第41話 あの日に焼き付いた
一方、ライリースは宿に戻っていた。
昨晩寝れずにいたアルシーヌは、嘘ではなくしっかり昼寝をきめこんでいた。
相変わらず物音がしても起きない様子に、ライリースはやや呆れて隣のベットに座った。
「まあ…そろそろ話してくれるよな」
「別に話しても良いぜ」
返事が返ってくるとは思ってなかったせいでライリースは一瞬言葉に詰まった。
「え、ああ」
ベットに起き上がり、ふあーっと豪快に欠伸をして背中を伸ばす様子は、まるで日向で昼寝をしていた猫のようだ。
「…なんか街中であったのか?」
ライリースは街中で出会った男の話をアルシーヌにした。
「南の国の出身だと思う」
そう言って組紐の話をした。
「…まさか…」
そんなはずはない。でも、ライリースと同じ位の長身で今この街にいる南の人間に限ると、可能性は極めて高い気がした。
それに…。
「なんかライリースと合わなさそうだしな、性格」
似てるから。
「は?」
「いや、なんでもない」
アルシーヌはうーんと唸ると、
「えーっと、何から話したら良いのか…」
宙に目線を浮かせて、うまく顛末を伝えられるように、言葉を探す。
「ライリースと出会った時から一年ちょっと前の話からなんだけど…」
アルシーヌはゆっくりと話はじめた。
ちょうど太陽が水平線に隠れて行くのと、同じくらいのゆっくりさで始まった。
自分が生まれた時には、既に養子として五つ年上の兄は父の子供になっていたから、それが問題だなんて、人間関係の何がしが理解できるまでは不思議で仕方がなかった。
そもそも養子といっても血の繋がりのある従兄妹であったし、家族は仲が良かったのだ。
しかし逆に王家の血筋である事が家臣達の不和の原因である事を理解できる年齢になっても、そのせいで自分達家族が不仲になる事はなかった。
物心付く前に母は亡くなって、それ以来、父はたった二人の肉親をそれはそれは大事にしてくれた。
父が健勝である中、王位など何十年先の問題であり、たとえその時が訪れたとしても、二人で背負っていくものだと疑ってさえいなかった。
少なくとも自分はそう思っていた。
レンがどう思っていたのかは今となっては分からないけれど。
あの日もレンの左右の腕である双子に竜に乗せろとせがんで、結局レンに乗せてもらって、教育係の目を盗んで竜の神殿まで遠乗りしていた。
いつものように…。
「また女官長に怒られるぞ」
「怒られたら、うまくごまかしてよ」
レンは、眉間に皺を寄せた女官長を思い出して、自分も眉を寄せる。
「…断る」
「なんでだよ」
「彼女は苦手だ。それにこの場合は彼女の言う事の方が正しいだろうからな」
「そこをなんとか」
「ならないだろう。素直に謝れ」
「ちぇー…」
荒野の多い南の国は、広大で雄大な褐色の大地が広がっている。
住みやすい土地が少ない故に、人々は逞しく大地に根付いて生きているようにも思えた。
強い日差しが降り注いで、アルシーヌは目を細めた。
「これだけ外を出歩いているのにお前は焼けないな」
「…まあね」
アルシーヌが日に焼けないのは北の王の血を色濃く受け継いでいるからだ。
それが喜ばしい事なのかどうか、やや微妙な気持ちに陥った。
「まあ、西や東の国では色白は多少の難を隠すと言うらしいから良かった良かった」
「なんだそれ。……レンが…本当の兄貴なら何も問題なくて、揉めたりしなかったのにな」
「…」
「そしたらレンが王太子で、私は適当な貴族か将軍の家の息子とかと婚儀を挙げるか、ああ、西辺りに年の近い王子がいたはずだから縁談が持ち上がったかもしれないな」
「……そうだな」
アルシーヌは背中に感じるレンの体温に、ゴンっと頭をぶつけるように顔を上げて見上げた。
「そしたら淋しい?オニイサマとしては」
「さあ。どうだろうな」
曖昧に笑ったレンにアルシーヌは不満そうに目を細めると、
「上辺だけでも淋しがれって!」
竜の手綱をえいっとひっぱった。
