第20話 嫉妬01

 レインは初めてリヒャルトに嫉妬した。嫉妬という得体の知れない感情は黒いもやのように心を覆う。レインは妬ましそうにリリーとリヒャルトを上目づかいで睨みつけた。目にする何もかもがレインを苛立たせた。


──音楽が鬱陶しい。 


──やけに喉が渇く。


──いつまで踊っているつもりだ……。 


 優雅に舞う二人を見ていると様々な思いが胸をよぎる。普段は温厚なレインも怒りで皮膚がひりつき、奥歯をギリッと強く噛みしめた。



──僕を侮辱するなら、二人とも……。



 レインが殺伐とした感情に囚われかけたとき、ふいに音楽が止まった。とたんに割れんばかりの拍手と歓声が大広間を包みこむ。リリーとリヒャルトはうやうやしく一礼いちれいを交わしている。歓声に応えるリリーは人垣にレインの姿を見つけて満面の笑みを浮かべた。



「レイン!! 見てくれましたか!?」



 リリーの明るい声に反応して居並ぶ貴族たちもレインへ顔を向ける。その表情は『なんだ、お前もいたのか』とでも言いたげで、レインは伏し目がちになり、両手を固く握りしめた。すると、リリーが駆けよって顔を見上げた。


「帝都では独身最後の夜にダンスをするの。ダンスの相手をリヒャルトお兄さまが務めてくれたのよ」

「そうなんだ……」


 ダンスが慣習だと知っても、レインの心が晴れることはなかった。リヒャルトを見ると会釈えしゃくをしてくる。レインも頭を下げるが、どこか不満げな顔つきになっていた。そんなレインを見てリリーは意味ありげに目を細めた。



「もしかして……レインはリヒャルトお兄さまに嫉妬したのですか?」

「そんなことはないよ……」



 図星だったがレインは「違う」と嘘ぶいた。すると、リリーは動揺を見透かすようにクスクスと笑う。そして、左手を伸ばしてレインの頬にそえた。


「怒らないでレイン。明日はあなたと一緒に婚礼のダンスを踊るから……」

「え!? そうなのですか!?」

「婚礼でのダンスは当たり前でしょ? 今から楽しみにしているわ」

「……う、うん」


──ダンスなんて踊れないぞ? 


 そう思いながらも、リリーに見つめられるとレインは無条件で頷いてしまう。不思議なことに、リリーの笑顔を見て可愛いと思うよりも安心するのを感じた。



──リリーは今、僕のそばにいる。それで十分じゃないか……。



 リリーの青い瞳を見ていると、心を支配していた負の感情が一斉に引いていくのがわかった。



×  ×  ×



 前夜祭は深夜になってようやくお開きとなった。レインはもてなす側の人間として、最後の一人が席を立つまで大広間にいた。当然ながらガイウス大帝やリリーたちはすでに退席している。


──やっと前夜祭が終わった。


 誰もいなくなった大広間はひっそりと静まり返っている。レインは席の一つに腰をかけ、天井を仰ぎながら一息ついた。何もかもが怒涛の勢いで過ぎ去ってゆく。リリーと初めて出会ってからそう日がたっていないのに、遠い過去のように思えた。


──太陽が昇れば今度は結婚式か……。


 そんなことを考えていると突然、肩を叩かれた。振り返ると金色の聖冠せいかんいただいたアレンが立っている。アレンは護衛を同行させず、一人だった。



「こ、これはアレン皇太子殿下!!」

「少しいいかい?」

「もちろんです!! 今、席をご用意いたします!!」



 レインが慌てて立ち上がろうとすると、アレンは手で制して正面の席へ腰かける。二人はテーブルを挟んで向かい合った。



「そんなにかしこまらなくていいよ。僕と君は明日、兄弟になるのだから」

「はい……」



 『兄弟』という単語を聞くとレインは急に結婚の実感が湧いてきた。神聖グランヒルド帝国の皇族につらなるとはいまだに信じられない。恐縮するレインにアレンは優しく語りかけた。



