第16話 あるいは隠れ行動し、
最後の客がいなくなると、トミーは店を閉めて港へ向かった。
港の外れの断崖に立つと、辺りを伺ってトミーはひょいと飛び下りた。
もし誰かがその姿を見たら、まるで投身自殺をしたと大騒ぎされそうなくらい切り断った断崖絶壁は、実際、自殺の名所で、暗礁と潮流の関係からか遺体も上がらないと言う複雑な場所だ。
否、遺体が上がらないのではない、上げられないのだ。複雑な潮の流れの、普通では船が入り込めない場所の為である。
しかし、もちろんトミーは投身自殺をした訳ではなかった。
トミーの手には一人を支える位の太いチェーンが握られており、それを支えに断崖の途中にある棚のような部分に降り立つと、人目を憚るように細く空いた切れ目のような穴に身を滑り込ませた。
入口は狭いが、中の空洞は大きな建物が一つ入る位広い。
そこにあるのは一隻の大きな船だ。
「よお」
トミーは入るなり中で作業をしている男に声を掛けた。
「カシラ、お帰りで」
「ああ、皆はいるか?」
「お戻りっすよ」
そうか、とトミーは勝手知ったる様子で船室に入って行った。
船室は広い。
もちろん船自体が大型だから当然だが、驚くのは室内にはきちんと調度品が整えられ、中には年代物の高価な品物もある事だ。
一際目を引くのは、壁に恭しく飾られた海賊旗だ。その中には金糸で文字が綴られている。
金糸で綴られた文字にはこう書かれていた。
『四王を助ける者』
…と。
船内にはランプで灯りがともされ、一人の女が何やら熱心に羽筆を大きな紙に滑らせていた。
「よお」
彼女にトミーは慣れた様子で声を掛けた。
「お帰り」
「で、進んでるか?」
「あんたね…。私の専門は植物と天気!海流やら地理は専門外!幼馴染みだからって無茶な注文つけて、その上催促?」
「天気と潮流は因果関係が深いから、問題ないだろ?それにアンジェは天才だからな」
「ま、まあね」
人間、褒められれば悪い気はしないものである。
アンジェは気を良くしたように、先程まで吊り上げていた眉を下げた。
トミーの祖先は、遡る事三百余年前、闇王との戦いに際し四人の王に助力したとされる海賊の末裔だ。
トミー曰く、骨董品みたいな古い旗なんか家にあるから勝手にそう思ってるだけ。…らしい。
時代とは厳しい物で、海賊稼業では生活が成り立たず、トミーの祖父の収入の主は漁師だったし、父親は貿易商だった。
当のトミーと言えば、夜は酒場の店主で昼間は週に三、四日、学問所で自分の好きな歴史を子供に教えていた。
海賊まがいな集団を取り仕切っていたが、収入を判断基準とするなら趣味のような物でつぎ込む一方だ。
これでは職業と言えない。
兎にも角にも、稼業を再開させたものの、開店休業状態の海賊稼業が長年続いていた為か、せっかく代々受け継がれてきた海図は破れてあちこちが不明な地図になっており、トミーはアンジェにそれらの修復を依頼したのだった。
「けど、さすがアンジェだよな。ここまで見事に修復できるなんてな」
「感心してないで手伝ったらどうなの?歴史書読んで年表作ってないでさ」
歴史好きのトミーは派手な外見に似合わず、年表作りと言う地味な趣味を持っていた。
「歴史は良いぞ。ロマンだ」
「……ああ、そう」
もう何も言うまい。アンジェはこっそりそう思って、切りが良い所で筆を置いた。
「そうだトミー。グエンが帰って来てるわよ」
アンジェがそう報告するのと船室の扉が開くのはほぼ同時。
眼鏡を掛けた男が入ってくる。
知的。
この二文字が最もしっくりするのではないだろうか。
物事の大局を見通せそうな涼やかな双眸は、眼鏡越しの為なのか、やや神経質そうに見えた。
海賊船と言う場所がなんとも似合わない男である。
「…と、噂をすれば。久しぶりだなグエン」
「…トミー」
グエンはトミーを頭から足先まで上下に見て、わざと深いため息を吐いた。
「靴の土くらい払ってから部屋に入ったらどうだ?部屋の掃除をするのはお前ではなく、私かアンジェなのだからな。相変わらず無神経な奴だ」
腕を組みはっきりきっぱりそう言うと、アンジェのテーブルに数枚の紙を置く。