「っ!」
驚いた飛竜は空に一声嘶くと、羽をすぼめて急降下を始める。
レンは慌てて手綱を握りなおした。
両手で巧く捌くと飛流は宙で一回転する。まるで木の葉が風に舞うようにヒラリと回転して、大きな羽をバサッと広げると、元の飛行に戻った。
レンはほぅっと一息ついてアルシーヌを呆れた眼差しで見た。
「…お前…」
「凄かったな!」
レンの努力の横で「わーっ」だの「キャーッ」だの楽しそうに盛り上がっていたアルシーヌは満足そうに笑った。
そんなアルシーヌを見てレンは小さく笑みを溢した。
「…そんなじゃじゃ馬では、嫁の貰い手なんかないな」
それから二人は、夕刻にこっそりバルコニーから帰城した。
将軍達の軍議と、別室では文官たちの会議が行われている事は知っていた。
父から宰相と長老を交えて晩餐を催すから、レンと二人で参加するように言われていたからだ。
武官代表の宰相と、文官代表の長老に挟まれての食事では、美味しい料理も進まないのではないかと内心思ったが、責務と言われてしまえば仕方がない。
「アルシーヌ様…また抜け出されて…。嘆かわしいことこの上ございませんわ」
「ゴメンナサイ」
反省の色を感じられない、反射的に出たアルシーヌの謝罪に、女官長は肩を怒らせ両の手を腰に当ててアルシーヌをジロリと見た。
「良いですか、女性たるもの慎ましく室内で繕い物などを趣味として心得るものです。殿方のような格好で外を飛んで歩くなど、言語同断!」
くどくどと続く説教を受けながらアルシーヌは晩餐用に白いドレスに着替えさせられた。
一人の若い女官がアルシーヌの髪に櫛を通しながら笑って言った。
「女官長様、それくらいで良いではないですか。そのように怒られては、姫様の表情が曇ってうまくお化粧が出来ませんわ」
「この方にはこれくらいが丁度良いのです。どうせ少しも堪えやしないのですから」
「ごめんって!」
「どうせなら、もうしないとお約束くださいまし」
「うー…」
「姫様、嘘でも言っておいたらよろしいのに」
そう言われて、尚、約束の出来ないアルシーヌに、女官長はやれやれと弛く首を横に振った。
「…まあ、嘘のつけない所は姫様の美徳です。今日の所はここまでといたしましょう」
そうニコリともせず女官長は戸口を見た。
「準備出来たか?」
他の女官に通されたのだろう。礼装に身を包んだレンが腕を組んで立っていた。
軽く肩を壁に預けて微かに微笑んだその姿を見た女官達が、うっすらと頬を薄紅に染めた。
「ああ、出来た!」
アルシーヌはもう面倒だとばかりにレンの方へと駆け寄る。
「あ、姫様!髪飾りがまだ…」
慌ててアルシーヌを追いかけて来る女官の手から銀細工の髪飾りをすっと取り上げ、レンは流れる様な仕草でアルシーヌの髪に止めた。
「少し淋しいな…」
アルシーヌの装飾品を見てそう呟くと、レンは花瓶に生けてあった朝摘みの紅い薔薇を一輪、短剣で適当な長さに切って、髪飾りに合わせて上手に髪に挿した。
「さすがレン殿下!鮮やかな紅が良く映えてますわ」
レンは女官に微笑んで、アルシーヌの手を取った。
「行こう。父上がお待ちだ」
まるでダンスをリードするみたいに、流れるような滑らかさでレンはアルシーヌの手を引くと、二人は広間に向かった。
「…つまずくなよ」
「もっと何かないわけ?キレイだよーとかさ…っと!」
「…転ぶなよ?」
その姿をどこか微笑ましい様子で女官長と女官は見送っていた。
「本当に仲が良いですわね。どうせならお二人が婚儀を挙げられたら良いのに」
「そうね。…さ、無駄口を叩いていないで私たちも広間に行きますよ。晩餐の用意があるでしょ」
そうして女官長はもう一人女官を連れて、急いで別の廊下から広間に向かった。
これから起こる悲劇など、広間に向かった人間は誰一人として知らずに。
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