第18話 日々を生き、



 その日はお昼ご飯までの間、アンジェの引率で学問所の裏山の写生が行われた。

 紙は貴重な物だから、子供達は配られた真白の用紙を珍しそうに裏返したり撫でたりしていた。


「さあ、みんな好きなように描いてね」


 子供達はそれぞれに気に入った場所を陣取り、各々紙に筆を走らせた。

 普段のわんぱく共も、こうなると静かなもので、だからこそ踏み入れられた異質な靴音に気づくのは早かった。

 数人の無躾な足音にアンジェははっと顔を上げると、足音に対して子供達を背にする格好で道の方を向いた。

 果たして現れたのは、王宮所属の衛兵四人だった。

 いつの時代も中途半端な人間ほど、他人との優劣をつけたいもので、貴族には顎で使われ、一般民衆に対しては王宮所属だと自らを上位に位置付ける彼らは、アンジェと子供達の身なりを見るなり高慢な顔つきに変わり、いかにも上からの物言いでアンジェに聞いた。


「この辺りの学問所の者だな」

「だったらなんなの?」


 顔に似合わず頭に血の昇りやすいアンジェは、彼らの口調に一瞬にして眉を撥ね上げた。


「我々は闇夜の月について情報提供を求めている。お前達民衆の安全の為にだ」

「学問所に情報屋と文屋らしき人物が出入りしているだろう。何か知っているのではないかと思ってここへ来たのだ」


 アンジェの後ろで子供達が身を寄せあい息を詰めた。


「ここにいるのは、子供達と本当にこの子達を思って学問を教える教師だけだわ!」


 トミーとグエンの事だとすぐに察しはついたが、アンジェはあえてそう口にした。

 すると衛兵の一人が苛ついた表情で一歩踏み出る。

 アンジェは肩をぴくりとこわばらせきゅっと唇を噛んだ。

 その瞬間、アンジェの後ろから今朝トミーと話をしていたワンパク坊主が前に飛び出た。まるでアンジェをかばうように。


「闇夜の月は義賊なんだ!何もしてくれない王宮のお前らのが悪い奴じゃないか!帰れよ!」

「何ぃ!?」


 すると即座に衛兵の顔つきが怒気を孕んだものに豹変した。

 ミナトは小刻みに身体を震わせながらもアンジェの前に立ちはだかり、大人四人を見上げた。


「王宮を愚弄した挙句、闇夜の月をかばいだてするとは…!」


 衛兵の一人が鞘におさまったままの剣を振り上げる。

 ミナトは硬直したまま目をギュッと瞑り、アンジェはとっさにミナトの頭に覆い被さるように抱きしめた。




 ガツッ!!




 痛い!




 アンンジェはそう感じるだろうと身体を硬くしたが、硬い物がぶつかるような音が聞こえただけだった。


「女子供相手に何やってんねや」


 次に聞こえたのは西の国でも少し南西の地方訛りの、でも良く通る低い声。


「何だ貴様!我々王宮衛兵隊員の邪魔をするなら、王宮反逆罪で処罰するぞ!」


 反逆罪って…!

 頭の上で繰り広げられている話の不穏な行方に、アンジェは弾かれるように顔を上げた。

 青年は自分達を救ってくれただけなのに、言われのない罪で捕われようとしている。

 そんな事は間違っている。

 アンジェは怒鳴りつけようと息を吸った。

 だがしかし、アンジェが大声を吐き出す前に、青年がまるで欠伸を噛み殺したかのような呑気な様子でつぶやいた声に、アンジェは言葉を飲み込んだ。


「反逆罪なあ…。別にええけど…」


 ついでに本当に欠伸をして、肘掛けにでもするみたいに手持ちの大ぶりの剣を地面に付く。

 そしてちらっとアンジェを見て鼻の頭をぽりっと掻いた。


「美人の名前も聞かずに連行されんのは嫌やなあ…」


 たまの休みにぶらぶらと遠乗りに来て、ちょっと一休みしようと木陰で昼寝をしていたら、何やらちょっとした騒ぎが聞こえた。

 面倒事なら貴重な休みが台無しだ。何しろひと月ぶりのまともな休暇である。


 なんやねん。


 そう思って木の間を覗いたら自分好みの女性が一人、気丈にも兵士四人と睨みあっていた。

 話の流れを聞いていると、女性もむきにならなければ良かったのにと思う所もあったが、兵士達の態度はいかんとしがたく、その後の兵士達の様子も良くない。

 始終何度も腰に穿いた剣に手を掛けては放しの繰り返し。

 それは明らかに威嚇だ。

 女子供相手にそんな力を誇示するような仕草をしなくても良いだろうに。

 いざと言う時には…と、待機していたら案の定だ。

 仕方なくが半分、待ってましたがもう半分の気持ちで兵士の剣をはねのけて登場したと言うわけだ。


 しかしながら。

 オータは思った。

 どうしたらええんや。

 兵士達を力づくで眠らせてしまうのは簡単だが後が面倒な気がしたし、かと言って連行されたらされたで面倒なような…。


「とりあえず知り合いにはなっておきたいしな…」

「何をふざけた事を!」


 青年は大剣を片手で持ち上げ肩に担ぐと笑顔で、


「や、大真面目や」

「貴様、反抗するのか!」


 そんなつもりはないけどなあ…。

 オータはいかにも重いだろう大剣を片手で握り、切っ先を向けた。


「手加減しても怪我するから、立ち去った方が身の為やで」


 この剣は斬る為の剣ではない。一度動き始めれば、何かに当たり叩き潰すまで勢いを止めない凶器だ。

 剣の腹には三本の鍵爪の跡がくっきりと残っている。

 竜の爪跡だ。

 人とは桁違いの力と躯をもつ竜ですら仕留める事の出来る武器。

 その大剣を持ち使いこなす事が出来るのは世界でも数少ない。

 それ故に兵士達は自分達の目の前に立つ青年が何者なのかを悟った。


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