グエンの厳しい物言いにも動じた様子のないトミーを無視して、グエンはアンジェに向き直った。
「アンジェも気付いたならはっきり注意すべきだ」
女性が相手だからと言って口調も表情も変える事がないのは、ある意味他人に対して平等に接しているとも言えようか。
「はいはい」
アンジェはそんなグエンの様子すら、さらっと無視して、グエンの置いた紙を手にした。
「ありがとうグエン、これで抜けてた所が埋まるわ」
アンジェは編集した海図の中から一部抜き出すと机に広げた。
それをちらりと見てトミーはグエンに向き直った。
「南に行っていたのか?」
「そうだ」
「どうだった?」
「私の推測では、南はこれから荒れるぞ。王宮の内部はぐらぐらに揺れている」
アンジェが二人の会話を右から左に流すかの様に再び作業を始め、それを横目で見ながらトミーはグエンに話を促した。
「どんな様子だ?」
グエンは口端を僅か上げて笑み、先細い繊細そうな指で眼鏡を押し上げた。
「年中行事に必ず民衆の前へ顔を見せていた国王が、この一年というもの全く姿を見せないらしい。男勝りだと噂の王女も同時期からぷっつりとだ」
「病気…とか?」
話を聞いていないとばかり思われたアンジェが、顔を上げてグエンに聞いた。
「二人同時に?…もっとも、流行り病の話など一つも聞かないが、民衆は王は病だと信じているらしい」
「グエンのその口ぶりだと違うと言いたいようだな」
「これは私の憶測だが…」
グエンの眼鏡が逆光で鈍く反射する。
アンジェは机に肘をつき首を傾げ、トミーはどこか楽しげにグエンの次の言葉を待った。
「国王親子は既に死んでいる」
トミーは小さく口笛をヒュゥと吹いた。
ここに居合わせた面々が知るよしもないが、その話は半分正解で、半分不正解だ。
そしてグエンは、続けてほぼ正解な話を始めた。
「王宮内に出入りする面子が少し変わった様に見えるから、おそらく内部でクーデターが起こったと考えて良いだろう。気になるのは、今まで軍事以外に余計な口を挟まなかった養子の王子が最近では内政にも顔を出している事だ。王位の惨奪か…それとも政治に携わるを得ないのか…、その両方か」
「けど、南の王子と言えば竜王の再来と言われてる男だろ?軍配を見ても相当な切れ者だ。そんな奴が軽々しく王位の惨奪なんか企てるか?」
「だから注目しているんだ」
グエンは理知的な顔に、僅かに興奮の色をうっすらと滲ませた。
「真相を見極めて私はそれを書き記し、全ての人間にそれを伝える。貴族の壁に隠された政治も罪深いが何も知ろうとしない事も罪だ。私は人々の目と耳を開かせたい!」
「政治を全ての国民の手に」
トミーが同意の声を上げ、グエンは満足そうに頷いた。
「目標と目的は良いんだけど、帰ってきたなら子供達に文字を教えてあげてよね、グエン」
「もちろん。優秀な人材の育成は大切な使命だからな」
「そう?じゃあそろそろ私は休むわね。トミーも歴史、ちゃんと教えてあげてよ」
それじゃあね…と、アンジェは船室を出ていった。
その後姿を見送って、トミーはうーんと唸ってグエンに尋ねた。
「ところでグエン。アンジェに浮いた話はないのか?」
「私はトミーがアンジェとそうなると思っていたが…」
「俺はグエンとそうなるかと…」
三十歳手前、同い年の男二人は一瞬黙った。
二人にとって二つ下のアンジェは幼馴染みだが妹のような所もある。
アンジェは今年27歳。
つまりは、いわゆる良い歳である。
「アイツ、外見に反して中身は女らしくないからな…」
「…私はこないだ、実験で使う計量カップでお茶を飲まされたぞ…」
やっぱりか。
恋人の一人もいない男達は、自分の事を棚に上げて深くため息をついた。
「ああそうだ。さっき店で面白い男に会った」
「面白い男?」
トミーはにやりと笑う。グエンが興味あると分かっているだけにだ。
「闇夜の月」
「ほお…それは興味深い」
果たして、男二人の話題は夜をだいぶ更けても尽きる事はなかった。
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