「それにしても、あのリリーが結婚するだなんて……本当に驚いたよ」

「……」



 微笑むアレンは本当にリリーと似ている。爽やかで優しげな笑顔にレインは見とれてしまいそうになった。返答に困っていると、アレンはリリーと同じ青い瞳でレインの顔を覗きこむ。



「ところで、君は政権に興味はないかな?」

「政権? ……それはどのような意味でしょうか?」



 質問の意味がわからずに聞き返すとアレンは微笑みを絶やさずに続けた。



「そのままの意味だよ。僕は君を貴族院の議員に推薦しようと思っている」

「わ、わたしを貴族院議員に!?」



 貴族院とは藩王や大貴族たちで形成される議会のことだった。藩王の地位を継承していないレインにとってはとんでもない出世話になる。レインが驚くのも無理はなかった。



「アレン皇太子殿下、それは『ウルディードを離れて帝都グランゲートに来い』という意味でしょうか?」

「まあ、そうなるかな。どうだろう? 悪い話じゃないと思うけど……」

「……」



 皇太子に『貴族院の議員に推薦する』と言われ、レインは悪い気がしなかった。しかし、故郷を離れて帝都におもむくなど、簡単に決断できることじゃない。リリーとの新婚生活だって控えている。


「お言葉はとても嬉しいですが、すぐに返答はできかねます。それに、わたしは藩王はんおうでもありません。アレン皇太子殿下の御役おやくに立てるとは、到底とうてい思えません」

「謙遜しないでよ。君はウルド国の後継者じゃないか」


 アレンは少しだけ身を乗り出した。


「ウルド国は不毛な辺境国家と言われているが実際は違う。ウルド砂漠にはゲルン鋼や金銀の鉱脈がいくつもあり、砂漠を往来する貿易船がもたらす利益ははかり知れない。その実情は豊かな地下資源と貿易港に恵まれた強国だ。保有する軍船は千を超え、重騎兵じゅうきへい弓騎兵きゅうきへい突撃騎兵とつげききへいといった常備軍じょうびぐんは万を超える……やがて、君はそんなウルド国を継承する」


 アレンはウルド国の内情に詳しかった。レインが驚いているとアレンは口元をゆるめてクスクスと笑う。


リリーの夫となる人物だからね。僕なりに調べたんだ。それに……何よりも羨ましいのは、ウルド国の藩王ロイドが老人じゃないことだよ」

「え……」


 急に父ロイドの名前を出されてレインは戸惑った。アレンは椅子に深く寄りかかって、ため息をいている。


「本当に羨ましいよ……神聖グランヒルド帝国の皇帝は老人だからね。そのくせ、『帝国の未来を考えている』とか平気でのたまう。得意げに未来を語る老人ほど危険なものはないよ。老人が国政をになうと国家は衰退してしまう」


 アレンは笑みを絶やさないが、物言いは苛烈そのものだった。

 


「僕はね、後進に道を譲らないには退してもらおうと考えている。それが最も健全で、真っ当だからだ」



 アレンの言う『老人』はガイウス大帝のことを指している。そうなると、『退場』とはどういう意味だろうか?



──と、とんでもない話を聞かされている……。



 レインは耳を塞いでこの場を駆け去りたかった。しかし、会話の相手はリリーの兄で神聖グランヒルド帝国の次期皇帝。レインどころかウルド国を自由にできる。無視するわけにはいかなかった。ただ、どうしても適当な言葉が見つからない。レインが黙りこむとアレンは静かに口を開いた。



「さて……もう一度だけ尋ねる。レイン・ウォルフ・キースリング、貴族院議員になって僕に仕える気はないかな? 心して答えた方がいい。返答によっては君の未来が大きく変わる。よりよく変化するか、もしくは……血塗られた悲惨な未来になるか……君次第しだいだ」



 口調は穏やかだが内容は脅迫に等しい。アレンはリリーと同じ青い瞳で問いかける。頭上では皇太子のあかしである金色の聖冠が鈍い輝きを放っていた。

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