どうすればメイネに納得してもらえるかと、答えられることを探していた様だ。


 何から助けて欲しいかではなく、何を助けて欲しいのか。


「私ね、好きな男の子がいるの。誰かの為に戦って片腕を失くしちゃうくらいに無茶するから、少しでも力になりたいんだ」


 うっとりと語るアリスは何とも幸せそうで、年相応に恋する乙女そのものだった。


 メイネはぽかんと口が半開きになる。


 こんな時に恋バナをされるとも思っていなかったし、恋心というのもよく分からなかったから。


「君、なんていうの?」


「ロトナ」


「嘘」


「……メイネ」


 どこかでした様なやり取り。


 身を隠したくなるくらい危険な存在に限って、嘘を看破してくる。


「メイネは好きな子、いないの?」


 アリスは心の底から楽しそうだ。


「そういうの、よくわかんない」


「えー、そういう感じ?」


 メイネの答えが面白くなかったのか、アリスの眉が下がる。


「じゃ、同じ人好きになっちゃだめだよ?」


「絶対ないから大丈夫」


「ほんとかな〜?」


 悪戯っぽく言うアリスに、メイネが即答する。


 しかし、アリスは自分の好きな男の子の魅力を相当評価している様で、心配そうにメイネを見定める。


 このやり取りをしているうちに肩の力が抜けたメイネ。


 何だかアリスの視線が鬱陶しいので、話を逸らす為にシュレヴのことを教えてもいいんじゃないかと思い始めていた。


「さっきの話、シュレヴっていう首が三つある狼がそっちの女の人くらい強そうだったよ」


 メイネがバリヒネを見る。


「シュレヴ!? シュレヴがいるんだ! 早く会いたいな〜。今どこにいるか知ってる?」


「私が見たのは西の森の奥だよ」


「西の森……ね。わかったわ、ありがとう!」


 そういうと、アリスとバリヒネはさっさと行ってしまった。


「変な人たち……」


 メイネが路地裏にぽつんと取り残されて呟いた。

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